心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

発心の道場

2016-10-07 22:03:22 | 四国遍路

  7月から始めた四国遍路の旅ですが、先日のツアーで阿波国・徳島県の23カ寺すべてをお参りしたことになります。ものの本によれば、この徳島の遍路を「発心の道場」と言います。「発心」とは正しい目覚めに対して心をおこす意味のようですが、要するに遍路の旅に出たいと思う気持ち、それが「発心」であり、その後の修行へのスタートラインになります。
 今回は、第十六番札所・観音寺から第二十三番札所・薬王寺までを巡りました。最も印象深かったのは、山の上にある太龍寺と鶴林寺でした。前回尋ねた焼山寺を合わせて「阿波の三大難所」と言われています。
 西の高野山といわれる第二十一番札所・舎心山太龍寺は、今ではロープウェイで登ることができます。道の駅「鷲の里」から全長2.7キロメートルの間、眼下に深い森林を眺めながら101人乗りのゴンドラに乗って約10分、標高600メートルの山頂の駅に到着します。そこから樹齢数百年もの杉並木を歩き、女厄坂、男厄坂の石段を登って本堂に向かいます。深く暗い山道を歩いて登った昔に比べれば様変わりですが、昔の「歩きお遍路」がいかに厳しいものであったかが判ります。若き空海が修行した太龍寺のご本尊は虚空蔵菩薩です。
 第二十番札所・霊鷲山鶴林寺も、標高550メートルの山の上にあります。歩けば「遍路転がし」とも呼ばれる難所です。ご本尊は地蔵菩薩。鶴が舞い下りてきたという謂れがあり、仁王門にも本堂前にも鶴の像が鎮座していました。
 第十八番札所・母養山恩山寺は、弘法大師の母・玉依御前ゆかりのお寺です。その昔女人禁制だったそうですが、弘法大師は修行を積んで女人禁制を解き母との再会を果たしました。母・玉依御前はこの寺で髪を剃り出家したとされ、その髪の毛が安置されている「御母公堂」が、太子堂に寄り添うよう建っています。ご本尊は薬師如来です。
 今回は「弘法大師ゆかりの霊水」を巡る旅でもありました。第十七番札所・瑠璃山井戸寺には、大師が付近の水が濁水なのをあわれみ、錫杖で井戸を掘ったところ一夜のうちに清水湧出したという「おもかげの井戸」があります。お加持水をいただいて帰りました。ご本尊は七仏薬師如来です。

 第二十二番札所・白水山平等寺にも、弘法大師が加持祈祷のための水を求めて杖で地面を突いたところ白い水が湧き出てきたという「弘法の霊水」があります。現在は無色透明ですが、万病に効く霊水なのだそうです。また、その昔、犬が曳く木製の車に乗って八十八カ所を巡礼していた足の不自由な人が、この寺にお参りして不自由な足が治ったという謂れがあるそうです。ご本尊は薬師如来です。
 徳島でもっとも南に位置する第二十三番札所・医王山薬王寺は、ウミガメの産卵で知られる日和佐海岸を望む高台にありました。ご本尊は薬師如来です。本堂の裏に「肺大師」という祠があり、ラジウムを含んだ霊水が湧出していて、肺病など諸病に効くのだとか。微量の鉱物元素が含まれていることが科学的にも証明されているようです。ご利益とお寺の名称「医王山薬王寺」がぴったり合っています。不思議ですね。信じたくなります。
 台風18号の影響を受けて2日目は朝から雨が降っていました。第十九番札所・橋池山立江寺では、土砂降りのなかでの参拝でした。ご本尊は地蔵菩薩です。
 街並みに溶け込むように佇む第十六番札所・観音寺のご本尊は、千手観世音菩薩です。千本の手で人の苦を救ってくださる仏様なのだそうです。太子堂の横には「夜泣き地蔵」がひっそりと佇んでいました。

 先達さんの説明では、いくつかのお寺の創建が行基によるとのことでした。先日訪れた長崎は雲仙温泉でも行基の名前が記されていましたが、行基は空海より100年ほど早い奈良時代に活躍した僧です。そのあとを引き継ぐように弘法大師空海が平安初期に活躍したことになります。時代の変わり目に時代を牽引する人、名僧がいたということです。その跡を追うように、けもの道のような暗く細い遍路道を独り黙々と歩き続けたお遍路さん。その強靭な精神力と人間力に思いをいたしました。私の存在のなんと小さいことか。...........薬王寺から宿泊先の徳島市内に向かう途中、那賀川の向こうに見える夕日を追いながら、そんなことを考えておりました。
 ところで明日は、長女の孫次男君の保育園の運動会があります。カメラマン役のお爺さんの出番です。ただ、お天気が微妙で、夕刻、開始時間を早める旨の連絡があったよう。なので、1日早くブログの更新をいたしました。(笑) 

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