最近なかなか見ることの出来なかった「にじいろジーン 地球まるごと見聞録」、今回は、その国名の由来ともなったポルトガルの北に位置する古都ポルト。
ドーロ川を挟んでの丘陵地帯にオレンジ色の屋根が連なり、14世紀から15世紀にかけての大航海時代を牽引した港町、そして坂の街だ。
両岸の町をつなぐ高さ45メートルのドン・ルイス1世橋は、メトロや歩道が上下に別れて、人々の生活を支えている。
お楽しみのグルメ&スウィーツ。
まずはスウィーツ。
「レイタリーア・ダ・キンタ・ド・パッソ」というカフェでは、”ポーラ・ド・ベルリン”という人気スウィーツがあり、ドーナツにホイップクリームをたっぷりとはさんだものだ。
もともとは、ドイツから伝わったもので、本来カスタードクリームをはさむところを、この店の前身がミルク工場だったためホイップクリームにアレンジしたという。
「コンフェイタリーア・ド・ボリャオン」は、カステラのルーツともいえる”パォン・デ・ロー・マルガリーデ”がいい。
修道院などでクリスマスなどに食べるため作られていたそうだが、この店では小麦粉・卵・砂糖のシンプルな素材で30分かけてじっくり焼き上げる。
手でちぎって食べるのが、この地方の流儀とか。
次にグルメ。
「ポスティーゴ・ド・カルヴァオン」では、郷土料理ともいえる”ポルト風モツ煮込み”が味わえる。
大航海時代、港町であったポルトでは船への肉の供出で、庶民には内臓しか残らなかった。
そこで、カレーのスパイスのひとつクミンを使ってモツの臭みを消しながら煮込み料理にしたそうだ。
港町であるポルトは、シーフードが美味しい。
「エスプラナーダ・ド・モーリエ」は、海鮮リゾットがオススメ。
エビの殻を白ワインやトマトピューレなどで煮込みだしをとって細かく砕いて濾したスープで米を炊き、シーフードを加えて作る。
郷土料理レストラン「カーザ・イネス」では、”タコのフリット&タコの炊き込みご飯”がいいだろう。
くしに刺したタコに、卵と小麦粉で作った衣を付けて揚げる”タコのフリット”。
タコを1時間半もじっくり煮込んで、そこに米を加えて炊き上げる”タコの炊き込みご飯”は、シンプルな中に深い旨味がある。
これらは、クリスマスなどにも食べるソウルフードといった趣だ。
ポルトでは、米の消費がヨーロッパの中でも群を抜く。
その食べ方も割合にシンプルで、日本人の口に合うこと請け合いといえよう。
ポルトガルは、街のいたるところに青い絵付けしたタイルの装が目に付くはずだ。
その陶器でできたタイルなど磨かれた石”ゼリージョ”に由来する”アズレージョ”といい、素焼きのタイルにナイフなどで刻み込むように模様を描き、青などの顔料をぼかすように塗りこんで絵付けする。
同じ東方貿易で繁栄したオランダにも青の絵付けしたデルフト焼きもあるけれど、こちらは東洋の影響が大きく、一方アズレージョは、15世紀からと2世紀ほども発生が古くアラビヤの影響下にあるので、幾何的文様が初期の頃多く見られる。
「アグアス・フルターダス・デザイン」は、若手デザイナーのバッグ専門店。
ポルトガル北部に伝わる愛の言葉などをデザインに取り入れ、伝統デザインをアレンジして今に合うものを作っている。
ポルトから車で2時間のドウロ地方は、世界遺産にも登録されているワインの産地。
このあたりの景観は、ほぼワインのために作られたといって過言ではない。
ちなみにレグア列車に乗ると、その景色を堪能できる。
「キンタ・ド・モンテ・トラヴェッソ」は、足で踏んでブドウを砕く伝統的ワインの製法を守っている農家で、宿泊もできる。
ここでは、”ソッパ・デ・カバーロ・カンサード”は、疲れた馬も元気になるといわれるちぎったパンをワインとたっぷりの砂糖で浸したものを食べられる。
14世紀後半の大航海の幕開けをもって栄華を極めだしたポルトガル、しかしいつまでも幸運の女神が微笑んでいるとは限らなく、18世紀を待たずしてその栄華の座を譲らなくてはならなかった。
その後、ポルトガルは時代の中心から取り残されて、今に至っている。
それが、悪いことばかりとは思えない、得るものが大きければ失うものも大きい、18世紀から21世紀、ある面では豊かではないだろうか。
いろいろな生き方がある、最先端の文明の利器に満たされるだけでは得られないもの、ポルトガルの人々はどう思って暮らしているのか、聞いて見たいものである。
ドーロ川を挟んでの丘陵地帯にオレンジ色の屋根が連なり、14世紀から15世紀にかけての大航海時代を牽引した港町、そして坂の街だ。
両岸の町をつなぐ高さ45メートルのドン・ルイス1世橋は、メトロや歩道が上下に別れて、人々の生活を支えている。
お楽しみのグルメ&スウィーツ。
まずはスウィーツ。
「レイタリーア・ダ・キンタ・ド・パッソ」というカフェでは、”ポーラ・ド・ベルリン”という人気スウィーツがあり、ドーナツにホイップクリームをたっぷりとはさんだものだ。
もともとは、ドイツから伝わったもので、本来カスタードクリームをはさむところを、この店の前身がミルク工場だったためホイップクリームにアレンジしたという。
「コンフェイタリーア・ド・ボリャオン」は、カステラのルーツともいえる”パォン・デ・ロー・マルガリーデ”がいい。
修道院などでクリスマスなどに食べるため作られていたそうだが、この店では小麦粉・卵・砂糖のシンプルな素材で30分かけてじっくり焼き上げる。
手でちぎって食べるのが、この地方の流儀とか。
次にグルメ。
「ポスティーゴ・ド・カルヴァオン」では、郷土料理ともいえる”ポルト風モツ煮込み”が味わえる。
大航海時代、港町であったポルトでは船への肉の供出で、庶民には内臓しか残らなかった。
そこで、カレーのスパイスのひとつクミンを使ってモツの臭みを消しながら煮込み料理にしたそうだ。
港町であるポルトは、シーフードが美味しい。
「エスプラナーダ・ド・モーリエ」は、海鮮リゾットがオススメ。
エビの殻を白ワインやトマトピューレなどで煮込みだしをとって細かく砕いて濾したスープで米を炊き、シーフードを加えて作る。
郷土料理レストラン「カーザ・イネス」では、”タコのフリット&タコの炊き込みご飯”がいいだろう。
くしに刺したタコに、卵と小麦粉で作った衣を付けて揚げる”タコのフリット”。
タコを1時間半もじっくり煮込んで、そこに米を加えて炊き上げる”タコの炊き込みご飯”は、シンプルな中に深い旨味がある。
これらは、クリスマスなどにも食べるソウルフードといった趣だ。
ポルトでは、米の消費がヨーロッパの中でも群を抜く。
その食べ方も割合にシンプルで、日本人の口に合うこと請け合いといえよう。
ポルトガルは、街のいたるところに青い絵付けしたタイルの装が目に付くはずだ。
その陶器でできたタイルなど磨かれた石”ゼリージョ”に由来する”アズレージョ”といい、素焼きのタイルにナイフなどで刻み込むように模様を描き、青などの顔料をぼかすように塗りこんで絵付けする。
同じ東方貿易で繁栄したオランダにも青の絵付けしたデルフト焼きもあるけれど、こちらは東洋の影響が大きく、一方アズレージョは、15世紀からと2世紀ほども発生が古くアラビヤの影響下にあるので、幾何的文様が初期の頃多く見られる。
「アグアス・フルターダス・デザイン」は、若手デザイナーのバッグ専門店。
ポルトガル北部に伝わる愛の言葉などをデザインに取り入れ、伝統デザインをアレンジして今に合うものを作っている。
ポルトから車で2時間のドウロ地方は、世界遺産にも登録されているワインの産地。
このあたりの景観は、ほぼワインのために作られたといって過言ではない。
ちなみにレグア列車に乗ると、その景色を堪能できる。
「キンタ・ド・モンテ・トラヴェッソ」は、足で踏んでブドウを砕く伝統的ワインの製法を守っている農家で、宿泊もできる。
ここでは、”ソッパ・デ・カバーロ・カンサード”は、疲れた馬も元気になるといわれるちぎったパンをワインとたっぷりの砂糖で浸したものを食べられる。
14世紀後半の大航海の幕開けをもって栄華を極めだしたポルトガル、しかしいつまでも幸運の女神が微笑んでいるとは限らなく、18世紀を待たずしてその栄華の座を譲らなくてはならなかった。
その後、ポルトガルは時代の中心から取り残されて、今に至っている。
それが、悪いことばかりとは思えない、得るものが大きければ失うものも大きい、18世紀から21世紀、ある面では豊かではないだろうか。
いろいろな生き方がある、最先端の文明の利器に満たされるだけでは得られないもの、ポルトガルの人々はどう思って暮らしているのか、聞いて見たいものである。