心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

淀川を知る~人の暮らしが見える河川の歴史

2023-05-23 11:15:10 | Weblog

 きのう、伸び放題になっていたアケビの蔓のお手入れと庭掃除に汗を流し、そのあと熱帯魚の水槽を掃除していたら、いつの間にかお昼になっていました。加齢とともに動作が鈍くなってきたからなのか、1週間もあっという間に過ぎていきます。
 今年は柑橘類(レモンとスダチ)に実がつきません。何が原因なのか分かりませんが、とりあえず来期に向けて枝のお手入れをしておきました。そのとき、無花果の葉っぱになにやら得体の知れない虫が羽を広げて休んでいます。Googleレンズで調べてみると、クチバスズメという名の蛾でした。初夏を迎えて昆虫たちの活動が目立ってきました。
 先週の水彩画教室は、久しぶりに教室から外に出て写生会でした。場所は天満橋の八軒家浜(はちけんやはま)船着場です。都島区の毛馬閘門で淀川から別れて大阪湾に注ぐ大川沿いにあります。昔は京の都から舟で下ってこの船着場で降りて、ここから住吉大社や熊野詣に向かったのだそうです。
 その数日後、京阪電車「石清水八幡宮駅」から歩いて10分ほどのところにある「さくらであい館」で開かれた歴史講座「淀川絵図で水の道をくだる」を覗いてきました。会場は桂川、宇治川、木津川の三河川が合流する背割堤にあって、桜の季節には大勢の花見客で賑わう所です。八軒家浜から北上して京の都に向かう中間点でしょうか。東に石清水八幡宮、西には山崎を望むことができ、紀貫之の「土佐日記」にも登場する歴史的な場所です。
 この日は、京都産業大学の鈴木康久先生から、資料「淀川水系 河川絵図集成」に沿って、淀川にまつわる舟運や沿岸の土地利用、河川の管理などの歴史について興味深いお話しを伺いました。なによりも、河川を人の暮らしの対立軸として見るのではなく、交通(舟運)と生業の視点も交えて、測量図とは違いデフォルメされた河川絵図を丁寧に読み解いていただいたところに新しい学びがありました。(下の二枚目の写真は淀川両岸図巻の部分抜粋「大山崎付近」。画面右下に石清水八幡宮のある男山)
 その余韻を引き摺ったためか、家に帰ってからも、樋口覚著「淀川下り日本百景」を開いてみたり、LPレコード棚に眠っていた松下真一作曲「交響幻想曲<淀川>」(朝比奈隆指揮、大阪フィル)を聴いたりと、淀川の表情を思い浮かべながら夜のひとときを過ごしました。
 川と人の暮らし....。八岐大蛇神話にも登場する斐伊川沿いで生まれ育った私にとって、河原は恰好の遊び場でした。水遊びをしたり、魚釣りに興じたり、磁石で砂鉄を採取したり。豊富な水は私たちに多くの恵みを与えてくれました。そんな斐伊川も、機嫌を損ねると荒れ狂う大蛇に変身します。穏やかな夏のある日、何の変哲もない岩壁の縁で小さな子が渦に巻き込まれて亡くなるという痛ましい出来事もありました....。その後、京都に出てくると、鴨川べりを歩いて大学に通いました。社会人になり結婚した当初は淀川にほど近い所に居を構え、休みの日には子どもを連れて広々とした河川敷で深呼吸をしたものです。
 旅で出会った川もたくさんあります。石狩川、墨田川、大井川、吉野川、仁淀川、四万十川....。海外に出かけると、テムズ川、ライン川、ドナウ川、セーヌ川、ハドソン川、ナイアガラ川。行く先々でいろんな表情を見せる「川」に出会いました。悠々と流れる大河もあれば、小さな街中でアルプスの雪解け水が勢いよく流れる川を前に足が竦んだこともありました。
 「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」とは鴨長明「方丈記」の一節ですが、早いもので2023年という年の折り返し地点がぼんやり見えてきました。まずは毎日を新しい気持ちで迎えることができることに感謝です。
 昨日は3カ月検診が無事に終わりました。いくつかの宿題を除いて取り立てて大騒ぎするほどでもありませんので、週末には仲間たちと箕面の滝にでかけます。これで今年の新緑は見納めです。

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