rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

しもやけ・ビオラ・月と木星

2012-12-25 22:53:08 | つぶやき&ぼやき
今朝は、この冬2度目、井戸端の蛇口が凍りついて、10時ごろまで水が出なかった。
鉢植えのビオラたちも凍って、まるで茹でたようにぺなっとうな垂れていた。
マイナス30度の寒波が、日本上空を覆っている。
北海道から日本海側では、大雪に見舞われて人々は難儀している。
明後日にかけて、まだまだ冷え込む予報だ。

私の足の指たちは、しもやけになってしまった。
先ほど、湯船に浸かって発覚したこと。
ムズムズじんじんと、痛痒い。
痛さを我慢してよく揉み、滞った血流を押し出した。
でも、やっぱり痛痒い。

外は雲ひとつなく晴れ、月の近くに木星がひときわ明るい光を放っている。
明け方には、南東の低い位置に土星も現れるそうだ。
夜空に瞬く星たちが、冷え込みの強さを教えてくれるのだ。

クリスマスイベントの大騒ぎは、過ぎ去った。
代わりに容赦ない寒さがやってきて、あと数日しかない今年を追い立てる。
人は、上着の襟を立て身を守りながら、足早に時を過ごすのだろう。

太陽の陽が当たりだすと、すぐさま何事もなかったように咲き続けるビオラの強かさ。
足のしもやけと一緒に、ビオラに倣ってこの寒さを一日と続く乗り越えなくてはならない。

春は待ち遠しいけれど、花粉の季節でもあるから、複雑な気持ち。
ともかく、一日を無事に過ごせるよう、気をつけていこう。





ただひっそりと生まれ来た聖なる子供、ジョット”キリスト降誕”

2012-12-24 23:32:49 | アート

ジョット  キリスト降誕 

静かな静かな星空の下、神の御子であるキリストは、人の世界にひっそりと生れ落ちた。
なんと厳かな命の出現。
天使たちの歓喜のざわめきは、人の耳には届かない。
牛にロバと羊、僅かな羊飼い達が、マリアと幼子イエスを優しく見守るだけだ。

青と温か味のある黄色と灰色で描かれたこの絵は、キリストの誕生を哀しいくらい美しく簡潔に表している。
かえってそれが、この場面を強く印象付ける効果を持つ。
よく見かけるキリスト降誕を描いた絵の中の、マリアの衣の豪奢さや仰々しいポーズは過剰な演出で、感覚を惑わす悪魔の手法とでもいうようだ。
あたかもジョットは、聖書に書かれたことに忠実に脚色無しに描くのが、人のなすべきことと信じ、神に忠実であろうとしているようにみえる。
そこから、聖書に書かれたことを、悪意はなくとも曲解して、いろいろな宗派が派生する人間の弱さ愚かさが、いつの世にもあることなのだと思わずにはいられない。

だから、キリスト降誕を描いた数ある絵の中で、ジョットの絵がひときわ強い輝きを放っている。
生まれる喜びを高らかに讃え、その使命の重さを予感させるのならば、ボッティチェッリの”キリスト降誕”もいいけれど、より聖書に近いといえば、このジョットにおいて他はないだろう。

キリスト教者でなくとも、明日に寄せて、このジョットの”キリスト降誕”をもう一度よく見てみようか。





サンタクロース狂想曲

2012-12-23 23:41:39 | つぶやき&ぼやき
サンタクロースを信じている?
大人になって、トナカイに乗り子供たちにプレゼントを配り歩くサンタクロースの存在を信じる者は、まずいまい。
では、いつ頃まで信じていたのか?
今大人になって者たちでは、せいぜい小学低学年くらいではないかと思う。
ところが、今の子供たちは12歳を過ぎてもサンタクロースを信じている子供が、少なからずいることに驚きを隠せない。
それは、親達の涙ぐましい努力の賜物だ。
子供が小さいうちは、何が欲しいか分かりやすいが、大きくなってくると要求が限定化されて察知しずらくなる。
そこで、親達は知恵を絞り、サンタクロースに手紙を書くように促すなどの手を使う。
これで得た情報を元に、子供に気付かれないようにプレゼントを買い、プレゼントを枕元に置くまで見つからないよう保管し、息を殺してそおっと置くのだ。
おかげで、子供は思春期を迎える頃までサンタクロースを心から信じるようになる。

この現象に、なんとも空恐ろしく感じてしまうのは、変人ゆえなのか?
メディアも、企業も、よってたかってクリスマス・サンタ現象を煽っているから、人々はその幻想に酔いしれるのだろうかなどと考えるのは、少数派なのだろうか?
世界中のサンタクロースが知られているところで、この騒ぎは起こっているか?

子供のうちだけ観られる夢だとしても、それは幼いうちだけにして欲しい。
生活にメリハリをつけるイベントとしてならば、まあいいとしても、本当にサンタクロースがプレゼントを持ってくると信じるさせるように努力するとか、信じてしまうなどは、いい加減にしてもらいたい。
子供においては、科学万能と言いたくはないが、あまりにも非科学的で、理知的思考の停止と危惧してしまうし、親には、何をそこまでしてファンタジーな世界に子供を置いておきたいのかと妙な過保護さに気持ち悪さを抱く。
まさか、世間がサンタクロースを祭りたてているのに、自分達だけが異論を唱えたり、参加しないのは恥ずかしいなどと思っているのだろうか?
でも、そのような現在の状態にあると、今日えらく実感したのであった。

ちなみに、我が家では、子供たちにサンタクロースがプレゼントを・・・なんていうことは一度もしたことがない。
子供のときの楽しいイベントの一つとして、ささやかなプレゼントを贈ることにしている。
夢は、簡単に見られて、簡単に与えられ叶えられるものではないと思うから。




イルミネーションに彩られたクリスマス間近のフランスのパリ

2012-12-22 12:00:50 | 街たち
「にじいろジーン 地球まるごと見聞録」落ち着いた華やかさ溢れるフランスのパリ。
11月後半から、街はクリスマス仕様に様変わり。
毎年趣向を凝らしたイルミネーションが、シャンゼリゼなどの大通りを飾り、老舗百貨店のギャラリー・ラファイエット、プランタン、ボン・マルシェのショーウィンドーには、自動人形が設置され人々の目を楽しませている。
シャンゼリゼ通りは、クリスマスの露天が立ち並び、オーナメントなどはもちろんのこと、さまざまなクリスマス関連グッズが売られるほか、体が温まるホットワインに伝統的クリスマスのお菓子パン・デピスなどの食品もあり、大賑わいだ。
パン・デピスは、ライ麦生地に蜂蜜とスパイスを練りこんで焼いた、クリスマスの贈り物にされる焼き菓子のこと。

パリの青空市場は、実に楽しそうだ。
多種多様な食材が並び、どの店も自分のところの商品が見栄えするように気張って陳列している。
眺め歩くだけでも楽しめるだろう。
今、市場の屋台で人気なのが、スープ専門店。
えんどう豆のスープにカボチャのスープなど、野菜たっぷりの健康的なスープが、数多く取り揃えてある。

パリは、グルメの街。
”ル・カセ・ノワ”は、ビストロブームを作った先駆けの店。
気兼ねなく本格的フランス料理を食べられるとあって、旅行者ならずとも入りやすい店だ。
”オウ・パッサージュ”は、そのビストロよりもくだけた感じの店。
スペイン発祥の小皿料理タパス・スタイルで、たくさんの料理を楽しめる利点が、パリっ子たちに受けたのだ。
基本的に他人とひとつの皿をシェアしない習慣があるので、当方から見るとなんて非合理的と思っていた。
彼らもそう感じていたのだろうけれど、習慣とはなかなか崩せないものでもある。
しかし、このざっくばらんな方式でもって、気になっていたほかの皿も楽しめることになった。
そういえば、タパスは、世界的にはやっているのかしら?
気の多い自分にとっては、なかなかいいスタイルだと思う。

マカロンブームの次は、プチ・シュークリームが、パリで流行っているとのこと。
さくさくのシュー生地の中に、十数種の味のクリームがたっぷりと入った一口サイズのお菓子。
”ポッペリーニ”は、そのプチ・シュークリームの店。
自分としては、マカロンよりもこのプチ・シュークリームを断然推してしまうな。

パリは、おしゃれの街でもある。
”デ・プチ・オ”は、トップス専門の店。
パリジェンヌのおしゃれを楽しむテクニックは、トップスの変化らしい。
顔を際立たせる狙いのためなのだろうか。
”ヴァネッサ・ドゥッチ”は、ヘッドアクセサリー専門店。
帽子にカチューシャなど、頭を飾るものを、オーナー自ら考案しているのだという。
インテリアも関心が高く、照明器具や壁紙などもおしゃれな店がたくさんある。
”レ・ザンヴァチオン・エフェメール”は、壁の装飾専門の店。
特に人気が高いのは、壁に貼るステッカー。
ほとんどが賃貸契約の住居に住む都会では、部屋を出るとき、元あった状態に戻すのが鉄則。
自分で壁紙を張ると、それを撤去しなくてはならない面倒を省くには、この壁ステッカーは重宝する。
最近、日本でも、この壁専用ステッカーが売られているので、気軽に部屋の雰囲気を変えたいときに便利だ。

今のパリ市長になってから、ある試みが公園でなされている。
それは、無料炭酸水給水所の設置だ。
肉食のためか、ヨーロッパなどでは炭酸入りの水が多く飲まれている。
水道の蛇口から出てはこないので、ペットボトルに入ったものを買ってくると、ペットボトルが大量に消費されることになる。
当然ペットボトル廃棄問題が起こり、そこでエコ推進派のパリ市長がこの無料炭酸水給水所を公園に設置してみたということだ。
なかなか好評につき、もう一箇所作ることになっているらしい。
いろいろな取り組みがなされるのは、いいことだ。
ただ、それを悪用しないよう、使う側のモラルを徹底してもらいたい。
必要な人が必要な分だけ使い、私的流用や悪いいたずらなどをしないように。

やはりパリも大きく変わってきているのをみると、ちょっと寂しい気がする。
イルミネーションの飾り方は、そうはいってもやはりすばらしいのだが、全体的に世界が均一化している感を否めない。
大都市の命運だとはしても、感傷的になってしまうのであった。

いつも通りにねこ日向ぼっこ

2012-12-21 12:01:20 | ねこ
2012年12月21日は、マヤ暦による滅亡の日らしく、世界中で終末ブームだ。
1999年7月恐怖の大王到来で人類滅亡とのノストラダムスの予言も大きく話題となり、世間は何かと騒ぎ立てていた。
子供だった頃、ノストラダムスの予言を知って、震え上がったこともあった。
いまはどうか?
チェルノブイリ原発事故、ベルリンの壁崩壊よりもあとの2000年あたりから、世界がめまぐるしく変わり、きな臭さが増してきた。
加えて巨大地震が世界中で起こり始め、人類滅亡はそう遠くない出来事だろうと思わないこともない。
ともかく、期限を切られなくても、人類が未来永劫行き続けられることは考えられないので、滅亡の予言を聞いて自分たちの所業の反省と改善を心がけるきっかけになればと思っているのが、本当のところだ。

今日の天気は、時折雲がかかるけれど、今のところ晴れの状態。
北風もそう強くなく、日向は結構気持ちよい。

ねこは、快適な場所を求めて居場所を変える。
玄関前の芝の上、誰かが来れば茂みの中、今はこの部屋の南側の乾いた土の上でまどろんでいる。
予言のことなど、ねこの知るところではない。
朝の挨拶と、ゴハンの催促、甘えたいおねだり、快調な排便、日向ぼっこしながらの昼寝、それがねこの関心事。
シンプルな命の幸せ。

朝のうちは、ねこの写真を撮りたがる”おかああん”にちょっとうんざりしながらも、毛づくろいに余念がなかった。
甘えたいと近づけば、カメラ攻撃が激しくなるし、ねこにとっては違う意味での災難の日。

今は、うるさくつきまとう”おかああん”から開放されて、のんびり甘い眠りをむさぼっていることだろう。

いつも通りに日向ぼっこをするねこであった。


物憂げなねこ 21/12/2012


アングルより”グランド・オダリスク”なねこ 21/12/2012