つい数週間前に、ネットのニュースで知った。
マルハラ、というハラスメント。
なんでも、SNSの文面において、句点の(。)を使用することによって、文面が冷淡に感じたり怒っているように感じることをいうそうだ。
そして、そう感じているのは、圧倒的に中高年から若い世代へ対するメッセージの文面とのこと。
思い返せば・・・
娘や息子から送られてくるメッセージには、句点(。)はほぼ付いてない。
時には読点(、)も付いてないことがある。
そして、端的にというか何というか、恐ろしく短い。
そして、もうひとつ思い返せば・・・
このブログの日々のタイトル。
英文字がタイトルの場合以外、つまり、日本語でタイトルを記した時は、必ず句点(。)を付けている。
それどころか、このブログ自体も、そのタイトルには「りきる徒然草。」と、思い切り句点(。)を付けている。
見方によっては、これはもう、マルハラの権化じゃないか(笑)
だけど、これにはそれなりの理由があって。
ワタシが働いているのは広告業界であり、ワタシ自身、コピーライターやコピーライティングへの憧れからこの業界に入った人間だった。
糸井重里、仲畑貴志、真木準・・・といった憧れたコピーライターが世に出してきた著名な名コピーには、必ずと言っていいほど最後は句点(。)で終わっていた。
くうねるあそぶ。
よろしく。
タコなのよ、タコ。タコが言うのよ。
おしりだって、洗ってほしい。
カゼは社会の迷惑です。
でっかいどお。北海道。
ホンダ買うボーイ。
・・・などなど、挙げはじめればキリがない。
そんな70年代から90年代にかけての広告コピーに感化された人間としては、句点(。)で終わらない文章は、どうも座りが悪い。
どことなく尻切れトンボのような、まるでパンツを穿いてないような、そんな落ち着かない気持ちになってしまうのだ。
だから、このブログでは先達のコピーライターへのリスペクトも込めて、タイトルはもちろん、中身の文章にも、句読点だけはきちんと付けてきた。
しかし今や、こういう文章表現さえも、ハラスメントになる時代になったんだなぁ・・・。
マルハラというモノを知って以来、ちょっと考えはじめた。
このブログも、もう今後は句点(。)は付けない方が良いのかどうか。
時代の最先端を走ってるわけではないけれど、それでも出来るだけ時代に合わせたアップデートはした方が良いわけだし。
しかし、ここでもうひとつ、思い返した。
そもそも、このブログには・・・
若い人は訪れていない(笑)
まぁ、そんなわけで、このブログは、今まで通りでまいります😅
マルハラ、というハラスメント。
なんでも、SNSの文面において、句点の(。)を使用することによって、文面が冷淡に感じたり怒っているように感じることをいうそうだ。
そして、そう感じているのは、圧倒的に中高年から若い世代へ対するメッセージの文面とのこと。
思い返せば・・・
娘や息子から送られてくるメッセージには、句点(。)はほぼ付いてない。
時には読点(、)も付いてないことがある。
そして、端的にというか何というか、恐ろしく短い。
そして、もうひとつ思い返せば・・・
このブログの日々のタイトル。
英文字がタイトルの場合以外、つまり、日本語でタイトルを記した時は、必ず句点(。)を付けている。
それどころか、このブログ自体も、そのタイトルには「りきる徒然草。」と、思い切り句点(。)を付けている。
見方によっては、これはもう、マルハラの権化じゃないか(笑)
だけど、これにはそれなりの理由があって。
ワタシが働いているのは広告業界であり、ワタシ自身、コピーライターやコピーライティングへの憧れからこの業界に入った人間だった。
糸井重里、仲畑貴志、真木準・・・といった憧れたコピーライターが世に出してきた著名な名コピーには、必ずと言っていいほど最後は句点(。)で終わっていた。
くうねるあそぶ。
よろしく。
タコなのよ、タコ。タコが言うのよ。
おしりだって、洗ってほしい。
カゼは社会の迷惑です。
でっかいどお。北海道。
ホンダ買うボーイ。
・・・などなど、挙げはじめればキリがない。
そんな70年代から90年代にかけての広告コピーに感化された人間としては、句点(。)で終わらない文章は、どうも座りが悪い。
どことなく尻切れトンボのような、まるでパンツを穿いてないような、そんな落ち着かない気持ちになってしまうのだ。
だから、このブログでは先達のコピーライターへのリスペクトも込めて、タイトルはもちろん、中身の文章にも、句読点だけはきちんと付けてきた。
しかし今や、こういう文章表現さえも、ハラスメントになる時代になったんだなぁ・・・。
マルハラというモノを知って以来、ちょっと考えはじめた。
このブログも、もう今後は句点(。)は付けない方が良いのかどうか。
時代の最先端を走ってるわけではないけれど、それでも出来るだけ時代に合わせたアップデートはした方が良いわけだし。
しかし、ここでもうひとつ、思い返した。
そもそも、このブログには・・・
若い人は訪れていない(笑)
まぁ、そんなわけで、このブログは、今まで通りでまいります😅
例えば、
君たちは、どう生きるか。
とか、確かに圧を感じるけど、それは句読点のせいじゃなくて、文章そのものの意味からくる圧なんじゃないかな~。
君たちはどう生きるか
の方が圧弱いかな〜
よくわからん。
ジェネレーションギャップ。
たしかに句点よりも文章の意味の方からプレッシャーを感じる方が、健全のような気はします。
結局のところ、若者からすれば、年長者のやることは、全てプレッシャーなのかも知れないですね。
かつて〈新人類〉と呼ばれた世代としては、そう思います😅