rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

暖をとるためのもの

2013-11-14 11:58:27 | 随想たち
エアコンの暖房、ファンヒーター、私の嫌う暖房器具。
室外機の音、人工的な温かい風、ファンの回る音は、余計なものに感じるから。
コタツは局所的で効率がいいかもしれないけれど、コタツから出るのが億劫になるのと、コタツ掛けが呼ぶ埃にもこもこした布団のだらしなさがあるから、個人的には好ましくない。
余分な蒸気も要らず安全性とやさしい暖かさのあるオイルヒーターが最もよろしく、次いで石油ストーブが、今の現実的な暖房器具として使っている。
ただし、オイルヒーターは、極寒の日には効果が乏しくて、断熱材が割合ふんだんに使ってある我が家において、雨戸を閉めてもあまり暖かくならない。
ペアガラスならば理想的でも、工事費がかなりかかるので実現は難しいのだ。
そこで、石油ストーブの出番となる。
点火時と消火時の石油の匂いもさることながら、たびたびの換気と湿度を上げるためのやかんをのせなければならないので、大歓迎とはいかない。
さすがに走り回るこどもの危険性はなくなったとはいえ、狭い部屋において危ないことに変わりはなし、水蒸気の結露でカビが発生しやすくなることも難点だ。
ただし、これらの欠点を凌駕するものが、石油ストーブにはある。
それは、反射式なら燃焼筒が赤くなるその色と、対流式ならば機器内の燃焼筒内で燃える炎の黄金色の美しさを見られ、目でも温かさを認識できるところだ。
那須にあるたびたび訪れる家には、薪ストーブがあって、黒い鋳物のストーブの中でパチパチと音を立てて燃える薪から立ち上がる炎を見る喜びは、何物にも変えがたい良さがある。
また、単純に燃焼して暖をとれる暖房器具は、エネルギーの無駄を減らしているようで、イメージ的にいい。
その観点からいくと、電気を使うオイルヒーターは、割の悪いものとなってしまうが換気をこまめにする必要がない分いいだろうと、いささか身勝手な納得をしてしまっている。
そかし、なんといっても冬で全てが冷えているのだから、室温を上げすぎるのは論外なのだ。
それなりに温かい格好をして、せめて18度から20度くらいの手が凍えない程度の室温を心がければ、膨大なエネルギーを必要としなくてすむ。
反対に夏場の冷房も然り、熱中症にならない程度の設定温度にすべきなのだ。
過剰な快適さを求める人の驕りが、ひいては自らの首を絞める自殺行為となることを自戒しなくてはならない。
夏の猛暑、冬の厳寒、気温変化の激しさに、いろいろな手段で快適さを求めるけれど、やや足りないくらいが心身のバランスを保てるはずなのだ。
快適と不快の差が激しいとそれが要らぬストレスとなり、あるいは快適さが常態化すると人の体の持つ生存機能を低下させる場合も考えられる。
僅かな飢餓状態こそ理想的といえるのは、生命の本質を垣間見た気がした。
と、おやおや、”暖をとるためのもの”と銘打って始まったのに、大げさなほうに話が脱線してしまった。
この部屋の寒さ、夏は快適だけれど、それが引き起こした手の凍えが、話を滑らせたのだな。