rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

I Like Chopin ガゼボ、日本では「雨音はショパンの調べ」

2014-10-23 15:46:07 | 音楽たちーいろいろ


Gazebo - I Like Chopin

1980年代を過ごした方々に知られているのは小林麻美の歌う「雨音はショパンの調べ」だろうが、私と家人にとってはガゼボの歌う”I Like Chopin"だ。
十代の多感な時期に出会った曲のひとつ。
懐かしさがこみ上げてくる。
ともに連れ添い生涯を過ごそうとする者たちには、共通する思い出、関心事が多ければ多いほどいいのではないか。
互いの隙間を埋めてくれるよすがになる。
時々思い出したように青春時代を彩った音楽を聴いては、当時なかなか見られなかったビデオクリップを楽しんでいる。

”薬”とは一種の毒なのでは?

2014-10-22 14:34:28 | 健康について
エボラウイルスが、依然と猛威を振るっている。
その存在が、人に認識されるようになって約40年。
アフリカで局所的に発生し、まだ世界に脅威を与えてはいなかったためか、有効な治療薬はいまだにできていない。
しかし、日本のフィルム会社傘下の企業によって開発された対インフルエンザウイルスのための薬が、エボラウイルスにも有効とみられ、実際に投与された患者が治癒したとのことで、エボラ脅威に一筋の光明が射してきた。
ところが、今日のニュースで「ノロウイルス」にも効果が期待できるとイギリスの研究チームが発表した。
この薬ファビピラビルは、RNAポリメラーゼの阻害薬。
私の解釈では、ウイルスが複製する環境を作らせない絶縁体のようなものと考えている。
しかし、その効果がウイルスだけに及ぶわけもないのは想像でき、つまり投与された人体のDNAにも影響が及ぶと思われる。
薬とは、直ちに人命を奪わない程度において、病巣に有効な毒をもって対処するものだ。
ほとんどの薬に、個人差はあれど副作用があるのはそのため。
胃腸が弱い自分は、しばしば市販の胃腸薬を服用していたが、ついにはどの薬を飲んでも猛烈なのどの渇きという副作用が起こるようになり、服用しにくくなってしまった。
数年間、薬に力を借りることなく凌いでいたところに、漢方の黒い丸薬を勧められ服用したところすこぶる調子よくなった。
けれど、先の教訓から滅多なことで薬を飲まないようにし、副作用を起こさないよう気をつけて、いざというときの丸薬と決めているのだ。
たかだか胃腸薬にしてもこのとおり、ましてやRNAの阻害薬となれば、遺伝子レベルの副作用が起こる可能性がある。
自己再生だけでなく、生殖にも影響が及ぶとなれば、使用状況は慎重を期さなければなるまい。
ノロウイルスも人命を奪うが、よほど凶悪化したウイルスの出現でもない限り、あまりファビピラビルのような薬は使わないべきである。
薄学の素人の杞憂であるかもしれないが、やはり”薬は毒と紙一重”と警戒心を解くことはできないのであった。



空の画家、ロイスダール

2014-10-21 22:11:02 | アート

Landscape with a corn field near the sea

平地においての田舎暮らしでは、視界を占める空と景色の対比は3対2。
空を眺めない日はありえない。

ヤーコブ・ファン・ロイスダールは、17世紀のオランダの画家。
オランダこそ平地、低地の国、空は高く広大で、ずっしりと土地を押さえつけているかのようだ。
ロイスダールほど、空と雲を描いた画家はいないだろう。
どこまでも平らで、しかも海面より低い土地に住むオランダ人にとって空は、単なる景色の添え物ではない、景色と同等いやそれ以上の存在感を持ちえるのだ。

今日の夕方、中くらいの人を迎えに行くのに車を走らせていると、重そうな灰色の雲のわずかな隙間から、白く薄い高層雲とその奥にある薄水色の空が覗いていたのを見た。
幼い頃に見た、北の大地にある保育園帰りの夕空に似ていてノスタルジーを感じる。
そして、ロイスダールの絵を思い出した。
ロイスダールは、自分が立つ平らな土地よりも空をこよなく愛していた。
そうでなければ、景色より存在感のある空を描くことはないだろう。

なんとも勝手ながら、しかし敬愛を込めて「空の画家、ロイスダール」と呼ばせていただこうか。


Wheatfields


A Dutch Rural Landscape


畑に機影、布団干し

2014-10-19 22:24:19 | つぶやき&ぼやき
二日続けてのさわやかな秋晴れ。
昨日は、頂き物の完熟ミニトマトを持って実家へ行った。
空気が乾燥しているためかエンジンの音は軽く、ドライブにうってつけの日だった。
今日は、布団を干し、部屋の掃除をしてトマトソースの仕込をした。
たしか昼をまわった頃だ、来週に行われる航空観覧式の予行演習で、各種飛行機が我が家の上空を飛んでいた。
最近、低空飛行がしばしば行われていたのも、これに向けての練習だったのか。
小さい人も飛行機の飛ぶ音の大きさに驚いて、ベランダに出て空を仰いでいる。
一糸乱れぬ編隊飛行に感激するも、戦争をしていないから暢気に見ていられるのだと漏らす。
畑では、サツマイモの収穫をしている義父母たちも、頭上を通過していく飛行機を作業の手を止めては眺めていた。
時に戦闘機はその機影を畑や我が家に投げかけて飛び去った。
腹に実弾ミサイルを装着した飛行機が飛んできたならと想像すると、恐怖に震える。
私も飛行訓練を見るたびに、習得した技術が実戦で使われないで欲しいと強く願わずにはいられない。
飛行機のパイロットの視界に映り込む長閑な田園風景が、いつまでも豊かな緑を湛えていて、不毛な争いで失われないことを彼ら自身も願っているのだろうと思うと、無性に切なくなってくるのであった。

アドリア海に連なる真珠たち、クロアチア

2014-10-18 23:46:52 | 街たち
「にじいろジーン 地球まるごと見聞録」中世の面影が濃く残るアドリア海に面した国クロアチア。
南端に位置した”アドリア海の真珠”と謳われるドゥブロヴニクは、オレンジ色の屋根に海と空の青、ベージュの石造りの街が美しい。
城壁をめぐらせた中世の街並みが残る旧市街は、世界遺産に登録されている。
街の広場では、リンジョというクロアチア・ダンスが踊られ、クロアチア伝統で手の込んだ幾何学模様コナヴレ刺繍を売る老女がいる。
ドゥブロヴニク郊外にある「エーアール・アトリエ」は、コナヴレ刺繍や素焼きの陶器にフリーハンドで模様を描いた素朴な器などを扱う。
海に面した街ならでは、シーフードのおいしいレストラン「ロカンダ・ペスカリヤ」、ムール貝 エビ 米を炒めコンソメスープを加えてトマトペーストで味をつけたいわゆるリゾット、ただし冷めないように鍋に入れたまま出す。
イタリアに近いこともあり、料理も影響されているようだ。

ドゥブロヴニクから車で北に行くとオミシュという小さな港町がある。
郷土料理がシーフードかと思いきや、「ラドマノーベ・ミリニーツェ」のペカは、オリーブオイル ニンニク ジャガイモ 肉を鉄鍋に入れて蓋をし、かまどに置いて鍋ごと炭で多い尽くして蒸し焼きにしたもの。
出来上がるまで2時間もかかるので、予約を入れて来店する。
あっさり塩味が素材の味を生かして、リピーターがあとを絶たないという。

首都ザグレブに次ぐクロアチア第二の都市スプリトは、ローマ時代と中世の街並みが混在する歴史ある街。
「聖ドムニウム大聖堂」、ローマ皇帝ディオクレティヌが退位後余生を過ごすために作った「ディオクレティヌ宮殿」がみどころ。
「ディオクレティヌ宮殿」は世界遺産でもあり、そのなかに「ルクソール」という宮殿カフェでは、民俗音楽クラパの演奏も楽しめる。
クロアチアのファッションを牽引するスプリトには、「クルッグ」という地元デザイナーのものを扱う店があり、店のコンセプトは”伝統と現代のミックス”らしい。
その名の通りバッグ専門店「バッグ」は、リサイクル・バッグの店。
持ち手はホース、生地はトラックなどの幌を利用している。

今回紹介された街の様子では、現代的な建物が幅を利かせているようには見受けられなかった。
クロアチアの一部の地域の慣わしに、「南風が吹くと体調を崩す」とあるらしい。
つまり季節の変わり目ということなのだが、中世には大事な決め事を南風の吹く日にしてはいけないという法律まであったという。
何を呑気なと思いがち、でも実は芯をついているのだ。
体調が悪くそれに伴って気分も優れなければよい判断もできない、そのくらいの余裕が欲しいものだ。
効率第一主義は、人も窮屈、文化も育たない。
あえて非効率を取り入れる知的精神的成熟を、目指す時代ではないだろうか。
かなり観光化されている気もしないではないが、クロアチアの街々は、失いかけた大切なものを思い出させてくれるではないか。