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 青春の旅立ち-2024年夏東海道本線全駅取材の旅15.

2025-03-09 | 鉄道・旅行

 15.東海道本線三河塩津と名鉄蒲郡競艇錠前の駅取材

三ヶ根で駅取材して、13:47で隣の三河塩津に行く。

JR三河塩津駅は相対式2面2線の地上ホームを有する東海道本線の駅である。
1番宣は下り方面、2番線は上り方面が使用する。
画像は南口で、橋上駅舎化されている。

三河塩津に駅が出来たのは1988年11月16日で、
蒲郡競艇場への利用客を見込んで蒲郡市が1987年8月に駅設置を要望、
翌年、総建設費1億5000万円のうち、蒲郡市が1億2000万円、
残りをJR東海が費用負担して建設された請願駅である。
隣の蒲郡から三河塩津までは名古屋鉄道蒲郡線が併走している。
南口に隣接して名鉄蒲郡線蒲郡競艇場前がある。
そこでこの駅も取材することにした。

名古屋鉄道蒲郡競艇場前駅は単式1面1線の地上ホームを有する蒲郡線の駅で、
上下線で同じホームを使用する。

名古屋鉄道蒲郡線は吉良吉田から蒲郡を結ぶ17.6kmの路線で、
現在の名鉄三河線を敷設した三河鉄道によって敷設された。
名鉄三河線は猿投から知立までが山線、知立から碧南までが海線と呼ばれているが、
以前は海線が碧南から吉良吉田まで線路が延びていて、
吉良吉田から蒲郡までの延伸線として蒲郡線が敷設された。
しかし碧南から吉良吉田の区間は閑散区間のため2004年4月1日に廃止された。
三河線海線は三河鉄道によって1914年2月5日に、
刈谷新(現・刈谷)から大浜港(現・碧南)までの区間を敷設した。
1915年10月28日には刈谷新から知立まで延伸された。
1926年9月1日には大浜港から神谷(後の松木島、現廃止)まで延伸、
1928年8月25日には神谷から三河吉田(現・吉良吉田)まで延伸された。
1929年8月11日には三河吉田から三河鳥羽まで延伸、
この先は非電化で1936年7月24日には三河鹿島まで延伸、
同年11月10日には蒲郡まで延伸し、全通した。
三河鉄道は1941年6月1日に名古屋鉄道へ合併し、
現在の蒲郡線である区間を含めて三河線となった。
名鉄に合併後に電化され、戦後の1948年5月16日に、
三河吉田から蒲郡までの区間を蒲郡線として分離された。

1936年11月10日に三河鹿島から蒲郡まで延伸して、
蒲郡線が全通したのと同時に拾石駅が開業した。
翌年、1937年3月9日に竹谷駅が開業、
同年5月11日に江畑駅が開業した。
戦時中の1944年には竹谷、江畑が休止され、
戦後の1953年1月1日に竹谷、江畑を廃止、
両駅を統合して中間に塩津が開業した。
1968年10月1日に塩津と拾石を統合し、
蒲郡競艇場前駅が開業した。
1988年11月16日に併走する東海道本線に、
三上塩津が開業、それに合わせて同年9月17日に現在地に移設された。

この駅を取材していると、名鉄蒲郡線に列車が入線してきた。
現在の名鉄は赤を基調とした車両塗色が中心だが、
この車両はたぶん以前の名鉄の車両のデザインが施されている。
ヘッドマークには「復活塗装車両」と書かれ、
3種類のデザインの車両のイラストが描かれている。
撮影した車両は6000系6010編成で、
5500系が1959年4月1日に登場した当時の塗色である。

名鉄蒲郡競艇場前駅の駅名でも分かる通り、
三河塩津とこの駅は蒲郡競艇場への利用客のための駅という側面が強い。
駅取材している時にも、どう見てもギャンブル好きオーラを発している、
ちょっとヤバ目な風体の大人たちがたくさん降りてきた。


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