りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

半世紀ぶり。

2023-03-04 | 家族
今日は、母とお墓参りに。

といっても、父や祖父母のお墓ではなく。

母の母の父母のお墓。
つまり、ワタシにとっては、母方の曾祖父母のお墓。

父方ならともかく、母方の、そのまた母方のご先祖様の墓となると、やはり感覚的にも遠くになりすぎて、訪れる機会が今までなかった。

ワタシはもちろん、孫にあたる母でさえも、いったいいつ以来の墓参なのか定かではないほど。
しかし、母がそんな感じなのに、ワタシには以前墓参した時の記憶が頭の片隅に残っていた。

遠い昔。
山の中腹の斜面に点々と墓が並んでいて、その麓の道端にクルマを停車して、登った。
よく晴れた日で、家族と登って行ったのだが、その中に4歳違いの弟の姿はない。
けっこうな坂道だったので、ワタシは母と手を繋いで登った記憶がある。
おそらく、母はまだ、弟を身ごもる前だったのだろう。


・・・ということは、この記憶は、今から50年前の出来事ということになる。


今回、そんな遠いご先祖様の墓参をすることになったのは、先日、母との他愛もない会話の中で、ワタシの脳内の最下層に残るこの記憶を話したことがきっかけだった。

当時3歳足らずだったワタシには具体的な場所は分からないので、助手席に座る母のナビに従って、クルマを走らせたのだが、案外迷わずたどり着くことができた。

沼隈半島の真ん中辺り。
公私に関わらず、ふだんクルマでよく走っている道の側だった。

50年前と同じように道端にクルマを停め、山の斜面を登った。
あの時と同じような穏やかな天気。
坂道の途中で振り返って眼にした風景も、自分の記憶に残る風景と同じような気がした。

ひとつだけ違うことがあるとすれば、50年前は、母がワタシのために手を繋いで坂道を登ってくれたが、今回は、ワタシが母のために手を繋いで坂道を登ったことか。

花と線香を手向け、手を合わす。

半世紀ぶりの墓参。

曾祖父母とも、ワタシが生まれる前に鬼籍に入ったので一度も会ったことがない。
母でさえも、もう記憶が朧げのようだった。

そんな子孫の久しぶりの墓参を、お墓に眠る曾祖父母は喜んでくれただろうか。

いや、おそらく喜んでなんていないだろう。

突然、しかも半世紀ぶりに現れた自分達よりも年上になった孫とひ孫の姿に、お墓の中で腰を抜かすほど驚いていたに違いない(笑)

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