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物の大切さを思う心

2012-10-08 14:53:25 | 随想たち
100均は便利でありがたいけど、嫌いだ。
いろいろな物が溢れかえっていて楽しいけれど、嫌いだ。
とりあえず何でもそろうけれど、嫌いだ。
うっかりすると本当に欲しいと思わないもの必要でないものを買ってしまいそうで、買ってしまうから、嫌いだ。
物の存在が軽すぎるから、嫌いだ。
売っている物のすぐ先にゴミ箱の影がちらつくから、嫌いだ。

昨日、小さい人がマスコットを作ろうと躍起になっていた。
針と糸の使い方に未だ慣れていなく、長すぎる糸が絡まって、にっちもさっちも行かないといって怒っていた。
しまいには、思うように行かない布と糸に見切りをつけて、捨てようとしていた。
見かねてなだめに行ったものの、ふと目に入ったゴミ箱に、長い糸が捨ててあるのを見て、これはとんでもないと小さい人に説教をした。
上手くいかないからといってすべてをなかったことにしようとする行為、使える物の存在を簡単に否定する行為を戒めた。
その糸と布は、100均で買ったものだった。
安いから必要になったときにまた買えばいいだろうという気持ちが、透けて見えた。

小さい人は気の毒なくらいに不器用だ。
頭に描いたことと、自分ができるギャップに腹が立ち落ち込むのは、誰しも覚えがある。
性急に結果にたどり着きたいのもわかる。
諦めてしまうことも多いだろうが、そこでやっていた物を捨ててリセットするのはいただけない。
少し放っておいて気を取り直してはじめるもよし、どうにもできないならば使える物を取っておけばよい。
ところが、癇癪を起こして捨ててしまうのだ。
物の大切さ、ありがたみをいつも諭しているのにこの有様。
そこで、もう一度いって聞かせた。

自分たちの生活を満たしているすべての物は、多くの人の労力と地球上に存在する物たちのおかげで存在しているのだと。
これほどの便利で豊かな生活を営もうとしたら、自分ひとりの労働ではまかないきれない。
分業と機械化、科学の発達による、先人たちの努力の成果であるのだと。
確かに、すすんだ消費社会が、科学技術と消費のサイクルを加速させたのだから、消費が悪とは言い切れないかもしれない。
しかし、現実的に今は行き過ぎているのだ。
人は、物の背後にあるものが見えなくなって、物に対して敬意を払わなくなってしまった。
自分もある物の背後を作っていることを忘れて。
簡単に手に入るものは、簡単に捨てられる。
なんとも嘆かわしいことよ。

物の大切さを思う心は、物を作るためにその存在を投げ出された物と、物を作るためにかけた人の努力と労働を汲み取ることから生まれると信じている。
もちろん、その人の労力が完璧に神聖とは言いがたいのは、悲しむべき人の業。
けれど、人のためにと尊い気持ちで当たる人々がいるのも事実なのだ。
まずは、善の面だけを考え、物を大切にする心を誰しも持って欲しいと願う。
物に備わった命を、むやみに軽んじて捨て去ることがないように。

小さい人の心には、物の大切さを思う気持ちが育っているのだろうか。
これからも見守っていこう。



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