想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

陰翳礼讃というよりも

2009-06-11 14:43:42 | Weblog
廊下のつきあたりのくぐり戸から、ふだんから暗いこの部屋に
木漏れ日がさし、畳に影を映しているのが見えた。

この部屋が好きである。
この家は四方に窓があるが庇が普通より長い。直射日光はほぼ
入らない上、どの部屋も間接照明を用いている。
つまりわざと明るくない造りにしてある。なかでも特に暗いのが
西北の角にあるこの茶室。陰影礼讃と言えば聞こえはいいのだが…

うさこの昼寝、いや瞑想部屋としてぴったしの場所なんである。
水のせせらぎ以外はなにも聴こえない。
水の音に耳が慣れてしまえば水の底にいるように、しんと静まり
ひんやりした畳の感触と、呼吸する漆喰の壁から森の樹々の気配
が伝わってくる。流れる空気が一つにつながっているのを感じる。

小動物は身の丈にぴったり沿った場所におさまっているのが好きで
箱にすっぽり入って寝ている猫とか、それにウサギ。
ウサギは森に住んでいるが、木のウロや生い茂った木の根元に自然に
開いた穴に巣を作っている。
カメが笑いながら、そしてちょっと小馬鹿にしたような悪戯をする
ときの表情で言った。
「うさぎは広い野原を駆け回りたいと思いながら、原っぱに出ると
まっすぐに巣穴へ駆け戻るのさ、気が小さいからねえ。
そして、ぴたっと体が収まるところで安心するしてるんだよ。
そうじゃないと落ち着かないのさ」

それってつまり、あれか? あたいのことなのか?

確かに確かに、そういえばそうである。
型に嵌るのは嫌だと思っているはずなのに、いつのまにか無意識に
なんらかの型を求めてしまう。
人社会で型といえば、職業や会社、家族、コミュニティの中での位置づけ
だろうか。平たくいえば肩書きか。
わたしは自由がすきだと誰しも言うが、一方でナナシノゴンベエでは
いられない。それは小動物的な本性に似てはいないだろうか。

型に従属する人、帰属する場所がないと不安になる人。
それは形を変えたホシミ(欲)なのだなあ。
誰しも安心したいのである。いや、不安が先にあり、だからこそ安心を
求めてしまうのだろう。

けれども、ウサギよ。
野原はいいぞ~、洞(ウロ)から出て風に吹かれてごらん。
お日様にあたって、息が切れるほど走ってごらん。
臆病に縮こまっていなくても、安心は野原の先にもあるんだよ。
ごちそうは思わぬところにあるものさ。

畳の上に仰向けになって、跳ねている夢を見た。
風を感じて立ち止まり、見渡すと、とても遠くまで来たようだった。

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他所様んちの犬

2009-06-09 23:43:32 | Weblog
 (知人Y子女史の愛犬コタちゃん)



 (Y子もまた犬バカである。
   昔なじみの悪友なのでたまに写真を送ってくれる、それを拝借)

散歩中などに犬を連れた人が立ち話している光景をみかける。
犬はどう感じているのかなあ、といつも思う。
すれ違うかと思いきや、どんどん近づいて来る人もいる。
犬同士が刺激しあわないようにまっすぐ歩かせるのも躾の一つにあって、
脇目をふらないで歩く訓練を受けた。リードをむやみにひっぱるのではなく
脇についてまっすぐに行く。
ところが実際によくみかけるのはまっすぐ行かないのは人の方で、犬はじっと
所在なげにそばにいたり、隣の犬の匂いを嗅いだり、それも退屈してウロウロ。
リードに脚がからまったまま動けないでいる子もいた。
おしゃべりにうつつを抜かしているアホな飼い主は、そんなことおかまい無し。
そばに行ってドツイてやりたいのをガマンしてやりすごしてます、はい。

犬たちはよく耐えていることよなあ、としみじみ思う。
同じくらいのガマンを強いられたら、わたしはできるか?
家出します、きっと。

犬がしゃべり出したら困るわ~とよく聞くけれど、しゃべらなくても犬の有り様や
表情によく出ているんだよん。
今夜すれちがったのは、「ひきずりおじさん」だ。
前にも一度出会ったことがあるが、前方からやってきてにわかに犬のリードを
引き寄せ、路地に入ろうとするのである。犬は反抗して突っ張るのでザザザざっと
大きな音をさせながら引きずられて行く。
うちの親分はしらんふりして通り過ぎることができるのだが、遠慮してくれて
いるのだろう。きっとあの小型のプードルはうるさく吠えつき絡んでくるので
おじさんが先に警戒しているのだろうと思った。
それにしても、いつもワイシャツとネクタイにスラックスと革靴という格好で、
仕事から帰ったら散歩という日課なのかしら?
義務的な散歩? 引きずられても引きずっても、それでも犬と飼い主の絆はある。
人間の親子の絆と同じくらいに、切っても切れないものだ。
通りすぎて振り返ったら路地から出て来て、首がもげそうに引っ張られて歩いて
いるのが見えた。ひきずりおじさん、いったい何を考えてんだかなあ。

犬だって理想はあるぜ、きっと、とか思うのであった。
親分に日に三度はごめんね、と言っている日々であるからね。
 ※ちなみに記事内容と掲載写真は関係ございません(うふふふ)


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ごろんちょコマ送り

2009-06-08 12:23:04 | Weblog


それぞれに意味があるようです。
ポーズが変わるほんのちょっとの間に、流し目でサイン送ってます。





言いたいことは、おそらく一つです。
オイラ、オイラ、オイラ、オイラ、遊ぼうぜ、オイラ、オイラとさ~。
早口で言うと、オラオラオラオラ、姉ちゃん遊ばんかー、オラオラオラと
なるんだと思いますが、決してヤンキーにはなじめないタイプです。
どちらかというとバイクより乗用車の後部シート独り占めが好みです。
あと、ソファがいいので体育座りはしません。
ひとしきり、オラオラオラをやったあと寝てしまいました。
グースカ、グースカ。早寝早起きしてます、この方に無常という言葉は
ありません。常世にいらっしゃるようです。
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飲まない人生なのになあ

2009-06-06 17:29:36 | Weblog
インペアード・パフォーマンス」という耳慣れない言葉を知ったのは、まさに
その状態にあるからである。

日本語にすると「気づきにくい能力ダウン」ということだが、
気づきにくい? なわけないでしょうが。
アレルギー症状の対症療法として、抗ヒスタミン剤を服用せざるを
えない人は多い。その場合におきる倦怠感、眠む気などで能率低下
するという意味らしいが、仕事を休むわけにもいかないからむしろ
症状を緩和するために服用しているのである。
その副作用が眠気や倦怠感なので、どちらをとるかといわれても
我慢できるくらいなら薬は飲まない。

上記のインペアード・パフォーマンス・ゼロ・プロジェクトの意義、
なんだかなあ、上から目線もろだしではないか?
副作用に眠気ありと表記されているし、知っていて使用しているわけだ。
知らないで使う人は少ないだろう。市販薬も医者の処方箋でもらう
薬にせよ、説明はあるはずだから。
症状は知っているが、そんな英語知らないという人が多いという
話なんじゃないか?と思ったしだいである。

なのに何を啓蒙したいのか? 何を注意せよというのか?
抗ヒスタミン剤以外で即効性のある特効薬があればそちらを使用
したいのはみんな同じなのであるよ。



この話だけじゃないが、なんだか似たような「旗揚げごっこ」で
矛盾したことをぶちあげている人たち、この頃多いなあ。
中身どうするよ?
それに、なんとか審議会とかいう類が成果をあげた話をきいたこと
がない。

冤罪事件で年金を貰い損ねたままの免田栄さんが年金資格を回復する
のに審議会の了解などなぜ要るのか?
鬼平なら「いらねえよ」と言うに決まっている。
鬼平を持ち出さなくても、小学生にだってわかる話だ。
ところが、実際にはお役所仕事で何年も待たされたりする。
これこそ万年インペアード・パフォーマンス状態ではないかね?
彼らは何を服用しているのだろうか? 饅頭か?

酒、アルコールの類を飲まない人生を送っているうさこは
酩酊して不明になっている時間はまったくない日々、365日である。
ぼんやりと妄想している時に、傍らにあるのは番茶とか紅茶、
コーヒーだかんね。サミシーという気もするのでたまにワインや
缶ビールを手にするが、一口で十分な低予算なタイプである。
飲んだくれていい気持ちになってる人を決して嫌いではない。
けれど、酒で頭をぼけさせてしまうのはもったいない。
素面でもややぼんやり系なんだから飲めない体質でよかったと
つくづく思うのである。

なのに薬のせいで、眠いこと眠いこと!
ブログ更新するのにも、いつもより能率悪すぎて時間かかって
困った困った状態です。
せっかくだからぼ~んやりした感触を記憶しておこう。
あと数日のことだろうから。






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ちょっとバタバタ‥って

2009-06-05 11:44:14 | Weblog




オイラだって忙しい、忙しい、とついて回って走り回る親分。
ゆっくり降りても同じなのに、どうしてジャンプするのよ?
脚痛くなるでしょうが、と言っても聞かないのがオヤジの特長。
カメは決してオヤジなどとは呼ばれませんが、特長は備えているようで
雨でも嵐でもこの愛車のエンジンをかけない時はなく、森へ来たら
晴耕雨読とは縁のない働きっぷりである。

そうでもしないとこの広い森を拓いた庭園はできあがりそうもないのは確かで。
頭の中に描かれているだろう造園の設計に沿っているのだろうけど
見ているこちらは何をどうやっているのか、わからないことが多い。
出来上がって、ああ、そうだったのか。がほとんど。
だから数年ぶりに訪れる人は記憶と違う風景に、えっとしばし立ち止まり
目をみはっている。
すごいですねーとか言われると、「いやー、ぼちぼち、まあまあね」とか
言っておくのだが、心にもないことです、そうです。

世間で広く流布している変なオトナ言葉を一つ。
「いやー、ちょっとバタバタしてたもんだから」
バタバタって何よ、とか、だから? とかって誰もつっこまないのはなぜ?
と気づいた人はセンスいいなあ。
変なオトナ言葉、特に言い訳シリーズを探してみたが、使い慣れたものほど
すぐに思い浮かばないもんだということに気づいた。
誰かつかまえて話してみると、その人が言うかもしらんなあ‥‥、
そのとき、つっこむわけにもいかないし、ニヤニヤすると増々変人と烙印を
押されるだけだろうなあ。
そうだと思いついたのが我が母であった。
電話してみることにする。きっとひっかるぜー、ベイビー。
 

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水紋‥だよ、ほら

2009-06-04 09:30:52 | Weblog
彼のことをとても犬とは思えません。
食事時に、手元から決して離さない目線はともかくとして、
起き抜けや出会いがしらのまあるい目の輝きに、その中にはなにか犬と
私たちが呼び慣れた者とは別の何かが居るのではないかと思えてしまうのです。
犬らしくない、これが彼に対する賞讃として最も多いものなのですが、
犬で悪いということではなくて超犬です。
もしかしたら向こうから見たら、あいつ人間らしくねえぜ、かもしれません。
変だけど、まいいヤツさと思われていれば幸いです。




子どもみたいなイタズラをしているのは誰でしょう。
カメです、とてもエラい先生とも思えない行動ですが実はエラいんです、
長靴なんか履いてますし、ユンボも運転しますけど、エラいんですなあ、これが。
カメラを構えて石の上の水たまりとそこに映りこんだ樹木の影を撮ろうと
しているのに、ホラッ水紋だよ、と手をつっこんでます‥‥。
ええ、水紋はもちろん素敵ですとも。
でも、あたいは樹影を撮ろうとしてたのです‥‥。
ざっざっと水たまりに指先でかきまわすと、さっさと行ってしまいました。
エラい人は違います、はい。
カテゴライズされない存在と予定調和な行動をしないほうが、人も動物も
面白いです。
スマした顔してハハハ~ンって感じが周囲を楽しくするようです。
○○らしくない、というのが風の谷では定番ですな。

このごろカメの顔と親分の顔がダブって見える瞬間があります。
他の人からは、アンタの顔と親分の顔がダブって見えるよという意見もあります。
目二つと口一つと鼻の穴二つが顔についているところなんざ、確かに同じだから
種の壁やら個々の壁やらが取っ払われてしまうと、そりゃあなんだか似ていると
いう分子的融合がおこっているのかもしれません。
見ている人も融合の渦にはいってしまっているのでしょう。



石の脇に咲いた黄色い花は昨年撒いたワイルドフラワーのタネが飛んできたもの。
およびでないよ、とは言えないので、まあ捨て置いてます。
ほんとはかわいいと思ってますが、あまり喜んだ顔をするとタンポポ軍団みたいに
はびこるので、ポーカーフェイス、声も小さくして、あ、と言うだけにしています。
花にも耳がありますからなあ。

風の谷ではなにもかも壁を通り越して吹き抜けるので、存在はいつしか一体となります。
ここは修行の場であったはずなのに、いつしか癒す場所として出来上がりつつあります。
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エコじゃなくてエゴイスト

2009-06-02 08:54:11 | Weblog
山に自生している植物の名前をすらすらと言えないうさこです、へい。
この赤い花をつけた木が今年は目立って増えたような気がしてます。
前からあったのだろうけど‥‥気づかなかっただけかなあ。
なんという名だろうか。

ホウの木の若木が、今年はちょっとだけ背が伸びていた。


(昨年6月撮影)

(そして現在3段になっている)

写真で振り返って比べてみると、去年よりも2週間ほど樹々の芽吹き、成長が
早いように思える。
温暖化のせいだとしたら、この山奥でもいつかは雪が少ししか降らなくなったり、
雨量がさらに増えたりするのだろうか、とかいう不安が脳裏をかすめる。

そう思った次にはなぜかガソリン代を計算してエコカーもいいぞ、1ℓ30km代なら
今の3分の1だから、その浮いた分でえ~と‥‥などと実利的な考えへ流れる。
脳みそは活発に利己的な方へシフトしていくということを、もう一人の私が監視し、
ニヤニヤと笑っている。其の手には乗らねえよ、と。

排気ガス問題より経費節減に敏感な思考‥それを利用する市場経済のしくみ。
自然観測のデータからつきつめた先にあるのが自然環境に、母なる地球に優しいとは
限らない。結局のところ、自分が困らないようにということに行き着いているのでは
ないだろうかなあ。

脳は常にエコロジー(生態学)など無視し、エゴイズム(利己主義)に偏っている。
この利己的遺伝子に支配された脳を野放しにして「私が生きている実感」などと勘違い
している人がけっこう多いのは困ったことだ。
その場合は直接的刺激でないと感じることができない。
たとえば酔っぱらうとかラリるとか、あるいは忙しく走り回るのが好きという類い。

わたしは常に自分の首の上に乗っかっている頭の中身を疑う。
頭部の付け根、首の後ろが腫れてしまうほど脳を酷使している日常であるが、
勝手な真似をされてはその脳に殺されてしまうので、警戒せざるをえない。
いやべつに死にたくないわけではない。
ただ、自分の脳に殺されるのはバカらしい。
脳に支配されるのではなく脳を駆使する側にいて、できれば納得して死にたいと
思っている。

エコロジーという言葉が広義に使われるようになって久しいがさらに柔軟になって
エコと略されるとなんだかエゴに聞こえてしまって、薄~く笑ってしまう。
生態系の中に属している人間は、常にそれをコントロールできるかのように錯覚し
畏怖心と謙虚さを忘れてしまった。

まれに賢い人が現れて、人間を生態系の一部であると思い出させてくれようとする。
そういう人はあまり難しいことを言わないところが共通している。
誰にでもわかる話をするが、誰にでも気づくことではない。
その智恵の表面だけパクって金儲けしようと企むヤツもいる。

ああ食ったり食われたりなんだよ、世間は。とシタリ顔で言ったらおしまいよ。
そんなにすれてしまってはいけない。
そんなこと言ってて食われる側だったらどうするよ? ん?
誰しもそっちはいやなのだ。
ただ自分だけは助かろうという気持ちが強い人ほど客観性をなくし脳に支配される。
個としての強さをなくしていくことになる。
寄らば大樹の陰、にも容赦なく吹きつける雨風のあることを知っておくことだ。
真理に裏打ちされないと、実利は結局は滅びへ至る道である。



本当のエコとは集約すれば、世紀をまたいで拡大する一方である貧富の差を少しでも
縮めていくことにほかならないのではないか。
生態系に倣うなら、極端な大喰らいが出現したあとは滅びてきたのであるから。

(エコカーをガンガンみんなで乗り回すと結局排気ガスは同じことじゃないか‥‥
高速代土日1000円で道路沿線の緑はどうなるんだよ‥と考えはシフトしたので
導入しばし見送り派へ鞍替えし、愛車をさらに大事に乗ることにしたんである)

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