Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

最後のキャンプ旅行ーザグレブ(Zagreb)クロアチア 工芸博物館

2016-06-14 19:38:10 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

 

まずは3階に上がり古い時計や懐中時計などを見学

   

ここにもピエタ像があった。

 

 もう今では見られない優雅なティポット、これは見るだけでなく欲しいものだ。私はこんなティポットが好きでいつの間にか20個近く集めてしまった。

 

 

 

 モダンな絵のステンドグラス。宗教的でないところがとってもいいし、色彩が素敵。

 

 陶器のコレクションも多数あったがこの花瓶の模様が気に入った。大きさ30センチほどもある鯉は背中が蓋になっていて、面白い容器だ。

 

 精巧に削って作られた祭壇はどこかの教会から持ってきたものであろうか?宗教きらいの亭主が感心していた。

2階のテラスの透かし彫り。

 

 

 階段の手すりのメタルワーク。

 

 

左上の写真は見ても余り解らないが、大きな紙(たぶん和紙であろう)を細かく切り網目のようにしたもので天井の明かりのデコレーションにしてあった。 たった1枚だけ入れた絵はレンブラント作とあったからで、絵の意味が分かればもっと面白いだろう。

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最後のキャンプ旅行ーザグレブ(Zagreb)クロアチア その2

2016-06-13 19:03:23 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

 

 

 

 ザグレブは1972年私が初めて英国へ来た年に、ポールと旧ユーゴスラヴィアを通ってギリシャまで旅行したことがあり,行きは海岸線を南下し、当時アルバニアは鎖国していたから迂回してギリシャへ向かった。帰る際にザグレブへやってきたが、若くて何も知らない私は、共産圏というだけで暗い印象を持っていた。

ザグレブの駅を出た途端の人込みと明るい広場、行きかうカラフルな路面電車は一瞬にして過去の印象を消すのに十分。

共産国の国力を顕示するに十分な巨大な建築物が目白押しの駅前を左に向かった。町は碁盤の目のようになっているから地図を見ても判りやすい。

 

 

  

 

歩いてほどなく左手に植物園があり、入ってみた。木の葉の露が朝日に輝き、人気のない細道を歩き回る。高さ10メーターもある大きな木に直径10センチ以上はありそうな緑の玉がたくさんついていた。初めて見たもので木の幹の小さなインフォメーションカードには北アメリカ原産Maclura Pomiferaまたの名をOsage Orangeとある。

どんな植物園でもいつも珍しい植物に会えてうれしい。右上の写真はカボチャかヒョウタンの種類であろうか。

 

 

 植物園の道路を挟んだ反対側には屋根の上の飾りが面白く望遠で写してみた。4羽のフクロウが地球を支えている。この建物はクロアチア国立古文書館でクロアチアで一番美しい建築物と言われているそうだ。

 

 古文書館の前のスクエアにある大きな銅像はクロアチア文学の父と呼ばれるマルコ・マルリッチ(1450-1524)。この街には有名人の銅像が多い。チトー将軍広場の一辺にある工芸博物館は1880年に建設され,2階3階にはあらゆる工芸品とデザインの展示が見られ、二人で40クーナ(5ポンド)払って見学してきた。

 

 

 チトー将軍広場の真ん中に建つのは国立劇場で正面玄関の上にマダムバタフライの宣伝がみられる。

 

ペタル・プレラドヴィッチ広場は花の広場と呼ばれる。

 

 

広場に面した小さな教会の華麗さには驚いた。クロアチア大聖堂よりもずっと素晴らしい。 

 

 

 ペタル・プレラドヴィッチはクロアチアと愛をテーマにした詩を書き将軍でもあった人で、広場の名前は広場に立つ像と彼の名前に由来している。

 

イェラチチ総督広場は過去には共産国広場と呼ばれたこともあったそうで、この総督は19世紀の軍人で奴隷解放、独立の闘士として国民的英雄と評価されている。この広場はザグレブの中心地として19世紀初めには優美な建築物が建設された。

 

 ドラツ市場は大聖堂の近く毎日野菜果物が売られ、横の屋根付き魚市場では新鮮な魚がうられている。トマトとリンゴを買ったけど安くておいしく、亭主が喜んでいた。ザグレブは海からは遠く新鮮な魚は毎日海岸から運ばれてくるのだろう。この日近くのレストランでイカのフライを食べたがとてもおいしかった。

  

 

  

 カプトルと呼ばれる大聖堂は町の高台に建てられその2つの塔はザグレブのあらゆるところから見えるという。観光客がいつもあふれていて、聖堂の前の広場に立つ聖マリアと4人の天使は太陽に輝いている。

 

 

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最後のキャンプ旅行ーザグレブ(Zagreb)クロアチア その1

2016-06-12 17:41:00 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

 

 キャンプサイトはザグレブから電車で17分それに送迎バスで10分の田舎の湖のそば。キャンパーはトイレ、シャワー、洗濯室などの建物を中心に放射状に停車するようになっていて、車が走る地面は大小の丸太を10センチくらいに切ったものがモザイク状に埋め込まれている。ずいぶん手の込んだサイトで今までで初めて見た。朝9時にサイトのバスが駅まで送ってくれ午後4時に迎えのバスが駅で待っている。

 

朝夕はものすごく寒いが、毎朝素晴らしい天気で湖の水面にもやがただよっている。

 

 9時10分の電車はウルトラモダーンなそしてきれいな新しい電車で、往復の電車代も安い。

 

 電車の窓から見える建物や駅の掲示板など落書きがひどくて、これは西洋自由主義の結果でなかろうかと疑ってしまう。

 

ザグレブの駅で電車を待つ間見ていると落書きにまみれて見られないような電車から

 

 

 

 

 ウルトラモダーンな新型車、ディーゼルエンジンの旧型まで様々。夕方4時近くに帰ってくるときはまだラッシュアワーには1時間はありそうなのに電車は満杯。座席とり競争が激しい。

 

 

ザグレブの市内は路面電車が縦横に走り郊外に向かっては1または2両のバスが走っている。

 

 

 

 

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最後のキャンプ旅行ールビヤーナ美術館

2016-06-11 18:00:17 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

 

ルビヤーナの繁華街を離れたアメリカ大使館の近くにあるルビヤーナ美術館はスロベニアのアーティストの作品を一堂に集めてある。世界的に有名なというアーティストは一人も見かけなかったが一回りしてみて私の好きな絵を主に写真に写してきた。 

 

 

 

上4枚の彫刻は全部ピエタという題名のもので高さが30-40センチほどの木彫りのもの。ピエタといえばシスティナーチャペルのピエタがあまりにも有名で、あれは大理石を彫ったもので見上げるような巨大なものだし、作品の完成度が全く違う。これらのちゃちな彫刻はほとんど各教会や美術館で1つはあるが4体もあるのは初めて。

 

 

 ピエタの絵も一枚だけあった。この題材はよほどアーティストを刺激するらしい。

この美術館の素晴らしい天井。昔の宮殿かお金持ちのお屋敷だったか?

 

このかわいい女の子の絵はエリザベス・ルイーズ・ヴィギー・レ・ブルンというフランス人女流画家の作品で1797年作。この時代にこんな生き生きした女のこの絵を描いた人って珍しいと思う。18世紀はまだ宗教画が主流だったはず。

右上の絵は有名なシャガールの絵に似ているが、この画家はルビヤーナの19世紀の人で1842年の作品。

 

 

 

 

 

上4枚の絵は同じルビヤーナ出身の女流画家の作品で1886-1892年の間に描かれている。とってもうまいと思うのは私だけだろうか?

 

 

 

クリスマスカードにしたらよいような絵3枚は同じルビヤーナ出身の画家(1881-1963年)でやや漫画的なところなど20世紀だったから世間に受け入れられたのだろう。私は16-17世紀の死んだような肖像画と宗教画はあまり興味がなく19世紀からの絵の変転を見るのが好き。

 

 

 

この絵もルビヤーナ出身のイヴァン・グロバー(1867年ー1911年)の作品で遠くから見ないと絵の主題がよくわからない。近寄ってみて細かい筆遣いと色彩の多さに驚かされる。

 

 

 

この色彩や抽象画的なところなど有名な誰かの絵に似ているがやはりルビヤーナ出身のスタン・クレガー(1905-1973年)のファンタジー・オン・エ・テラスという題名。戦前まだユーゴースラヴィアの時代でも人々は時代ともに変わってきたのがわかる。

 

 

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最後のキャンプ旅行ールビヤーナ(Ljubljana) スロベニア

2016-06-10 22:17:58 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

 

スロベニアの国境は今までのヨーロッパの国境とは違って関所が設けられているが,停められることもなく通り過ぎた。入国した最初のガレージで15ユーロの Vignetteを買った。キャンプサイトには午前11時に着いたので、お昼にはサイトの前のバス停から市中へ観光に出かけた。

右上の写真は通りのお茶屋さん、窓に張られたメッセージが気が利いていて面白い。訳せば ”人生とはいっぱいのお茶みたいなものだ、すべては君がいかに創るかによる” 。

 

 

旧市街には大きくてきれいな建物が多い。

 

 

 

お城の真下の通りにあるセント・ニコラス教会の青銅製の正面ドアと脇ドアはこの教会の一番の見どころで教会内の案内書の表紙になっている。

 

 

 

  

教会内部も絢爛豪華でずいぶんお金がかかっていると思われるが、窓のステンドグラスがモダンで天井がの時代とは相当違うように思われる。

 

  

 

 

 土曜日のマーケットスクエアーは野菜、果物のオンパレードの上、観光客が路上のテーブルいっぱいに昼食を食べていてにぎやかでせわしい。ルビヤーナの守護神ドラゴンは観光マスコットでお土産になっているがこのドラゴンブリッジには4か所の青銅ドラゴンが威嚇している。

 

 おいしそうなお菓子、この辺りではヨーロッパともギリシャ、トルコからのお菓子が多く甘くて太りそう。

 

 

  

 

 

教会の前で結婚式のお祝いダンスの輪がにぎやかだった。真ん中にアコーデオンの奏者が楽しそうな音楽をならし、二重のダンスの輪が楽しそうにステップを踏んでいた。こんなに楽しそうな結婚式のお祝いを見たのは初めて、ビデオでしっかり撮った。

ダンスが終わってすぐお客の一人、年配の男性がピストルを空に向け6連発ならして驚いた。それでその場を離れ100メーターほど行ったところのアメリカ大使館の建物をみていたら、パトカーがサイレンを鳴らしてきてすぐ近くで止まり、警官2人が防弾チョッキを着だした。誰かがピストルの音で警察に通報したらしい。

そのあとはどうなったことやら、本当に人騒がせなことだ。

 

 

 古くて気品のあるアメリカ大使館は1897年にスロベニアの画家のためにオーストリア人の設計で建てられ、いろいろな手を経て1994年アメリカ大使館が購入、5年間の改築改装のあと1999年開館になった。

  

岡の上にあるルビアナ城はもう6,7年前この地を訪れた時に登ったもので、そこで日本人観光団体に出会ったからよく覚えているが、町がこんなにきれいだったとは全然覚えていない。もしかして当時より観光に力を入れてきれいにしたのかもしれない。

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最後のキャンプ旅行ースロベニアへ向かう

2016-06-09 18:43:35 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

チロルの素晴らしいキャンプサイトから、今日は高速道路を利用してスロベニアの国境近くのキャンプサイトへと、カーナビをセットした。ところがカーナビは近くの高速道路を避けてどんどん田舎道ばかり行きたがる。 

  

 今日も晴天だからキャンパーの中は暑いくらい。オーストリアの田舎はどこを見ても絵になりそう。

 

 

 

 屋根のある橋を映してやっと高速道路に乗った。ザルツブルグの南からスロベニアまで直線の高速道路がある。

 

 

 オーストリアに入国時に道路使用料のような1週間8.8ユーロのVignetteを買ってあるので高速道路は払わなかった。昨年インスブルックからイタリアへの高速を通った時も7ユーロ払ったから、イタリアで高速道路使用料をはらっただけだった。

 

 

道路わきの岩山に立派なお城が現れた。通り過ぎてキャンパーの後ろの窓からも写真が撮れてスケールの大きさが分かった。

 

 

スロベニア国境近くのキャンプサイトも湖のそばにあり夏なら家族連れが湖で楽しめそう。

 

このキャンプサイトへ行くときに高速道路から降りる道をミスったため、次の出口を降りたらイタリアへ向かう高速に乗ってしまい回り回ってやっと目的の出口にたどり着いた。その時行きは左手の山にこの立派なお城が見え、引き返してまた見てキャンプサイトからは真横が見える。横は半分岩が崩れてきているのが見える。

 

 

 日が暮れてお城を照明しているのがサイトから十分見えて、今日、明日と何度も同じお城を見ることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

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最後のキャンプ旅行ーチロルのケーブルカー

2016-06-08 11:33:59 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

湖のそばのきれいなキャンプサイトにチェックインしたときに渡されたカード2枚は、このチロル地方の公共バスや観光ケーブルカー、美術館や博物館が無料になるという優れもの。

 

 --

早速翌日キャンプサイトの一角でバスを待つ、今時キャンプに来ている人たちは定年退職した人たちばかりで、バス停でも6組の年寄(私たちも入れて)がバスをまっていた。ピッタリ定時に来たバス(バスナンバー4113)はブリックスレグ(Brixlegg)で乗り換えバスナンバー4074 を待つ。各家の窓辺の花が素晴らしく、この家の窓辺の緑のつたのようなツルはサツマイモの葉だった。 

 

ピッタリ12時にケーブルカーのふもとに着いたところ、12時から1時は昼食で閉まっていた。1時15分前に再開、素晴らしい晴天の元のんびりケーブルカーの箱の中から周囲の写真を撮りつつ、山頂へたどりついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

ケーブルカーの到着点から道は緩やかなのぼり、キャンプサイトから同乗した私たち以外の年寄はみな登山靴にウオーキングスティックをもっていて、さあ歩くぞ !!の気構え。二人でゆっくりパインの森を抜けたところは山頂の反対側。

 

 

 こんな面白い木の根をさかさまにしてデコレーション、魔法の森をイメージしてあった。この森で持って行ったサンドイッチを食べコーヒーを飲み写真を撮ったらもう行くところがない。

 

 

ケーブルカーの中から見る素晴らしいチロルの家々を映しながらふもとに降りて一時間早いバスでブリクスレグの町へ戻ってきた。

 

 

 4桁のバスナンバーは昨年南ドイツで初めて見たが、オーストリアでも9千台からのナンバーでおかしい。大都市のロンドンでさえ3桁でふつうは2桁だから。4桁になると覚えるのも大変、これは痴呆防止のための国の政策か?

 

 ブリックスレグの街中で郵便局を探して歩き回り面白い板を張り合わせてできたネギ坊主の屋根を見つけた。この地方では珍しくない。カンナの花は暖かい国のものだと思っていたのに、この町の道端ではきれいに咲き誇っていた。

 

 バスの中から見た不思議な紫いろのもの、とっさに写真を撮って拡大してみたら、大きな鬼アザミの花だった。もしかしてこれもアーティチョークなのかもしれない。オレンジ色のはカボチャでキャンプサイトの近くの道端で売っていた。大きなのは2ユーロもするがこのカボチャとってもまずくてハロウインのランプを作るしかない。小さなカボチャは1個35セント、スープにすればまあまあかと2個買った。

キャンプサイトへ帰ってくるバスの中で見かけた町は、なかなか面白そうで見て回りたいと思ったけれど、このバスを降りたら次のバスは明日までない。今日一日只だもの仕方がないか。

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最後のキャンプ旅行ードイツからチロル地方(オーストリア)へ

2016-06-07 13:58:39 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

 

 昨夜ボデンシーのコーナーのリンドウ(オーストリア)のキャンプサイトへ行ったら一晩30ユーロもするというのであきらめて15マイル離れたキャンピングプラッツにやってきた。道路は七重八重の曲がりくねった急坂でやっと着いたキャンピングプラッツは13ユーロ。あと3kmでオーストリアという山の中。朝は素晴らしい晴天だが山中のため気温が低く空気もつめたい。

 

カーナビもいまだにセットアップがうまくいかないのか、田舎道ばかり連れて行ってくれ、素晴らしい景色に私ばかり大喜びしていた。明るい秋の空、リュックを背負って歩くハイカーたちを多く見かけた。

 

 

フッセン近く道路標識に日本語が書いてあるのを見つけ、もしかしてロマンチック街道と名付けたのは日本人かも知れないと思った。フッセンは昨年も行き今年で3回目。食料を買い込み補充してザルツブルグ方面へとキャンパーを走らせる。

 

 

 

 

カーナビが連れて行ってくれたところは高速道路からはずっと離れた田舎道で、急な坂道を降りる途中にレストランと見晴らし台があった。ビデオと写真を撮りまくり満足して山を下り谷間の狭い草地を突き進む。

 

 

ここはザルツブルグとインスブルッグの中間になるチロル地方。通り過ぎる家々は決められたように花飾りが素晴らしい。

 

 

 

 

 

 

キャンプサイトは湖のほとりで設備はどれもきれいで文句なし。

 

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最後のキャンプ旅行ーミュルーズ(Mulhouse)

2016-06-05 10:25:13 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

ミュルーズの町はキャンプサイトから運河に沿って2㎞程行くと町の中心スクエアーにつく。

この運河にも関が設けられていて水の落差が2メーター以上もある。運河の対岸は比較的新しい町らしい。

 

 

運河には数百メーターごとに橋が架かっていて橋の欄干の花が素晴らしい。

 

 

 対岸にとてつもなく長いそしてカラフルな電車が走っていった。あまり長くて最後尾が通り過ぎるまで数分かかった。街角のポストボックスに描かれた落書き。あまりに上手だから誰も消せなかったと思える。これは本当のアートだと思う。

 

 

 

町の中心地近く公園があった。今までいろいろな公園を見ているがこんなに長いベンチは初めて。そして非常に座り心地の良いベンチだった。手もたれがあるから横になれないが、あればホームレスのベッドになってしまうだろう。その公園の一角に犬の糞を始末するナイロンの袋が備えられている。昔はフランスの通りには犬のフン害がひどかった。

 

 

 町の中心街は車も通られない安全な通りでスクエアーには遠くからはピンクに見える旧市庁舎がある。この建物は全体がだまし絵で描かれておりピンクのレンガ造りに見えるのも全部描かれたもの。1431年に建設されたもので崩壊と再建を繰り返し1969年に歴史博物館になった。ここは午後1時から無料開館される。

 

スクエアーの一辺を占める大聖堂は工事中で開いていなくて,正面階段には数人のモスリム系の若者が陣取っていておしゃべりに夢中だった。

 

 

 いろいろきれいな建物もあるが、右の写真と左下の写真は大きな建物全体がだまし絵でできており、窓の内外がすべて描かれたもの。左から右へ行くに従い過去にさかのぼっていく。

 

 路面電車は縦横に走っており旧市街の周囲を一周するのもある。

 

 街角のモダン彫刻だろうかほとんどが車の金属部分から成る。右の写真は美術館の前庭のこれもアートらしい。カラフルなレース編みが大木の幹一面に貼られて、遠くからでもよく目立つ。

  

ショーウインドウの素敵なドレス。いったいどんな人が着るのだろうか。さすがフランスらしい。

公園の一角に建つ巨大な男性像。これは昔のアートというべきもの。

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最後のキャンプ旅行ーラインフォール(Reinfall) スイス

2016-06-04 12:52:36 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

 

ミュルーズに2泊した後ドイツのアウトバーンを東に向かった。今年のドイツはあちこちで道路工事が行われていて、交通渋滞が激しい。南ドイツやフランスでもタバコが栽培されているなどと誰が思うだろう。やっととれた写真でボケているが許してほしい。

 

南ドイツは景色も家屋もスイスやオーストリアに似ていて素敵な建物が多い。

 

 

 ドイツは9月からオクトーバーフェストという行事がある。10月の半ばに終わるときは大きなお祭りが行われる。収穫の祝典らしい。街角にはこのような案山子やカボチャの飾り物がみられる。

スイスの国境は誰もいなかった。スイスはユーロゾーンでないからスイスフランも持っていなかったけれどこのドイツよりの一角ではユーロが幅を利かせていた。

 

 ライン川の上流はスイスのこの地から流れていて、上流というから水量もちょろちょろとの想像を裏切ってものすごい量と水音。1960年わが亭主は弟と二人で1年間のヨーロッパ・北アフリカのキャンプ旅行に出て、このラインフォールを訪れた。56年も経って周囲の建物や交通機関は変わっても激しい水音と水量は変わっていないという。

 

  

 怖いもの知らずの観光客は船で流れの真中へ。

 

 

  

 激しい水が流れるすぐ上の岩山に素敵なお城がたっている。川を横切った長い橋を渡ってお城の下からまっすぐ上に上がるエレベーターが設置されている。

ラインフォールをゆっくり見た後またドイツへ向かった。ボデンシーは横に長い巨大な湖でドイツとスイスの国境はこの湖でわかれている。 

   

 ボデンシーのあたりはブドウ畑とリンゴ園でブドウはもうすぐ取り入れらしくグリーンか黒いブドウが鈴なりになっている。

 

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最後のキャンプ旅行ーミュルーズ美術館と博物館

2016-06-03 12:19:39 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

 

 フランスの写実主義から印象派が台頭してきた時代の画家たちの絵が多く、彼らは時代に遅れたらしく無名の画家だけれどもそれらの絵は素晴らしい。左上はオーガステ・アレクサンドレ(1833年ー1912年)の作品で1883年に描かれたもの。

右上はジーン・ジャッキー・ヘンナー(1829‐1905年)の作品。1865年に描かれたもの。

 

左上のいかにも古臭い絵はカラカラ浴場の崩壊という題名が面白くここに載せた。右上の絵がこの美術館ではただ一つ有名画家の絵で一目でブリューゲルの作品とわかった。ピェター・ブリューゲル(1564年-1636年)はベルギー人でいつも面白い絵を描く。冬の氷の張った湖か川の上で滑って楽しんでいる人々、各自の動きや表情まで細かく描かれている。

 

 

アフリカの黒人の若い女性が争っている表情が面白い。エティン・ディネー(1861年ー1929年)の作品、この人はパリの出身で多分この絵はこの美術館に買い取られていったものだろう。こんな変わった題材の絵を描く人ってとっても興味がわく。

 

 

この美術館のブローシャーの表紙絵になっている巨大な作品は 蝶と花(1875年)という。絵も素晴らしいが額縁が見事。

右上は題材がギリシャ神話のオルフェーで愛するユーリディスが死んで嘆き悲しんでいるところ。こういう物語のある絵が大好き。

 

 

 ショッピングモールの灯り、和紙を三角に切ったものを張って面白い形にしてある。人工モスで作った巨大なモービル。

 

 アルフレッド・ドレイファス(1859年ー1935年)はフレンチ・ユダヤ人でミュルーズで生まれた。成人してフランスの軍隊に入り順調に昇進していたが反ユダヤ主義の上官に疎まれ濡れ衣を着せられてデブルス・アイランドへ島送りになった。その後彼の無実が証明されたが軍は恥をかくのを恐れて無視してしまった。4年後フランス政府によって彼が解放されることになったが名誉を迫奪された彼はこれを拒否。世間の抗議にとうとう軍が負けて彼を帰還させ、その後昇格、第一次世界大戦にも軍人として働いた。このミュルーズでは彼は英雄として尊まれている。まるでデュマの巌窟王みたい。

 

このような田舎でもさすがフランス。貴族もいただろうしお金持ちの衣服や高級な子供たちの人形などが展示されていた。

 

 

農場には牛が首からベルをつけて草を食んでいるが、ここにはいろいろなサイズのベルが展示されている。右上のカラフルなものは陶器でできたストーヴ、高貴な人々はこれで暖を取った。

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最後のキャンプ旅行―キャンピング・デ・リラ(Camping De Lill)

2016-06-02 18:15:47 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

 

ミュルーズ(Mulhouse)はスイスのバーゼルに数十キロ、ドイツ国境にも数キロのコーナーにある静かな町で運河と大きな川が流れていてその運河と川の中州にキャンプサイトがあった。9月末では時季外れでキャンプしている人たちも1-2日で去っていく。

中洲の島から片側には長い太鼓橋が架かっていて、大きな川は濁っていて水底は見えない。

  

 

その川の岸に巨大な(猫ぐらいの大きさの)ネズミみたいな動物が岸辺と水面で泳いでいた。ネズミにしては違うのは手足に水かきがついていて、ネズミと同じような細くて長い尻尾をしていて数匹が川岸を行ったり来たりしていた。 カメラを取りに急いで駆け戻り写真を撮ってる間に自転車でやってきたオランダ人夫妻はあれは・・・・・・と言うがオランダ語で英語は知らないという。フランス人の男性はフランス語で・・・・・・と言うがこれまた英語で何というか知らないという。オランダ人もフランス人もネズミの種類ではないといい、草食動物で、フランス人はあの肉は食べられるが自分は食べたことがないと言った。オランダ人はこの動物は土手に穴を開けるからオランダでは嫌われてすぐころされてしまうと言う。

キャンプサイトの受付の女性に写真を見せたところフランス語ではハゴンダン(Ragondin)というそうだ。誰かフランス語のできる人は居ませんか。

 

 

太鼓橋を渡ったところはこの町の公園やスケートリンク、ミニゴルフ、水泳プール、フットボールスタジアムなどの施設が一堂に集められていた。

日曜日の夕方、若者の群れや家族連れが公園をのんびり散歩していた。公園の中には野菜を植えてある箱形の畑があり、あまり手入れされていなかった。

  

大通りにはきれいな電車が走っていてモダンな電車の停車場があり電車の線路の中はしばふでおおわれているのが珍しい。

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最後のキャンプ旅行―出発

2016-06-01 17:20:30 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

今年8月で85歳のなった亭主にはキャンピングカーでヨーロッパを走り回るのも今年が最後になった。それでなるべく長期に楽しもうと9月23日から来年4月までの7か月の計画を実行。

長期になればなるほど持っていくものも多くなる。ヨーロッパで手に入らないイギリスの食料品。ティーバッグやグレービーパウダー、英国の柔らかいソーセージ。それに毎朝食のポリッジ(オートミール)ポリッジは今回19㎏(ヨーロッパ南部の国々ではあまり食べない。)そんなこんなで何週間もショッピングに費やした。

 

 

 9月23日6時半出発、まだ朝日は昇っていないが空は明るくなりかけていた。

まだ暗いうちではキャンパーを走らせることができない。というのはヨーロッパと英国では右運転と左運転の違いがある。そして車のヘッドライトも左右では全く違うのでヘッドライトの光を反対に屈折させなければならない。前日に特別シールを貼って準備してあるから明るくならなければ出かけられないと言う訳。

 高速道路をドーバーに向かって走らせている間に朝日が昇った。出勤する車とは全く反対のコースだから対向車が数珠つなぎなのを見て、気の毒に思った。

 道路が混んでいなかったせいもあって予定よりずっとはやくドーバーのフェリー港に着いた。フェリーの出発は10時なのに8時過ぎに着いたから、港でゆっくり朝食、お茶を飲んで時間待ち。フランスの港カレーだと1時間毎にフェリーが出港するから早く着いたときは待たずに載せてもらうことが多い。今回はフランスの最北端のフェリー港ダンカークだから2時間に一隻しか出港しない。

  

 

船酔いには寝るのが一番、とフェリーに載った初めに長椅子を確保して2時間ぐっすり寝てダンカークに着いた。フランスは1時間の時差があるから英国時間12時はフランスでは午後1時、すぐベルギーのいつもキャンプする運河べりについた。この町に安いディーゼルがあるのを知っているから満タンにし、運河べりで昼食を食べ今度はゲンツ(Gent)の近くのキャンピングプラッツを目指した。

  

 

ここで一泊翌朝高速道路を乗り継ぎルクセンブルグからドイツのモーゼル河畔のキャンプサイトで一泊した。昨年この川渕でクルミをバケツ一杯も収穫したが、今年は2週間以上も早いせいで、実が実っておらずがっかりだった。

 

キャンピングプラッツの近くでカーブーツセールをしているのを見つけ大喜びで見に行った。売っているものといえば大してイギリスのものと変わらず、亭主にはいらないものを乗せるところがないからと釘を刺されていたから、何も買えなかった。

  

3日目早朝からドイツの高速道路アウトバーンからフランスのアルザス地方を南下した。9月末のドイツでまだひまわりが一面に咲いていて畑の一部が黄色のペンキを塗ったみたい。

アルザス地方はライン川でドイツと分けられた国境線と北はドイツ、ルクセンブルグ、南はスイスと国境を画する細長い地域で、過去2回もドイツに占領され、フランス語を教えることを禁止された。有名なフランスの子供の本に 最後の授業 というのがある。

 

 

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