りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

間尺に合わん仕事をしたのう。

2013-04-20 | Weblog
先日、この本を買った。

映画「仁義なき戦い」の、いわゆるムック本。
映画公開40周年とブルーレイ版の発売を記念して出版された雑誌らしい。

今や説明不要の邦画史上に残る傑作映画だけど、ボク自身、広島生まれの広島育ち
だからかどうか分からないが、「仁義なき戦い」は、今まで見た
邦画の中でも5本の指に入るほど好きな映画のひとつだ。
シリーズ全作観ているし、3作目の「代理戦争」や4作目の「頂上作戦」
なんて、アフレコが出来るくらい何度も何度も観ている。

40年も前に作られたこのヤクザ映画が、なぜ時代を超えて今でも熱狂的に
支持されているのか、この雑誌でも簡潔ながらも解説してあった。

中でも興味深くボク自身も共感したのが、台詞。

広島人から見て、ほぼ完璧な広島弁で語られる登場人物の台詞の数々は、
年を重ねたからこそリアリティーを持つ言葉が本当に多い。

例えば、今日の日記のタイトルに使った言葉は、主人公の広能昌三
(菅原文太)の台詞。
4作目「代理戦争」のラストシーン、熾烈な抗争が多大な犠牲者を生んだ
だけで終わり、寒々とした警察署の中でこの台詞を呟く。

初めてこの映画を観た20歳の頃、“間尺”なんてモノは自分の中には存在しなかった。
ある意味、“間尺”というモノは、自分の出来ること、出来ないことがおぼろげに分かり
はじめて、初めて実感する概念なのではないだろうか。
良し悪しは別として、自身の“身の丈”を冷静に受け入れることが出来なければ、
理解出来ない種類の言葉のような気がする。

この映画には、そんな“大人の言葉”が溢れている。

早くも4月も下旬になる。
新卒で社会に出た人たちも、そろそろ世間の不条理や理不尽さの断片に
触れはじめた頃じゃないだろうか?
そんな人たちこそ、今、この映画を観るべきじゃないかとボクは思う。
ありがちなビジネス書やマナー講座よりも、この映画を観た方が、
よっぽど社会勉強になると思うのだが。

どれだけ時代が変わろうとも、山守の親分(金子信雄)や槇原政吉
(田中邦衛)、打本昇(加藤武)のような人間は、どんな世界にも
存在している(笑)
コメント
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