心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

河出文庫「須賀敦子全集第1巻」

2009-11-22 10:50:14 | Weblog
 晩秋の連休初日のきょうは、少し肌寒くはあるけれど、明るい陽の光が街を照らしています。でも、このお天気もどこまで続くことやら。予報では昼過ぎから小雨とあります。ブログの更新が終わったら、急いで庭掃除をしなければ。
 ところで、一昨日は広島に出張でした。新幹線から眺める山陽路も紅葉の季節を迎え、稲を刈ったあとの田圃には、稲穂を燃やす煙があちらこちらに立ち上る、そんな牧歌的な風景を楽しむことができました。そんな車中で、わたしは須賀敦子全集第2巻のエッセイを読んでいました。そのなかに「想像するということ」というのがあって、須賀さんは「人とのつながりで、私たちはよく勘を働かせて行動する」「その生まれつきの勘を、系統だてて、というのか、もう少し客観的に伸ばしていくのが想像力だと思う」「想像力という概念が、持てるものから持たないものへ、強者から弱者へと、一方通行的になって、縮んでしまったときに、思いやりということばが出てくるように、私には思える。」「なにかひとりよがりの匂いの抜けきらない”やさしさ”や”思いやり”よりも、他人の立場に身を置いて相手を理解しようとする想像力のほうに、私はより魅力を覚える」。
 今回の出張の目的は、職場の些細な人間関係の調整のためでした。だから、なにげなく読んだこのエッセイに、妙に納得することになります。そうだよ。お互いに想像力を働かせたらいい。ボタンのかけ違いに違いない。メールだけのコミュニケーションでは、決して想像力は働かない。わたしたちは、汲々として生きるなかで、相手の立場になって相手を理解しようということをしなくなったのかもしれない。
 そんなことを思いながら、この文脈に中に、いま、わたしが須賀さんの世界にのめり込んでいるわけが、何かしらぼんやりと見えてきたようにも思います。なにか独り善がりの匂いの抜けきらない「やさしさ」。ずいぶん昔、そう学生時代の一時期、わたしは「偽善」を否定することの先に社会変革を夢見たことがありました。自分自身の生きざまを、もういちど振り返ってみる。そんな時期がありました。それを須賀さんは廃品回収というエマウス運動を通じて、そしてわたしは、・・・・・。
 それはともかく、「ヴェネツィアの宿」「トリエステの坂道」「エッセイ(1957~1992)」で構成された須賀敦子全集第2巻は、帰りの新幹線のなかで読み終えました。夜、大阪に着いて、紀伊国屋書店に立ち寄りました。すると、なんと品切れで手に入らなかった全集の第1巻が、重版なって平積みしてありました。第1章は「ミラノ霧の風景」でした。
 それだけではありません。帰宅して、パソコンのスイッチを入れて、何気なく須賀敦子を検索すると、次の日の昼下がりにBS朝日で『イタリアへ・・須賀敦子 静かなる魂の旅 最終話 ローマとナポリの果てに』という番組が放映されることが判りました。さっそく録画をセット、昨夜見ました。この番組、第1話が「トリエステの坂道」第2話が「アッシジのほとりに」とあり、その最終章の位置づけのようでした。それでも、2時間におよぶ映像のなかに、「ヴェネツィアの宿」「トリエステの坂道」に登場する文章と風景がちりばめられ、わたしは立体的に須賀さんの世界に入って行くことができました。ミラノのコルシア書店で共に活動したカミッロ神父は90歳にして未だ健在、須賀さんの思い出を語っていました。想像力の乏しいわたしには、文字だけでは得られない須賀さんの人となりを身近に感じることができました。
 須賀さんがフランス留学のために神戸港を出港したのが1953年、24歳の頃。わたしは3歳でした。最愛の夫ペッピーノを亡くしたのが高校2年、日本に帰国してエマウス運動に汗を流したのが、わたしが大学3年生の頃、エッセイをどんどん発表していったのが、....。わたしの幼稚な人生の足跡に重ね合わせて考えると、須賀さんの人間としての真摯な生き方に、おおくの気づきをいただきます。

注:きょうの写真は、BS朝日の『イタリアへ・・須賀敦子 静かなる魂の旅 最終話 ローマとナポリの果てに』から、霧に包まれたミラノの大聖堂の風景をお借りしております。
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