15.“旅名人の九州満喫きっぷ”の二日目-くま川鉄道
人吉駅は正面のJRの駅舎のほかに、右脇にくま川鉄道のホームへの跨線橋がある。
JRのホームからも直接くま川鉄道のホームに行けるが、
それでも直接乗る人のために線用の跨線橋が設置されているのである。
ここは改札がないので、ホーム駅舎の駅員に声を掛け、検印して貰う。
切符用のスタンプは用意されていないようで、
「人吉温泉」という駅名のみのスタンプと別に日付印を押してくれた。
ホームに行って列車を待っているとKT-203「KUMA-1」が入線してきた。
「KUMA」は水戸岡鋭治氏のデザインによる観光列車で、
既存の新潟鐵工所NDCシリーズの気動車を改造したものである。
“駅から時刻表”ではこの列車は「観光列車KUMA」充当とはなっていないが、
実際は「KUMA1」が単行で使用されていた。
これに乗ってまずは終点の湯前まで行く。
くま川鉄道
くま川鉄道は国鉄特定地方交通線であった湯前線を引き継ぎ、
1989年4月26日に設立された第三セクターである。
湯前線は1924年3月30日に人吉から湯前までが敷設され、
更に妻線杉安駅までの延伸が計画もあったが実現せず、妻線も1984年に廃止になった。
1987年2月3日に第3次特定地方交通線として廃止が承認、
同年4月1日に国鉄分割民営化によってJR九州に引き継がれ、
1989年10月1日にくま川鉄道に転換された。
路線は湯前線で人吉温泉から湯前までの非電化、単線の24.8kmである。
車両はKT-100形及びKT-200形で、どちらも新潟鐵工所で製造された軽快気動車。
KT-100形は便所なし、セミロングシート、
KT-200形は便所あり、ロングシートの違いがある。
両形式とも16m級、両運転、機関は新潟鐵工所製DMF13HS、機関出力250PS/1900rpm。
湯前から折り返しの「KUMA1」に乗っておかどめ幸福まで戻る。
ここは以前から行きたいと思っていた駅で、
1989年10月1日にくま川鉄道によって設置された新駅である。
近くの岡留熊野座神社は鎌倉時代、蒙古襲来、いわゆる“弘安の役”の時に、
この地を治めていた相良藩も出征したため、
当時の藩主の主頼俊公は1280年に岡留熊野座神社を建立、
祭神の伊邪那岐神(いざなきのみこと)、伊邪那美神(いざなみのみこと)に因み、
善男善女を集めて勝利を祈願したところ、神風が吹いて元は撤退、
以来、この岡留神社は男女を結びつける幸福神社と呼ばれるようになったという。
待ち時間にこの神社に参拝し、再びおとがめ幸福まで戻る。
戻る途中にポツポツと雨が降り出し、隣のあさぎり駅に着いた時には本降りとなっていた。
少し雨宿りをしながら駅取材のチャンスを待った。
しかし雨はさらに激しくなり、まるで滝壺の中にいるようだった。
しかしそれもそれほど長くは続かず、雨はやがて止んでその機会に駅取材、
13:57の「観光列車KUMA」で人吉温泉まで戻る。
この列車は「KUMA1」と「KUMA2」を連結した編成になっていた。
人吉温泉まで戻ると、すでに1番線のJR肥薩線のホームには「SL人吉」が待っていた。
人吉駅は正面のJRの駅舎のほかに、右脇にくま川鉄道のホームへの跨線橋がある。
JRのホームからも直接くま川鉄道のホームに行けるが、
それでも直接乗る人のために線用の跨線橋が設置されているのである。
ここは改札がないので、ホーム駅舎の駅員に声を掛け、検印して貰う。
切符用のスタンプは用意されていないようで、
「人吉温泉」という駅名のみのスタンプと別に日付印を押してくれた。
ホームに行って列車を待っているとKT-203「KUMA-1」が入線してきた。
「KUMA」は水戸岡鋭治氏のデザインによる観光列車で、
既存の新潟鐵工所NDCシリーズの気動車を改造したものである。
“駅から時刻表”ではこの列車は「観光列車KUMA」充当とはなっていないが、
実際は「KUMA1」が単行で使用されていた。
これに乗ってまずは終点の湯前まで行く。
くま川鉄道
くま川鉄道は国鉄特定地方交通線であった湯前線を引き継ぎ、
1989年4月26日に設立された第三セクターである。
湯前線は1924年3月30日に人吉から湯前までが敷設され、
更に妻線杉安駅までの延伸が計画もあったが実現せず、妻線も1984年に廃止になった。
1987年2月3日に第3次特定地方交通線として廃止が承認、
同年4月1日に国鉄分割民営化によってJR九州に引き継がれ、
1989年10月1日にくま川鉄道に転換された。
路線は湯前線で人吉温泉から湯前までの非電化、単線の24.8kmである。
車両はKT-100形及びKT-200形で、どちらも新潟鐵工所で製造された軽快気動車。
KT-100形は便所なし、セミロングシート、
KT-200形は便所あり、ロングシートの違いがある。
両形式とも16m級、両運転、機関は新潟鐵工所製DMF13HS、機関出力250PS/1900rpm。
湯前から折り返しの「KUMA1」に乗っておかどめ幸福まで戻る。
ここは以前から行きたいと思っていた駅で、
1989年10月1日にくま川鉄道によって設置された新駅である。
近くの岡留熊野座神社は鎌倉時代、蒙古襲来、いわゆる“弘安の役”の時に、
この地を治めていた相良藩も出征したため、
当時の藩主の主頼俊公は1280年に岡留熊野座神社を建立、
祭神の伊邪那岐神(いざなきのみこと)、伊邪那美神(いざなみのみこと)に因み、
善男善女を集めて勝利を祈願したところ、神風が吹いて元は撤退、
以来、この岡留神社は男女を結びつける幸福神社と呼ばれるようになったという。
待ち時間にこの神社に参拝し、再びおとがめ幸福まで戻る。
戻る途中にポツポツと雨が降り出し、隣のあさぎり駅に着いた時には本降りとなっていた。
少し雨宿りをしながら駅取材のチャンスを待った。
しかし雨はさらに激しくなり、まるで滝壺の中にいるようだった。
しかしそれもそれほど長くは続かず、雨はやがて止んでその機会に駅取材、
13:57の「観光列車KUMA」で人吉温泉まで戻る。
この列車は「KUMA1」と「KUMA2」を連結した編成になっていた。
人吉温泉まで戻ると、すでに1番線のJR肥薩線のホームには「SL人吉」が待っていた。