先週、ブログを更新した日、急に思い立って兵庫県は三田市に出かけました。特に思い入れがあったわけではないのですが、ちょうどお部屋が空いていたので神戸ホテルフルーツ・フラワーを覗いてみることにしました。自宅を出ておよそ2時間。宝塚を過ぎた辺りから車窓の風景が一変します。新緑につつまれた田園風景が広がり、ちょっとした旅行気分でした。 西洋のお城のようなホテルは、道の駅神戸フルーツ・フラワーパーク大沢の一画にありました。有馬温泉と同じ泉質を誇る神戸大沢温泉「金仙花の湯」や遊園地などが併設されていますが、GW明けのこの日の客は私たちのような孫疲れ(笑)の老夫婦が大半でした。
駅前の観光案内所でいただいたパンフレット「ぶらり歴史めぐり街めぐり」を開いてびっくり。「明治・大正・昭和の激動の時代を駆け抜けた白洲家三代」とあります。ここ三田市は白洲次郎を生んだルーツでした。つい先日、白洲正子の「西行」を読み直したばかりでしたが、心月院の白洲家墓地には白洲次郎と正子の五輪塔の板碑が寄り添うように建っているとも記されています。
さてさて、そんな思いに浸った先週末、5回目の四国遍路ツアーに行ってきました。今回は「逆打ち」で、高知市の30番善楽寺から南下して室戸岬の24番最御崎寺まで7カ寺を巡ってきました。山々は若葉に覆われ、田植えが終わったばかりの田圃では初夏の光が眩しい、そんな日本の原風景を堪能しました。
29番国分寺付近にはその昔、紀貫之が国司として数年間を過ごした土佐国衙跡があります。その任を終えて都に帰る模様を著わしたのが「土佐日記」ですが、貫之御一行様は25番津照寺辺りの室津港から船に乗って大阪に向かい、淀川をのぼって京の都に帰っていったのだそうです。
その夜はバスでお隣にお座りの方と高知市内で一献傾けながら遍路談義に花を咲かせました。これも一期一会ということなんでしょう。 翌日はまず27番神峯寺に向かいました。前回歩いて登ったのもちょうど5月の今頃の季節でした。今回はお山の麓で大型バスから乗り合いタクシーに乗り換えて楽々の登山です。200段近い石段を登って境内に向かいました。道中、遍路道の入口に「マムシ注意」の看板がやたら目につきました。そろそろ動き出す時季でしょうか。
26番金剛頂寺、25番津照寺を経て、最後は室戸岬の灯台近くにある24番最御崎寺をお詣りしました。ここに来て心配していた雨がぽつりぽつり。灯台を見ることもなく足早にバスに戻りました。自由気儘な歩き遍路と違って、綿密な旅程に沿っての集団行動ですから、残念ながら空海が修行したという御厨人洞を覗いたり室戸岬公園を散策したりする時間はありませんでした。
そう言えば数年前、徳島の23番薬王寺から室戸岬に向かって延々と続く海岸沿いの遍路道をほぼ1日をかけて歩いたことがありました。はるか遠くに見える岬をめざすも、そこに到達するとその先にまた同じような岬が遠くに霞んで見える。そんな繰り返しに心がめげそうになったこともありました。それでも歩き通した自分が信じられません。人間って本当に不思議な生きものです。その道程を今回はバスで2時間ほどで走り過ぎて行きました。
今回も至るところでフランスやスペイン、ドイツ、アメリカ、韓国からやってきた歩き遍路さんに出会いました。シニアのご夫婦の姿もあれば「南無大師遍照金剛」と書かれた白衣を身にまとった20代の女性の姿もありました。アメリカからおいでのようでしたが、笑顔で「こんにちわ」とご挨拶をいただきました。見知らぬ国の薄暗い山の中の遍路道を独り黙々と歩き続ける辛さ。いやいや、何か巡礼を楽しんでいらっしゃるようにもお見受けしました。
四国八十八カ所遍路の旅への思いは人それぞれです。国や宗教の違いを越えてなお惹きつけられる何かがあります。来月は二泊三日で高知市の31番竹林寺を皮切りに足摺岬を経て愛媛県は宇和島にまで足を伸ばします。