心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

素の自分と向き合う

2016-10-21 21:24:33 | Weblog

 読者登録をしているブログに「愛犬まるの風だより」があります。昨日の記事を見ると、まる君が21歳のお誕生日を迎えたのだと。歩けなくなり、立つこともできないようですが、まる君の21歳のお誕生日は、私にとっても嬉しいニュースでした。今は亡き愛犬ゴンタは、16歳を越えたあたりから徐々に衰え始め、お散歩の途中で歩けなくなって以降、歩くことも自ら立ち上がることもできなくなってしまいました。でも、まる君はめでたく21歳。大学3年生です。
  きょうは朝、かつて愛犬ゴンタと一緒に歩いた近くの小さな森をぶらり散歩してきました。山あり谷ありの径を、ゴンタは落ち葉を踏みしめながら元気いっぱいに歩いていましたが、今は小鳥たちの囀りだけが響いています。 話は変わりますが、先日、京都に向かう電車の中で、文庫本になったばかりの村上春樹「職業としての小説家」を読んでいました。その第四回「オリジナリティーについて」の中で村上春樹は言います。「自分のオリジナルの文体なり話法なりを見つけ出すには、まず出発点として「自分に何かを加算していく」よりはむしろ、「自分から何かをマイナスにしていく」という作業が必要とされるみたいです」と。
 あまりに多くのものごとを抱え込んでしまっていて、自己表現をしようとすると、それらのコンテンツがしばしばクラッシュを起こしてしまう。身動きがとれなくなってしまうと。だから、とりあえずは必要のないコンテンツをゴミ箱に放り込んで情報系統をすっきりさせてしまえば、頭の中はもっと自由に行き来できるようになるはずだと。そのとき、必要なものと必要ではないものをどう見極めるのか。それは、「それをしているとき、あなたは楽しい気持ちになれますか」がひとつの基準になるだろうと。
 文脈の中の一部を抜き出していますから、ひょっとして誤解があるかもしれません。でも、情報過多の時代、私たちはいろいろな知識・情報に溺れてはいないか。振り回されてはいないか。自分自身の支柱が曖昧になってはいないか。
 田舎から都会の大学に進学した時、大学を卒業して社会人になった時、そして会社をリタイアした時。振り返ってみると、人生には常に「不連続性」が付きまとっているような気がします。その時々で、自分なりに、必要なものとそうではないものを整理してきた。上洛する際、受験参考書類のすべてを焼き捨てたときの爽快感。リタイアにあたり仕事関係の書籍すべてを処分したときの開放感。背負ってきた荷物をそっと降ろして過去の扉を閉ざす。そして新しいステージの向こうに見える「楽しさ」を追う。この繰り返しだったかもしれません。
 でも、ほんとうにそうなのか。ひょっとしたらそれらは表層的なことであって、深層部分はなんにも変わってなんかいないのではないか。亡き母と交わした手紙、高校時代のアルバム、大学時代に書きなぐった諸々、部屋の本棚をながめていると、何も変わってなんかいないじゃないか。そんな幼稚性が見え隠れしています。そこに、もう一度光を当ててみたい。素の自分と真正面から向き合ってみたい。そんなことをぼんやりと考えました。
 そうそう、今週のシニアカレッジのテーマは「社会福祉」と「アクティブ・シニア」でした。午前と午後に分けて4時間。いわゆるアクティブ・ラーニング形式で授業は進みました。そのなかで先生から「一日の中でいちばん幸せに思う時はどんなときですか」という問いかけがありました。「一日を終えた後に一杯の酒を呑むとき」「お布団の中に入るとき」「お風呂に入るとき」「孫と遊んでいるとき」「夫婦そろってでかけたとき」「なんにも問題がないとき」........。いろいろな意見がありましたが、つまり「幸せ」の定義は人ぞれぞれということです。飾りっ気のない素の自分と向き合い、人それぞれが言葉の意味付けをしていく。そこから何か新しい世界が見えてくるのかもしれません。先生は最後に、「千の風になって」を作詞・作曲した新井満の訳による、サムエル・ウルマンの詩「青春」を参考文献として示されました。
 カレッジは、この日から4班に分かれてグループ活動が始まりました。我が班は終業後さっそくキャンパス界隈のカフェでお茶会でした。みんな40年前の学生のようです。役割分担、連絡網の形成、懇親会という名の呑み会の日程などを決めました。三分の二が女性という終始賑やかなグループの旗揚げです。さあてどこまで着いて行けるかどうか。(笑)
 横道にそれてしまいましたが、先日京都にでかけたのは大学時代のクラブOB会開催の下打ち合わせのためでした。今年はホームカミングデーに合わせて開催の予定です。まずは早朝、南禅寺裏の若王子山にある創設者・新島襄のお墓参り。ついで場所を大学キャンパスに移して情報交換会です。懇親会は少し足を伸ばして伏見の酒どころ伏見桃山界隈で開催することになりました。来年は会津訪問、再来年はアメリカ訪問、いずれも新島襄の足跡を追う企画が動き始めています。 

 ここまで書き上げたところで、家内から「四天王寺さんの骨董市に行かない」とのお誘いを受けました。京都・東寺の弘法市には時々でかけるのですが、四天王寺さんは古本祭りしか行ったことがありません。そんなわけでお昼前にお供しました。四天王寺さんに到着すると、広い境内にたくさんのお店が出店していて、平日にもかかわらず驚くほどの人出でした。
 そこで私はビクターのトレードマーク、蓄音機に耳を傾けるニッパー君に出会いました。すでに1匹はいますが、ひと回り大きなニッパー君を、ふだんなら二千円以上はするところ千五百円で購入しました。下の写真は、我が家のニッパー君とご対面シーンです。(笑)
 このような次第で、なんともお気軽な日々を送っていますが、明日の土曜日は旅行会社主催の神戸ハイキングにでかけてきます。神戸の生田神社を起点に、再度公園を折り返し、最後は異人館街にゴール。約12キロを4時間ほどで歩こうというものです。歩き遍路の試金石といったところでしょうか。(笑) 「きっちり足にあった靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていける」。お気に入りのトレッキングシューズを履いて、須賀敦子さんの美しいエッセイに我が心を捧げることにいたします。

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