Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

越冬キャンプ旅行ースペインのナショナルパークへ

2013-12-03 12:33:06 | キャンピングヨーロッパ 2013-2014

 

 

亭主の出血がひどかったから退院後もアンドラのキャンプサイトに留まり、ちょうど1週間後にスペインへ向かった。

 

 

 

 

この日も素晴らしい青空でアンドラの山を南に向かって下り途中から西に折れて最初の田舎道を北へ向かう。まるでアンドラと平行にピレニー山脈へ向かって曲がりくねった山道を登って行った。娘婿がサイクリングに熱中していて、激しい坂道ほど闘志を燃やす。彼がこの道を見たら大喜びするのに・・・・と言ったものだ。

 遠くに雪山が見える盆地や谷間の小さな村を通り過ぎる。あたりの景色はどこをとっても絵になりそう。

 

道路を群れて走ってくる馬は足が短く,胴が大きく太いから農作業に使う馬かしらと思ったのに、たぶん闘牛士が乗って牛を殺すための馬じゃないかと亭主がいう。確かに今の時代トラクターがあるのだもの馬はもう作業をしなくなっただろう。

 

  

とうとう激しいジグザグ道の胸突き坂を上ったところが2027M、山頂は晴天にもかかわらず風が強く真冬の寒さ。近くの山々はうっすら雪化粧。

この辺りはスペインのスキー場メッカらしい。山頂から急斜面のジグザグのあちこちにスキーリフトが設置されて物好きな観光客3人が寒そうに歩き回っていた。

  

 

 

 

山の中腹からはホテル群とスキーリフトでこの辺りはピレネー山脈の懐に入った谷間らしい。まだスキーには早くあたりに人影も見えないが、シーズン中は大いに賑わうのだろう。時々真っ黄色に黄葉した林やまだグリーンの芝生の村のスクエアーなどを見ながら谷間を下りまたひと山越えて南へ向かった。その間に2か所のキャンプサイトを訪れたが、本では開いていると書いてあるのに閉まっていて、そろそろ夕方少しづつ焦りが出てきた。

 

やっと小さな寂れたキャンプ場を見つけ一泊することに・・本当に有り難かった。

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越冬キャンプ旅行ーアンドラ・ラ・ベラ

2013-12-02 15:55:13 | キャンピングヨーロッパ 2013-2014

   

 

アンドラ中央病院に入院した亭主を見て、またタクシーでキャンプサイトに帰り着いたのは夜中の1時頃だった。病院へ入ってしまえばもう大丈夫と安心してぐっすり眠った私って悪妻?

翌朝は割と早く目覚め、入院に必要なものを取り揃えてまたタクシーで病院へ行った。夜はどこを走っているのかが判らなかったけれど日中は大体の方向や道筋が判る。この病院はキャンプサイトとは川を挟んで反対側、北方の山の中腹にあり、車は一直線には登れない。両脇高層建築でいっぱいのジグザグ道をずんずん登ってゆく。知らない道というのは遠く感ずるものだが、この日以来タクシーは使わず歩いて直線道路を開発した。

  

中央の川沿いを町の中心に向かって歩き、めぼしい橋から左に折れて100メーターくらいで病院の真下に着く。歩いて30分で行き着く。なんとラッキーなことにここには一般市民使用のエレベーターがあって病院の地階に着く。

 

亭主は3階のきれいな個室で医者はある程度英語が話せるが、看護婦さんはほとんどダメ、スペイン語で会話しているとのことだった。私が行ってすぐ病院の会計士から電話が入り来てくれという。さすがは会計士英語が話せて、1000ユーロの手付け金を払ってくれという。差額は退院する時でいいからと言われすぐに支払った。スペインかフランスならば払うことはなかっただろうにと亭主の嘆くことしきり。アンドラがEU 圏に入っていないなどとはあまり知られていないのではなかろうか?

 

亭主は3泊入院して無事退院できた。差額は400ユーロ足らず、これがアメリカやノルゥエーならどれほど多くの医療費を払わなければならなかっただろう。一応5000ユーロくらいはと計算していたから本当にホットした。

  

亭主の入院中の丸2日間病院へ行ってもお昼近くからショッピングに操出し、小さな首都の町のほとんどを見て回ることができた。2年前に来た時に見つけたスーパーの2階にあるセルフサービスのレストランで何十種類ものサラダを中皿いっぱい盛り上げても3ユーロ、冷たいスープ・ガスパッチョが一杯3ユーロで毎回これ以外にほしいものがない。

ほかのカウンターには肉や魚のグリルやローストなどもあるが,歳とともに肉を食べたいという気持ちが少なくなってきている。

 

ウインドウショッピングで見た限りでは町のほとんどが、酒類、たばこ、香水、時計とカメラのお店。あとは若者向けのファッション衣類。タックスフリーですべて安いのだろうが何を見てもほしいものがない。

 

でも明るい青空で、華やかな町を歩き回り大いに楽しんだ二日だった。

亭主が退院したその夕、まだ明るい夕空に大きな半月が現れ、久しぶりの空を仰いだ亭主が見つけた。

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越冬キャンプ旅行ーアンドラ キャンプサイト 

2013-12-02 12:43:45 | キャンピングヨーロッパ 2013-2014

 

 

 

 

今年のピレニー山脈には雪が少ない。3年前のほぼ同じころにここを訪れたがあの時は山頂では道路わきまで雪があった。今回は遠くの山並みが白く青く輝いているが、周囲には雪はみえない。アンドラはただ一本のメイン道路わきに建てられた住宅地やホテルとお店からなる小さな山国で、山頂に近いほどスキー客のためのホテルが多く、首都のラ・ベーラは中腹より下の谷川の両脇にできた狭い平野にある。

この国では食料や全ての物資は輸入に頼るしかないのに、タックスフリー(無税)で通貨もユーロ。ユーロ圏の真ん中にありながらユーロには加入していない。新鮮食料品はあまり安いとは思えないが、ノルゥエーほどではないし、ディーゼルが信じられないほど安い。1リッター1ポンド(150円)くらい。いかに燃料にかかる税金が高いか判るというもの。

  

ラ・ベーラの町はずれにキャンピング・ヴァリラ(Camping Valira)がある。一年を通してアンドラで開いているキャンプサイトはここだけ。何しろ谷間の土地は狭く住人のほとんどは高層住宅に住んでいる。このキャンパーを停める場所はテラス状になっているが、これだけの広い土地をキャンプ場にしているだけでもアパートの住人達には垂涎の的だろう。

キャンピングサイトのオーナーは大変人の好さそうなおじさんで、英語は全然話せない。それでも私が日本人とわかると大喜びでスペイン語でしゃべりまくる。

スペイン語がやや話せる亭主は何とか会話が通じる。

この屋内プールはおじさんの自慢の一つ。

このサイトに着いたのは午後3時ころ、亭主の血尿は止まったり出たりで様子を見ていたが夜も10時ころには悪化し、とうとう救急センターへ行くことに決意した。

サイトのオフィスは閉まっていてタクシーを呼ぶのにおじさんに聞くことができない。サイトに付属したレストランが開いていたのでタクシーを呼んでもらった。

 

亭主はこの夜からアンドラ中央病院に入院した。

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越冬キャンプ旅行ーアンドラへ

2013-12-01 16:44:31 | キャンピングヨーロッパ 2013-2014

アンドラへ(To Andorra)

  

 

 

カホアーの郊外・ルゼックへ行くのに、カーナビに頼ったばかりに、大きなメインの道路から離れて狭い田舎道を走り回った。その最たるものがキャンプサイトにあと1kmもない山道、曲がりくねった狭い道を亭主は恐る恐るで降りてゆくのだが、その景色の素晴らしいこと、私一人がシャッターを切りながら大喜びしていた。

この辺りはワイン製造の農家らしい。あたりの空気からしてワインの甘い香りがただよう。

翌早朝、巨大なタンクローリーが各農家のワインを集めに来ていた。

 

先回の北欧の旅でも書いたように私たちは旅行保険をかけない。健康に関してはEU圏内では救急の医療費は無料だし、長期になる旅行保険はほとんど探すのも無理、若者が1年も海外旅行しても保険料は私たちの1か月分くらいのもの。英国でも75歳までは1,2か月の旅行保険が掛けられたから、亭主が75歳まではリュックサックを背負ってボルネオやベトナム、カンボジア、ニュ-ジーランドまでバックパックの自由な旅を楽しんだものだ。歳とともに保険料も上がるのは仕方ないにしても,既往病歴が多いと保険会社もうんと言わなくなる。今年82歳の亭主は多くの病歴で5-6種類の薬を飲んでいる。

  

フランスのピレニー山脈のふもとからアンドラの山へ登ってゆく。朝は霧か雲が立ち込めていて太陽が丸く小さくカスミの間に見えていたが、霧がはれ青空が急に広がって、昨日までの雨がうそみたい。

 

 

まだフランス側のスパーマーケットでショッピングしトイレを借りた亭主が、血尿が出たと心配している。実際に見てない私は大したことがないだろう、水を沢山飲んで洗い流すようにしたらと元気づけ、本人も気を取り直してアンドラまでの紅葉に彩られた山道を登って行った。

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越冬キャンプ旅行ーカレンナック(Carennac)

2013-12-01 11:43:17 | キャンピングヨーロッパ 2013-2014

 

 

 マーテルの観光案内所でのインフォメーションを元に、ロカマドアーの町へ戻る前に遠回りして立ち寄ったカレンナックも、ドドイン河のほとりの小さな中世の町。

谷川に沿った土地はほとんど平地がなく駐車場は町から山に登って途中の小さな平地を開拓したものだった。キャンパーを降りると同時に雨が降り出し、町の中を歩き回っているときは土砂降りだった。

 

白っぽい石作りの建物に石を敷き詰めた路地も雨に濡れ、通りでは人影も見えない。

 

 

ドドイン河の流れの反対側にこじんまりしたお城が建っていた。城の塔は傷みが激しく修理中らしい。城の内部は美術館になっていて城の壁に現在展示中のサクシックという画家の絵が数枚飾られていた。美術館への入り口が判らず、それに美術館が開いているかどうかも判らずで雨で光っている石畳の路地を一回りしてキャンパーに戻ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

ロカマドアーの町へ着くころには雨もやみこの2日で初めて青空が見えるようになり、町を見物した後、この地域に開いているキャンプ場がないので南50-60kmのルゼック(Luzech)のキャンプサイトへ向かった。

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