つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

藤田嗣治展 名古屋市美術館

2016年04月30日 | おススメの展覧会、美術館訪問

 

先日名古屋市美術館さんにお邪魔したとき、藤田と同じ髪型をしていらした学芸員さんに

お会いし、あれ?と思っていましたが、その後そのことが新聞にも掲載され・・

この藤田展に関することだったのかとわかりました。

いざ展覧会が始まってみると、

刈谷市美術館さんとは入り口から全然違うのにびっくり。

藤田はともかく、イヤホン解説のオダギリジョーさんがカッコイイ

 

 

藤田についてはもう皆さんがよくご存じなのでお伝えすることはありませんが

この展覧会は切り口が面白く、「はじめて藤田を知る、さらに藤田を知る」にはとても

よい展覧会だと思えました。会場の解説はもちろん、カタログは個々の作品の解説まで細やかです。

今回の私の収穫は

1、藤田の父が軍医、しかも後には陸軍の軍医総監まで上り詰めた経歴の持ち主で、嗣治が画家になりたいと希望したとき当時としては珍しく一つも反対をしなかった立派な人であったこと。2、藤田がその四人の子供のうち末っ子であったこと。

そして3、「人生は思いの通りになっていく」 ということです。

 

前述の和田英作は早くからその描写力が認められ、日本で画家としてエリートの道を歩みました。

佐橋が英作の絵を観たとき「この人は人のなかで苦労し、自分の絵を高めていった画家だね」とぼそっとつぶやきましたが、エリート故に派閥のなかに苦しんだ時期も長かったようでうです。

それに比して

藤田は絵を描く自体の才能には恵まれず、それでも世界の画家をめざし、苦心をし、世界の画家になった画家。

 

波瀾万丈の人生や戦争絵画への思い、晩年藤田は名実ともに世界の画家になれたとおもいますが、その本人の胸のうちは誰にもわからず、

戦前のあの白い肌を発見したときの活気に満ちた作品群をよしとするのか、

後年のカトリックの洗礼を受けたあとの優しい母子、子供たちの作品をよしとするのか。。

私のなかで改めて藤田を感じ直す機会となりました。

生誕130年記念 藤田嗣治展 ~東と西を結ぶ絵画~ 名古屋市美術館は

7月3日まで。その後兵庫県立、府中市立美術館を巡ります。

 

 

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和田英作展 刈谷市美術館

2016年04月30日 | おススメの展覧会、美術館訪問

 

 

昨日はおもいがけず寒い一日となりました。

雨のなかをお客様のところから何度も大作の荷出しをして膝を痛めた佐橋と

なんにもしていないのに50肩が痛い私でお互いを励まし合いながら

行って参りました展覧会へ。

 

 

 

まず県内刈谷市美術館さんへ

こちらでは6月5日まで 日本近代洋画の巨匠 和田英作展 が開催されています

和田英作(1874~1959年)は明治・大正・昭和を通じ洋画壇の重鎮として偉大な業績を残しながら、現代日本では残念ながらその名前を忘れられそうになっている画家です

当店でも何度か作品を扱わせていただき、そのなかでも瓶のバラの佳品をまだ絵をお求めになって間もないお客様にお納めしたことが大変嬉しかったので、このお客様にも展覧会のご紹介をするのを楽しみに、また私たちも伺うのを心待ちにしていました。

 

以前は和田英作と小林和作を間違えるほど、その作品の認識が甘く、トンチンカンであった私が、今日、和田英作をきちんと、

いや。。その作品に深い感動をもって認識し、刈谷をあとにできたことは大きな収穫でした。

英作は晩年70代に富士を描きたいという希望で清水の三保に居を構え、「富士バラ太郎」とあだ名されるほど富士を描きましたが、

私は富士の作品よりも、疎開先の知立などで描いた川、湖、など少し湿り気のある風景画に

とても興味をもちました。

堅実、穏健。

つぎに紹介させて頂く藤田嗣治とは対称的な画風でありますが、

ひとつひとつの作品を大変丁寧に(この丁寧さはなかなか他の洋画家、特に外国の作家にみることはありません)慈しみをもって描いていること。

それは自然への慈しみなのか?

絵画を描くことへの慈しみなのか?はっきりとはわかりませんが、

その静かな慈しみこそ日本近代絵画の魅力だと考えて参りましたので

今回の和田英作展をきっかけにまたこの作家の作品も扱っていきたいと思い直しました。

(佐橋は昔からそのつもりだったようですが)

 

私たちのこの思いとは逆に、残念ながら会場は空いています。

入場料も700円。是非是非皆様にお出掛けいただきたく、お勧めいたします。

 

 

このあと、夏には静岡佐野美術館さん、秋には兵庫神戸市立小磯記念美術館さん、

宮崎県都城市立美術館さんを巡回予定です。

 

 

 

 

 

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観世能楽堂

2016年04月30日 | 日記・エッセイ・コラム

先週は京都で久しぶりにお能を観ることができました。

お目当ての梅若玄祥さんが体調をこわされ欠演となってしまいましたが、11時~4時半まで一日ゆっくり能楽堂で過ごすことができ、よい気分転換になりました。

そうですねぇ~全体の2分の1?3分の2?いつも寝てしまう佐橋が

自ら小さな謡曲集を買って睡眠を3分の1まで減らしたことは快挙!でした。

私自身もお能に詳しいわけでなく、ましてや勉強しようという気もなく、

ただその場の空気を楽しんでいるだけなので、この本には助けられました。

 

西行桜は西行が自分の庵の桜を皆が見に来たがるのを鬱陶しく感じ

桜の美しさには罪があると歌に詠んだところ、夢に老桜の精があらわれ

「桜の罪とはなにごとか・・非情無心の草木の花に罪はない。問題なのは人を隔てる人の心だ」と諭すというお話です。

あとは桜の精がただ桜の名所をあげ、舞って去っていくというお話だけなのですが

その曖昧さのなかにいくらでも鑑賞者の自由を許してくれるところ、

そして美しい型のなかに伝えたいところだけは潔く伝えるところに私はお能の素晴らしさを感じています。

 

迎えに行く芸術。

作り手と観る者が、目には見えない空間の一つの場所で出会う芸術。

絵画鑑賞と似ている感動も味わうことができます。

 

 

 

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