コリウールの窓
子供のころ、マティスの「コリウールの窓」に疑問と驚きを覚えた。
「どうしてこのような絵を描いたのだろうか?」
「これを絵といっていいのだろうか?」
そして「この絵のどこがいいのだろう?」
今ならばわかる、この絵のよさが。
色彩のバランスと構成は言うに及ばず、一見、鑑賞者を拒絶しているかのような画面だが実はそうではない、説明は要らない観る者は感じて想像する余地を大いに残しているのだ。
この絵は、鑑賞者のイマジネーションへのゲートだ。
だからこそあえて窓の向こうは黒一色で、鑑賞者を吸い込む作用を与えている。
私は、結局のところ初めてこの絵を知ったときすでにゲートをくぐっていたのかもしれない。
ずっと黒の中を彷徨し続けていた。
マティスは、多くの窓や扉の絵を描いているけれど、きっと絵の向こうに広がる世界に憧れ、心が旅をしていたのだろう。
想像の世界の中では、誰しも自由、心に翼を持っているのだから。
窓辺
カスバの玄関
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