りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

一周忌。

2019-06-24 | Weblog
今日は、父の命日。

あれから、ちょうど1年。
早かったようで長かったし、長かったようで早かった。

こんな時間の感覚は、生まれて初めての経験だった。

昨年の6月24日から始まった時差ボケのような感覚を、結局、自身で上手く処理できないまま、再び6月24日を迎えてしまった気がしている。

一周忌の法要は、昨日、実家で執り行った。
弟家族や近しい親戚が集まり、滞りなく終えることができた。

今日は、母と墓参り。
別に仕事を休んでまで来る必要はなかったのだが、亡くなって初めて迎える父の命日を、母ひとりきりで過ごさせることが、ちょっと忍びなかったのだ。

最近、ふと、思う。

もう少し、ちゃんと父と話をしておけばよかった、と。

父の若い頃の話とか、母と結婚した頃の話とか、今のワタシと同じ年齢の頃の話とか・・・。
照れ臭くて、結局一度もできなかった「サシ飲み」でもしながら、そういった話を父としておけばよかった。

そんな小さな後悔が、ふいに身体の内側をチクッと刺してくることがある。

だが、その一方で、もしも今でも父が健在であっても、きっとそんな話はしないのだろうな、と思っている自分もいる。

仮に、来世もワタシと父が再び親子として生まれ変わったとしても、一度もそんな話をしないまま輪廻転生を繰り返すような気がする。

考えてみれば、世の中の父と息子は、誰もがそんな感じなのではないだろうか。
その方が、至極真っ当な父子の関係に思える。

まぁ、何はともあれ、父の逝去から1年が過ぎ、これでワタシと父の年齢差は、1歳縮まったわけだ。
これから順調に時間を重ねてゆけば、いずれ父と同い年になる時も訪れるのだろう。

そして、願わくば。

ワタシの生涯が終わる時、1歳でもいいから父よりも年上になっていれば。

それが、若い頃、父と顔を合わせれば喧嘩ばかりしていたワタシにできる、せめてもの親孝行のような気がしている。

少しずつ見慣れてきた父の名前と享年月日が刻まれた墓に手を合わせながら、ぼんやりと、そんなことを思った。

お父さん、そっちはどうね?
おじいちゃんとおばあちゃんには、会えたかいね?
こっちは、みんな元気じゃ。
うん、元気にしとるよ。

コメント (2)
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