いまにも雨が降りそうな朝、天王寺でバスに乗り込み一路四国をめざしました。バスに揺られて7時間。延光寺に到着したのは午後3時を回っていました。四国八十八カ所遍路の旅は今回、四国の深い山々と美しい海岸線をながめながら足摺岬から宇和島界隈の6カ寺を巡りました。暖かい春の陽気につつまれた気持ちのよいお遍路でした。 第三十九番札所・赤亀山延光寺(宿毛市) ご本尊は薬師如来
第二十八番札所・蹉?山金剛福寺(土佐清水市)ご本尊は三面千手観世音菩薩
第四 十 番札所・平城山観自在寺(南宇和郡) ご本尊は薬師如来
第四十一番札所・稲荷山龍光寺(北宇和郡) ご本尊は十一面観世音菩薩
第四十二番札所・一カ山佛木寺(北宇和郡) ご本尊は大日如来
第四十三番札所・源光山明石寺(東宇和郡) ご本尊は千手観世音菩薩 まず初めにお参りした第39番札所・延光寺は、723年聖武天皇の勅命により行基が建立したと言われています。山門をくぐると、梵鐘を背負った亀が出迎えてくれました。本堂、大師堂で般若心経をお唱えしたあと、先達さんに案内されたのは「目洗井戸」でした。案内板には「延暦14年、弘法大師久しく当山に錫を止め再興の方を修せらるに浄水とぼしきを嘆かれ、本尊に擬して地を掘りて加持すれば霊水自ずから湧き出でる。大師この水を宝医水と名ずけた」とあり、眼病に霊験ありと伝えられています。眼科の精密検査をうけた直後だったので、さっそく小さな井戸からお水を汲んで眼を濡らしました。
順番は逆になりましたが、次に向かったのは足摺岬にある第38番札所・金剛福寺です。第37番札所の岩本寺からは80余キロ、四国霊場の札所間では最長距離なのだそうです。歩いたら30時間、3泊4日かかるのだと。まさに「修行の道場」です。この日黙々と歩く三組のお遍路さんに出会いました。そのうちの一組は、なんと外国人女性の方々でした。
四国の最南端、国立公園の足摺岬を見下ろす丘の中腹にお寺はあります。ツバキ・ウバメガシ・ビロウ等の亜熱帯植物が密生した遊歩道が続き、弘法大師はその岬突端に広がる太平洋の大海原に観世音菩薩の理想の聖地・補陀落の世界を感得したのだそうです。
そうそう、展望台の入口に、ジョン万次郎(中村万次郎=1827年~1898年)の立派な銅像がありました。案内板によれば、万次郎は「近代日本初の国際人。中ノ浜出身。1841年出漁中に遭難するが、アメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号のウィリアム・H・ホイットフィールド船長に助けられ、船長の生地フェアヘーブンで学校教育をうけるとともに見聞を広める。1851年帰国後、その国際知識をかわれて幕府直参となり、1860年には遣米使節の一員に加えられるなど、開国にむけて大役を果た」したのだと。地元ではいま、NHK大河ドラマ化を願って署名活動を推進中でした。ちなみに、万次郎が米国で過ごした時代は、ヘンリー・D・ソロー(1817年~1862年)と重なります。
ここで初日は打ち止め。この日のお宿は「あしずり温泉郷」でした。同宿者は4名。88歳のお元気なご老人は奥様の末期癌が見つかって以後3回目のお遍路だとか。私と同い年の方はリタイア後の生き方を考えるため。離婚を機会に自分を見つめなおそうとしていらっしゃる方もいました。四国お遍路の旅には、人それぞれの思いがあります。この日も美味しいお酒をいただきながら語り合いました。
二日目最初に向かったのは観自在寺でした。「観自在菩薩 行人般若波羅蜜多時....」で始まる般若心経を思います。山門の天井には十二支の方位盤があり、その真ん中に亀が配されています。十二支守り本尊が並ぶ仏像群の中から「丑寅とし 虚空蔵菩薩」を探してお参りをしました。一番札所・霊山寺からもっとも遠くにあり「四国霊場の裏関所」とも呼ばれています。この日は穏やかな春の日差しがまぶしいお参りでした。
龍光寺には山門がありません。鳥居をくぐると仁王像に代わって狛犬が迎えてくれました。境内には狐とお地蔵さんが仲良く並んでいて、仏と神が同居しています。それもそのはずです。明治の神仏分離令(廃仏毀釈令)によって、もとの本堂は稲荷神社となり、その神社の横に新しく本堂が建てられました。なんだか悲しい歴史を思います。帰り際には稲荷神社にもお参りをさせていただきました。
次に訪ねたのは佛木寺です。このお寺の鐘撞堂は立派な茅葺でした。本堂、大師堂などが整然と立ち並ぶ広々とした境内の隅に家畜堂があります。牛の背に乗った弘法大師の伝説が語り継がれ、かつては農耕を共にした家畜たちの安全祈願の場になっていたようですが、最近はペットなども含めて動物一般の霊を供養しているということでした。愛犬ゴンタのことを思って手を合わせました。
打ち止めは明石寺でした。ご本尊の千手観音菩薩像は渡来仏なのだそうです。案内板をみると、「本来の名は『あげいしじ』ですが、現在は『めいせきじ』と呼ばれています。土地の古老たちは、この寺を親しみを込め『あげいしさん』または『あげしさん』と呼んでいます。この『あげいし』という名はその昔若くて美しい女神が願をかけ、深夜に大石を山に運ぶうち、夜明けに驚き消え去ったという話を謳った御詠歌の「軽く上石」からついたと伝えられています」と記されていました。御詠歌のことは不勉強ですが、この明石寺の御詠歌は「聞くならく 千手のちかい ふしぎには 大盤石も かるくあげいし」とあります。日本むかしばなしのようなお話しです。
境内の裏山にある「しあわせ観音像」に皆で手を合わせて帰路につきました。身の丈2m、長い袂着物姿で左手に水瓶をもつ慈悲深いお顔の観音さまでした。
昨年7月から始まった八十八カ所遍路の旅も59カ寺を数え、あと29カ寺になりました。愛媛県6カ寺、香川県23カ寺です。結願までもう一息です。