昨夜、NPOの帰りに山本能楽堂の伝統芸能塾(夜の部)に寄って帰りました。9時過ぎに最寄りのバス停につくと、夜空にたくさんの星が見えました。オリオン座、こいぬ座、おおいぬ座。ひときわ輝くベテルギウス、シリウス、プロキオンが、いわゆる『冬の大三角』を形づくっています。
話はがらりと変わりますが、先日何気なくテレビニュースを見ていたら、イエメンの反政府武装組織フーシ派の商船攻撃の影響で、欧州とアジアを結ぶスエズ運河を通航する船が激減していて、それがエジプトなど周辺国の経済に打撃を与えていると伝えていました。そして画面には、スロベニアに隣接するイタリア北東部の港湾都市トリエステの港が映っていました。
ト・リ・エ・ス・テ.......。
須賀敦子著「トリエステの坂道」。
ずいぶん昔、イタリアを旅したあと、須賀敦子のエッセーに魅せられた時期がありました。たまたま天満橋のジュンク堂書店で本棚を眺めていたら、当時親しくさせていただいていた某電鉄会社の会長さんとばったりお会いして、「君らしいなあ」とお勧めいただきました。
聖心女子大学を卒業後、パリ大学に留学。その後イタリアはミラノで暮らし、鉄道員の息子でコルシア書店で働くペッピーノと結婚したけれども、5年ほどで死別。その何年かのちに帰国して、慶應義塾や上智大学の非常勤講師を務めながら、イタリア文学の翻訳者、随筆家としても活躍した女性です。
いったい彼女の何に惹かれたのか.....。物事を真正面から見つめ、美しい言葉で紡ぐ作品の数々。イタリアの風景と人の心が色鮮やかに浮かび上がってくる作品の虜になりました。須賀敦子全集8巻を貪るように読みましたが、それは私にとって文章修行でもありました。
そんな彼女の作品のひとつに「トリエステの坂」があります。ペッピーノが親しんだ詩人ウンベルト・サバが暮らした街トリエステ。アドリア海に面した坂の多い港街は、彼女の生まれ故郷神戸の街に似ていたのでしょう。須賀は夫亡き後1人でその街を訪ね歩きました。
その後、私は彼女の「ユルスナールの靴」で「歩く」ことに目覚めることになります。「きっちり足にあった靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ」。そんなプロローグで始まる一冊の本との出会が、リタイア後、私の四国遍路につながっていきます。
手元にある「須賀敦子が歩いた道」(新潮社)をめくると、私が若い頃に訪ねたローマ、ミラノ、アッシジ、フィレンツェ、ヴェネツィアなどの風景が広がります。立春を迎えて何となく春めいてきたここ数日、須賀敦子の世界にどっぷりと浸かっています。