心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

景色と意識の三層構造

2016-10-01 10:07:48 | Weblog

  先日ネットを眺めていたら、こころの未来研究センター主催のシンポジウム「遠野物語と古典」(2009年11月)に辿り着きました。基調講演は宗教学者で元国際日本文化研究センター所長の山折哲雄先生。テーマは「『遠野物語』と『源氏物語』の距離」でした。
 お話しの中で山折さんは、日本社会の三層構造という表現を使いました。日本列島を3千メートルの上空から眺めると、森林山岳社会としての日本の景色が見える。しかし千メートルまで下がると稲作農耕社会としての景色が見えてくる。そして五百メートルまで下がると近代工業社会の景色が見えてくるのだと。先日、飛行機で九州に行ったとき機上から眺める景色もそうでした。
 山折さんは、視点の高低を調整することによって日本列島の形成における文明化のプロセスが見えてくると言い、人間の意識の中身まで方向づけているという意味で、意識の「三層構造」に触れます。最も根っこにある部分、つまり森林山岳社会を「深層」意識と位置づけ、そこに柳田國男の「遠野物語」の土台を見ます。
 人口の都市集中が懸念され、地方再生の掛け声が高いご時世、狭い狭い都市空間のなかで人が蠢く。しかし、限られた空間のなかでさらに分断化されていく日本社会。かつてのようなムラ社会が良くも悪くも崩壊し、無縁社会といった言葉まで生まれています。
 久しぶりに、柳田國男の「遠野物語」を開いてみました。手元には、筑摩書房の柳田國男全集のほか、大和書房と河出書房の単行本があります。講談社の「遠野物語を歩く~民話の舞台と背景」といったカラー刷りの案内書も。そのうち大和書房の「遠野物語」は、初版序文、再版覚書、遠野物語、遠野物語拾遺、後記(折口信夫)、解説(谷川健一)、補注と充実しています。
 なぜ遠野物語に拘るのか。それは、日本が極めて急速に西欧化し、かつ敗戦によって古き良き文化と伝統を蔑ろにしてしまった上に築かれた近代工業社会、その後に形成される知識・情報社会に、ヒトの心の脆弱性を思うからです。個の中で完結性を求め、上空3千メートルから物事を鳥瞰する視点を失ってはいないか。全体最適の意識が薄れてはいないか。
 毎日のように報じられる東京・豊洲問題。組織が肥大化し縦割りと無責任体制が蔓延する組織風土。そのうえお金に対する意識が欠落しているから始末が悪い。残念なことです。これは東京都に限った話ではなく、わたしには現代日本を象徴している出来事のように見えてしまいます。
 日本の森林率は約7割と言われます。残り3割に過ぎない面積のなかで繰り広げられる不可思議な人の営み。何か大切なものを見失ってはいないかどうか。もういちど原点に立ち返ってみる必要がありそうな気がします。

 少し話が飛躍してしまいました(笑)。ここで話題を変えます。久しぶりに秋晴れとなった昨日、九州旅行のためお彼岸にお参りできなかった家内の両親のお墓参りに行きました。霊園が大和路線の沿線にありますので、お参りが済むとその足で奈良に向かいぶらり初秋の奈良を散策しました。
 JR奈良駅から観光客に交じって「もちいどの商店街(漢字では餅飯殿と書きます)」に入りお店を冷やかしたあと、興福寺に向かいました。ちょうど「五重塔」「三重塔」の特別公開をしていました。五重塔では阿弥陀三尊像、弥勒三尊像、薬師三尊像、釈迦三尊像を、三重塔では弁才天坐像や板絵などが拝観できます。
 三重塔に向かう途中、南円堂にお参りすると、四国遍路の第十三番札所大日寺でお目にかかった賓頭盧(びんずる。梵語でPindola)さんに出会いました。お酒に酔ってお釈迦さまから破門されたというお話しは聞いたことはありますが、案内板には次のように記されていました。
 「十六羅漢の第一尊者、賓頭盧尊者と称する。江戸時代から徐病の撫仏として有名。右手と左手で三回ずつやさしく頭をなでると無病が約束されると言う。赤身は酒を飲みすぎて、一時お釈迦様から破門されたが、後に修行を重ねて一番弟子になった。(しかし、これは俗説)。赤色の本当の意味は、生命が充満して生気の血がみなぎっているさまを言い、それは修行が最高に高まった状態を言う。その時の強い力をいただいて、病気にかからないと言う」。
 どうやら一面的に捉え過ぎていたようです。改心して破門を解いてもらう日を待っているだけではなく、修行を重ねて徳を積んでいる仏さまなんだと。けさ、近所の不動尊にも鎮座している賓頭盧さんを確認しました。ただ、こちらの賓頭盧さんは参拝者に撫でられて赤色が剝げ落ちていたので気づきませんでした。その分、多くの参拝者の方々をお守りになったということなんでしょう。
 遠野物語に登場する昔話。河童、ザシキワラシ、山男、オシラサマ、.........。民間信仰。仏さま。なにやらお伽噺のようですが、その背後にある深層心理に光を当ててみるのも良いかもしれません。きょうは午後、科学と宗教に関するシンポジウムを覗いてきます。
  

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