りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

うつ病893〈待合室編〉

2018-11-13 | 短編小説


〈2008年作〉

 月に一度の割合で、心療内科に通院している。
 別に重度の精神障害を患っているわけではない。仕事でストレスや疲れが溜まって、判断力や気力が萎え “ あれ?俺、ちょっとヤバイかも・・・”と感じると、とりあえず通院して先生のカウンセリングを受けて、相応の薬を1ヶ月分処方してもらっているのだ。そうなると、必然のように1ヶ月に一度の通院というリズムが出来上がってしまった。そんな感じで、僕はここ三年くらいを過ごしている。
 その病院は先月から診療システムが変わった。完全予約制になったのだ。裏を返せば、完全予約制でないとさばけないほど、精神的な理由で来院する人が増えたということなのだろう。
 僕も先月から事前に予約するようになり、今回も予約した時間の10分ほど前に訪れたのだが、完全予約制になってからというもの、アポなしの急患がいなくなって、以前なら受診待ちの患者でひしめき合っていた待合室は、驚くほど閑散としていた。


 そんな待合室に、二人の先客がいた。


 一人は、ソファーに座った五十代半ばぐらいの男。もう一人は、その横で直立不動の二十代とおぼしき男。待合室に入り、その二人の姿が視界に入った瞬間、僕は凍った。
 たとえば、街で100人に“この二人の職業は何でしょう?”とアンケートを取ったら、きっと100人中150人が"や●ざ!"と答えるほど、見事な893様だったからである。
 僕は、待合室の受付に診察券を提出すると、本棚から適当な雑誌を選んで、ちょっとその二人から離れた椅子に座った。
 ここだけ一足先に冬がやってきたのか?と錯覚するほど待合室は、寒く、そして静かな、本当に静かな空気が漂っていた。


 待合室に男三人。


“俺の次の患者、早く来い、早く来い”と僕は念仏を唱えるように心の中で繰り返しながら、本棚から持ってきた3ヶ月前の週刊誌という、今さら読んでもまったく意味も価値もない雑誌の記事を必死に読んでいるフリをした。


「あんちゃん!あんちゃん!」


 そんな掛け声が、冷たい待合室に響き、僕の鼓膜を突き破った。 〈日本の景気はどんどん回復する!〉という3ヶ月前の能天気を通り越えてもはや哀愁さえ漂っている記事を真面目に読んでいるフリをしていた僕は、恐る恐る顔をあげてその声が聞こえて来た先客の方に目を向けた。するとソファーの御仁は、僕の顔を見るや否や、"オウ!"とオットセイのような声をひと声上げて、手招きをした。
 僕はその言動を見て、とっさに、「さっきから、俺のことを“あんちゃん”って呼んでたみたいだけど、俺には親からもらったちゃんとした名前があるんだ、失礼じゃないか!それに初対面で手招きをするなんてどういうことだ!普通ならば、用事があるべき貴男の方から俺の元へ来るのが礼儀だろう、君の方から来なさい!」
 ・・・とは口が裂けても言うわけがなく、ちょっと目を丸くして "へ?あっしのことで?"というような表情をすると、
「ほうよ、他に誰がおるんなら」
 と、床を這うような野太いダミ声と天使のようなしわくちゃの笑顔で僕にそうおっしゃったので、僕は即座にソファーの御仁の横のイスにスライドした。 移動するや否や、御仁は僕に尋ねた。
「あんちゃんは、どこが悪いんな?」
「僕は、ストレスをためやすい性格なんです。だからちょっと心身に変調を感じたら、酷くなる前にこうやって通院をして先生に診てもらって予防しているんです。酷くなったら、仕事はおろか、私生活もまともに過ごせなくなりますからね。そうなると、とても厄介ですから」
 ・・・ということを滑舌よく喋られるはずもなく、
「ええ・・・まぁ、これで・・・」
 と僕は、精一杯の作り笑顔で、ブレイクダンスの下手なウェーブのように片手を上下させただけだった。
「ほうか・・・大変じゃのう・・・」
 とソファーの御仁は、僕の動作を見て、明らかに理解できない表情を浮かべながらも納得したフリをした。
 生まれてこのかた、こんなに低能なコミュニケーションの取り方を僕はしたことがない。この時点で、確実に一年ほど寿命が短縮。
「あんちゃんは結婚しとるんか?」
 御仁は二発目のミサイルを僕に発射した。
 これは別に答えに窮することもない。僕は「はい」と答えた。
「ほおか・・・そりゃあ、たいそうベッピンさんなんじゃろうのう」
「いえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえ・・・」
僕は、手のひらが団扇になるくらいの勢いで手を振り、そして一生分の“いえいえ”をここで使い果たした。
 でも御仁の言葉にちょっと嬉しかったのも事実だから、タチが悪い。 この時点で、2ヶ月ほど寿命が回復。
「子どもは、おるんか?」
 寿命が回復したところで、つかさず三発目を放つ御仁。
「はい」
 と答えると、
「何人な?」
 と御仁。
「二人です」
 と答えると、
「ほうか・・・可愛いんじゃろうのう」
 と御仁は口にした。
 しかし僕は子どもの数は言ったけど、年齢も性別も言っていない。 何で可愛いって分かるんだ?あんた、千里眼でもあるのか?それともエスパー893なのか?・・・なんて、これまた尋ねることなどできるわけがなく、
「あ、ありぐろてれっす」
 という絶対に広辞苑に載っていない言葉で感謝の意を伝えた。
 妻の時は否定して、子どもの時は肯定する。
 世の中、必要なのは何事もバランス感覚なのだと、この時知った。
「わしはのぉ・・・」
 どうも僕への興味が尽きたらしい御仁は、今度は自分の話をはじめた。そして待合室全体に響き渡るような声でこう言った。
「あんちゃん、わしはうつ病になってしもうてのう」
 その言葉を聞いた僕は、思わず手にしていた週刊誌を落としそうになった。
 そして、
「オッサンよぉ、うつ病ってのは、人と話したり、日常生活ができなくなったり、酷い時には記憶力もなくなるほど辛い病気なんだぞ、僕も前に罹ったことがあったけど、二度とあんな症状はごめんだって思うほど嫌な病気なんだ!あんたみたいに初対面の俺と堂々と喋れる人間のどこがうつ病 なんだよ?全国の本当のうつ病患者に、今すぐ土下座して謝れっ!」
 ・・・という言葉を真正面からぶつけられるわけもなく、
「そ、そうなんですか・・・それは大変で・・・」
 と同情するような言葉を口にした。できれば涙の一滴でもこぼしてやろうかと思ったが、さすがに泣けなかった。涙腺は正直である。
「食欲ものうなってしもうてのぅ・・・じゃけぇ、最近は顔色もすぐれん」
 と、松崎しげると見間違えるほどの褐色の頬を指差しながら、御仁はそう言った。
「Aさぁ~ん」
 そうこうしているうちに、看護師が診察室から名前を呼んだ。僕の名前ではなかった。
 しかしその名前は耳にした御仁は“オウ!”とまたまたオットセイの声をあげると、スクッと立ち上がり、僕と御仁が話している間、ずっと直立したままだった若い男性を引き連れて、診察室に入っていった。


 しばらくすると、分厚い扉で仕切られていて、普段なら、絶対に中の声も音も聴こえないはずの診察室から “・・・わしはうつ・・・”とか、“顔色・・・なんじゃ!” という御仁の声が漏れ聞こえてきた。
 診察は15分ほどで終わり、御仁たちは診察室から出てきた。入れ替わるように僕の名前が呼ばれ、診察室に入ると、いつもの先生が診察室のデスクに座っていた。 真っ青な顔をして。
 うつ病かと思った。 〈待合室編につづく〉

●うつ病い893〈待合室編〉→ https://blog.goo.ne.jp/riki1969/e/9630437aa8fd56d4cc5f9fb68d756b45

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うつ病893〈薬局編〉

2018-11-13 | 短編小説


〈2008年作〉

 うつ病さながらの表情になった先生の診察が終わり、受付で診察料金を払うと、僕は病院を出て、至近のいつもの薬局へ向った。
 その薬局に行くと、案の定、御仁一行もいた。
「おう、あんちゃん、また会うたのう」
 薬局に入ってきた僕に気づくと、自称・うつ病患者のその御仁は、"元気ハツラツ"な声で、僕に向ってそう声をかけた。
「また会ったも何も、同じ病院で受診したんだから、同じ薬局で薬をもらうのが当たり前でしょう。それが一般人の常識ってやつですよ・・・そう、 いい機会だ、この際、極道のあなたもそういう事も少しは学習しときなさい」
 ・・・と、御仁に言える勇気があったならば、僕も心療内科に通う必要なんかない。それどころか、僕は御仁の言葉に対して 「はい」と答えるべきか、それとも「ええ」と答えるべきか、一瞬迷った挙げ句に、反射的に、


「ホエ。」


 という、まったく意味不明の言葉を口から飛び出させてしまい、大いに焦って、脇汗が大量発汗してしまった。誰か、制汗剤を貸してください・・・。
 
 薬局には周辺の他の病院からやって来た数人のお年寄りの患者が、整然と並んだ長イスに座っていて、カウンターの奥では、三人の薬剤師が薬の調合にせっせと動いていた。
 3年間、1ヶ月に一度の割合で通院している僕は、薬局にしてみれば常連の一人らしく、一番奥にいた同世代の薬剤師は、薬局に入ってきた僕に気づくと、笑顔で軽く会釈してくれた。でも、なぜかその笑顔は少し引きつっていた。
 僕は、処方せんを薬剤師に渡すと、二列三段の長イスの一番後ろに座り、名前を呼ばれるのを待った。
 御仁一行は、最前列の長イスを陣取り、足を大袈裟に組んで薬の調合を待っていた。 端から見ると、御仁一行が、必死になって動き続ける薬剤師の仕事っぷりを監視しているように見えないこともない。
「Aさ~ん」
 御仁の名前を薬剤師が呼んだのは、僕が本棚のタウン誌を手にして、イスに座り直したのとほぼ同時だった。
 名前を呼ばれた御仁は、“オウ”と、またオットセイの鳴き声をあげて立ち上がり、カウンターに向った。カウンターの向こうには、“今春、薬学部を卒業したばかりでぇ~す☆”といった感じの、若い女性の薬剤師が立ってた。ガッチガチの表情で。

 御仁は無言でカウンターの前に立ち止まると、その若い薬剤師を見下ろして、ゆっくりと首を左右に動かした。どうやらカウンターの上に並んだ数種類の薬を眺めているようだった。
 つかさず薬剤師が薬の説明をはじめた。だがその説明は、まるでどこかのマニュアルブックにでも書いてあるかのような棒読み全開の説明だった。
 感情がまるで入っていないのだ。早く終わらせたいという気持ちが、見え見えだった。
“やばいぞ、やばいぞ、やばいぞ、やばいぞ、やばいぞ・・・・” その薬剤師の説明を聞きながら、なぜか僕は心の中でそう唱えていた。いや~~な予感が、背中一面に覆い被さってきていた。


「おい、ちょっと待てや」


 予感は、的中した。
 御仁は、野太いダミ声でそう言って、薬剤師の説明を遮った。
「あ・・・はい・・・何でしょうか?」
 薬剤師が緊張した面持ちで、そう答えた。
 奥で他の薬の調合をしていた同世代の薬剤師も、御仁のその言葉に作業の手を止め、カウンターに立ちすくむ後輩を心配そうに見ている。長イスに座った、他の病院からやって来た年寄りの患者たちも、心配そうにその行く末を眺めていた。
「今、この薬は朝飯の後に飲めって言うたのう?お?」
「は、はい・・・」
「わしゃ、この30年、朝飯いうもんは食うてないんど、朝飯食わんのに、どうすりゃあ~ええんな?」


小学生の質問だった。


 この御仁、怖そうに見えるけど、案外純情な性格なのかもしれない・・・と僕は最後列のイスに座ったまま、少し表情を緩めた。そして“あ、だったら、無理して飲まなくてもいいですよ~”という薬剤師の軽やかな返答を予想していた・・・が、僕の予想は見事にはずれた。
「じゃあ薬は、こちらの薬を飲む時に一緒に飲んで下さい。朝じゃなくてもいいです。でも絶対に飲んでください。こちらの薬には胃酸を弱める効果がありますから、一緒に服用すれば朝でなくても構いませんから・・・・」
 と、御仁の想定外の質問に、完全にテンパった新米薬剤師は、まるで御仁の発言を打ち消すように、専門用語を交えながら必死になってそう説明した。いや、それは説明ではなく、説得に近い口調だった。しかもその口調は、話が進むに連れて、説得から命令口調へと変わりはじめていた。
 これは・・・・・マジで、やばい。


「○◆×☆◇・・・・よろしいですね!」
 薬剤師の命令口調の説明が終わると、薬局は、水を打ったように静まりかえった。
 “やばいぞ、知らんぞ、やばいぞ、知らんぞ、やばいぞ、知らんぞ・・・” 僕は、薬剤師の説明の最中、ず~~~~っと、その言葉を心の中で繰り返していた。
 御仁は仁王立ちのまま、まるで薬剤師の説明が終わるのを待っているようだった。表情はここからは見えないが、きっと顔は怒りで紅潮しているはずだ。
 カウンターを挟んで、対峙するやくざと薬剤師。カタカナで書けば、ヤクザとヤクザイシ。数字で書けば、893と89314
 似て非なる二人が今、カウンターを挟んで対峙していた。薬局内にいたすべての人間が、二人のやりとりを見つめていた。
 “やばいぞ、知らんぞ、やばいぞ、知らんぞ、やばいぞ、知らんぞ・・・”僕は相変わらず長イスの最後部で呪文のようにそう唱えていた。
「ねぇちゃん・・・おどりゃあ、わしの言うたことが聴こえんかったんか? わしはこの薬は飲めん言うとるんじゃ!なんで、おどれみたいな小娘に偉そうに説教されなぁ~いかんのならっ!おどれ、殺されたいんか⁉︎ コラッ!」
 ・・・気の毒だが、これぐらいの脅し文句を言われるのは覚悟しなければ・・・と僕は今にも泣きそうになっている若い薬剤師を眺めながらそう思った。長い人生、経験が必要だ。世の中にはどうやっても理解し合えない人もいるのだ。そういうことを早めに経験することは、むしろ良いことだと僕は思う。


「・・・まぁ、よう分からんが、ねぇちゃんが飲め言うんなら、飲むわい」


 御仁は純情なのではなく、本当に小学生だった。
 その後は、薬剤師が軽い問診をした。
「お身体の具合はどうなんですか?」
「いかんわ」
「いつ頃から?」
「ここ一年くらいかの・・・母ちゃんが愛想尽かして家を出て行ってからじゃ」
 御仁は冗談のつもりだったのかも知れないが、大声で言ったそのセリフには、見事に誰も反応しなかった。


 薬局に、ひとあし早く、冬が来た。


 そして問診の最後に御仁は、僕に言った時と同じように
「顔色がすぐれんけぇのう」
 と薬剤師にツヤツヤの肌の頬を指差した。小指のない手で。
 そして“それ、今どき、どこで売ってるんだよ?”とツッコミたくなるようなセカンドバッグの中に、もらった薬を無理矢理つめ込みながら、
「それにしても・・・薬も高こうなったのう、今日病院とここだけで、これだけ金を取られたど」
と御仁はそう言いながら、片手の手のひらをパッと広げた。きっと五千円を意味していたのだろうけれど、誰が見ても四千円だった。
「ねぇちゃん・・・・負けるわけにはいかんかいのう?」
 と、御仁は、突然、甘えたような丸く柔らかい声を出した。
「え?・・・は?」
 薬剤師は、意味が分からないような表情をして、うろたえ、そして一瞬後ろを振り返った。きっと、もはや彼女の限界点も近づいてきて、どうしようもなくなって、奥の先輩に助けを請うたのだ。
「冗談よ!のう、冗談じゃ!ガハハハハハッ!」
 薬剤師の態度を見た御仁はそう言って、薬局が揺れるかと思うほどの大声で笑った。薬の代金を真正面から値切った人物は、有史以来、きっとこの御仁が初めてのはずだ。
 あんたもある意味“クスリ屋”なんだから、値切れないことぐらい分かるだろう・・・なんてことは、この時、口が裂けても言えなかった。
 指定重要文化財のようなセカンドバッグに薬を詰め込み、お金を払い終えると、御仁は再び若い衆を連れて出ていった。出ていく時、最後列に座っている僕に再び気づいた御仁は、
「おう、あんちゃん、早う、治せよ!」
 と言って、僕の肩をポンッと叩いて出ていった。
 その途端、
 「大きなお世話だ、この野郎!見てみろ、みんな、お前の言動に迷惑してるだろう!謝れ謝れ!今すぐみんなに謝れ!!」
 ・・・もうすでにお分かりだと思うが、そんな事を口にするぐらいなら、自分で自分の舌を噛み切って自害した方がいいと思っている僕がそんなことを言うはずもなく、

「あ、ありがるしとれせ」

 と、またまた広辞苑に載っていない感謝の言葉で答えてしまった。ここでも涙を流してやろうかと思ったが、やはり泣けなかった。涙腺は、やはり正直者である。
 
 御仁一行が出ていった薬局は、一瞬で、いつもの薬局の風景に戻った。但し、応対していた若い薬剤師が、俯き加減の小走りで奥の控え室に向ったことを除いては。
 そして、薬局内の酸素の濃度が、御仁がいた時よりも上昇した感じがした。
 でも、何か、一抹の寂しさを感じる自分がいた。
 何だろう?これは。
 いつかどこかで感じたことのある空気・・・。
 思い出した。
 運動会の後の空気。文化祭の後の空気。
 祭りの後の空気だ。
 そんなことを考えていたら、同世代の薬剤師がカウンター越しに僕の名を読んだ。
「お待たせしました」
 と薬剤師は言い、そして薬の説明や問診をする前に、僕に慎重にこう尋ねた。
「さっきの方・・・・お知り合い・・・なんですか?」
 普段、あまり私語を話さない薬剤師が、いきなり僕にそう尋ねてきたので、僕は少し驚き、そして反射的にこう答えた。

「ホエ。」

(おしまい)
※この物語は、フィクションです(笑)

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