ザグレブは1972年私が初めて英国へ来た年に、ポールと旧ユーゴスラヴィアを通ってギリシャまで旅行したことがあり,行きは海岸線を南下し、当時アルバニアは鎖国していたから迂回してギリシャへ向かった。帰る際にザグレブへやってきたが、若くて何も知らない私は、共産圏というだけで暗い印象を持っていた。
ザグレブの駅を出た途端の人込みと明るい広場、行きかうカラフルな路面電車は一瞬にして過去の印象を消すのに十分。
共産国の国力を顕示するに十分な巨大な建築物が目白押しの駅前を左に向かった。町は碁盤の目のようになっているから地図を見ても判りやすい。
歩いてほどなく左手に植物園があり、入ってみた。木の葉の露が朝日に輝き、人気のない細道を歩き回る。高さ10メーターもある大きな木に直径10センチ以上はありそうな緑の玉がたくさんついていた。初めて見たもので木の幹の小さなインフォメーションカードには北アメリカ原産Maclura Pomiferaまたの名をOsage Orangeとある。
どんな植物園でもいつも珍しい植物に会えてうれしい。右上の写真はカボチャかヒョウタンの種類であろうか。
植物園の道路を挟んだ反対側には屋根の上の飾りが面白く望遠で写してみた。4羽のフクロウが地球を支えている。この建物はクロアチア国立古文書館でクロアチアで一番美しい建築物と言われているそうだ。
古文書館の前のスクエアにある大きな銅像はクロアチア文学の父と呼ばれるマルコ・マルリッチ(1450-1524)。この街には有名人の銅像が多い。チトー将軍広場の一辺にある工芸博物館は1880年に建設され,2階3階にはあらゆる工芸品とデザインの展示が見られ、二人で40クーナ(5ポンド)払って見学してきた。
チトー将軍広場の真ん中に建つのは国立劇場で正面玄関の上にマダムバタフライの宣伝がみられる。
ペタル・プレラドヴィッチ広場は花の広場と呼ばれる。
広場に面した小さな教会の華麗さには驚いた。クロアチア大聖堂よりもずっと素晴らしい。
ペタル・プレラドヴィッチはクロアチアと愛をテーマにした詩を書き将軍でもあった人で、広場の名前は広場に立つ像と彼の名前に由来している。
イェラチチ総督広場は過去には共産国広場と呼ばれたこともあったそうで、この総督は19世紀の軍人で奴隷解放、独立の闘士として国民的英雄と評価されている。この広場はザグレブの中心地として19世紀初めには優美な建築物が建設された。
ドラツ市場は大聖堂の近く毎日野菜果物が売られ、横の屋根付き魚市場では新鮮な魚がうられている。トマトとリンゴを買ったけど安くておいしく、亭主が喜んでいた。ザグレブは海からは遠く新鮮な魚は毎日海岸から運ばれてくるのだろう。この日近くのレストランでイカのフライを食べたがとてもおいしかった。
カプトルと呼ばれる大聖堂は町の高台に建てられその2つの塔はザグレブのあらゆるところから見えるという。観光客がいつもあふれていて、聖堂の前の広場に立つ聖マリアと4人の天使は太陽に輝いている。