ここ数日、雨が降ったり止んだりしていますが、なんとなく春の足音を感じるのは私だけでしょうか。そんな休日の朝、愛犬ゴンタとお散歩をしてきました。里山の樹木の枝先がなんとなく淡い土色に変わるこの季節、街のいたるところで水仙が花開いています。我が家のテーブルにも、庭の水仙の花が飾ってありました。きょうは、CD「覚えておきたい日本の童謡・唱歌名曲50選」を聴きながらのブログ更新です。
さて、大阪に戻った先週末、久しぶりに最寄駅まで歩いて帰りました。ふつうだと15分ほどかかるのですが、この日は馴染みの古書店をのぞき、店主にご挨拶です。で、ぼんやりと書棚を眺めていたら、名著復刻日本児童文学館「西條八十童謡全集」が目にとまりました。大正13年5月25日刊新潮社版の復刻、ほるぷ出版が昭和50年に出版したものです。
その夜、おもむろに「西條八十童謡全集」を開くと、なんとこの本、フランス綴じです。フランス綴じとは、綴じただけで裁断をせず縁を折り曲げて紙表紙などを被せた装丁のこと、要するに袋とじ状態です。それをペーパーナイフでページごとに切って読んでいくのです。本来は、愛書家が自分用に装丁し直すためのもののようですが、詩集や童謡集のように、言葉自体の意味をじっくり噛みしめながら読んでいく分には良いかも。贅沢な時間が流れていきました。
読書の態様も、時代とともに様変わりです。一昨日ipadの新製品が発売されましたが、いまや本もデジタルの時代です。綺麗な画像を含めて情報満載のデジタル書籍がずらり揃っています。でも、何か物足りない。なんど開いても新品同様の澄まし顔の紙面が目の前に現れる。なんど出会っても初めてお会いするような白々しさが付きまとう。少しぐらい手垢がついたっていいではないか。もういちど読み返したい頁の片隅を少し折り曲げておいたっていいではないか。時代の流れについて行けない初老の戯言がつづきます。
こう考えてみると、フランス綴じって捨てたものではありません。言葉数の少ない詩集の奥に潜む作者の心、ひとつひとつの言葉の意味を、読み解いていく、そんなゆったりとした時間が心を豊かにしてくれます。
ところで、西條八十の童謡のなかに「かなりや」があります。小さい頃からよく知っている歌ですが、その詩を改めて言葉として読んでみると、なにやら児童の愛唱とは思えない世界が見えてきます。
唄を忘れたカナリヤは 後の山に棄てましょか
いえ いえ それはなりませぬ
唄を忘れたカナリヤは 背戸の小藪に埋けましょか
いえ いえ それはなりませぬ
唄を忘れたカナリヤは 柳の鞭でぶちましょうか
いえ いえ それはかはいそう
唄を忘れたカナリヤは
象牙の船に 銀の櫂
月夜の海に浮かべれば
忘れた唄をおもひだす
少し怖いですね。「あとがき」のなかで西條は言います。「一般に動物愛護の歌と解されているこの謡のかげには、過去の或る時期に於ける私の苦悩の姿が宿されている。歌を忘れたカナリヤとは当時、吾と自ら詩を離れて商売の群に入り埃ふかき巷にししゅの利を争っていた私自身の浅ましい姿」なのだと。人それぞれ、人生さまざま。いろんな隘路をくぐりながら「今」がある。10行の詩のなかに西條の奥深い息遣いを思いました。
これもフランス綴じの醍醐味なのでしょうか。私の指先が、少し分厚い紙質を妙に温かく感じています。
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