最初はSAH

2000.11にくも膜下出血(SAH)発症。無事後遺症もなく生還。今興味あること:脳のこと,教育のこと,テニスのこと

ユーモア

2005-05-12 21:48:05 | 教育
息子が自分のクラスの雰囲気は一見楽しいようで、なんとなく楽しくないんだと言う。
昨日はスポーツ大会があって、クラスは応援も盛り上がっていたが、
バレーボールの試合では得意でない子を名指しで
「○○君にはボールが行かないようにしてちょうだ~い!」
と誰かが大声でおどけて言うとみんなが
「わはははは!」
と笑って
「そうそうおねが~い」
と言って盛り上がる。
「言われた子はちっとも嬉しくないよね。ああいうの応援ていうのかな?」

最近、テレビでお笑い番組を見ると
いじめそのもので笑わせているものが本当に多い。
デブ、ぶす、鈍い、ちびそんなことばかりだ。
見ていると本当に不快。
言われている本人も、いかにも楽しそうに
自分はそれを売り物にしている風な振る舞いだ。
そんなことを言われて楽しいはずない。
しかし、そう言うことが普通にテレビの中で行われていると
学校では、いや、学校だけでなく、職場でも、世の中どこでも
相手を傷つける言葉を言うことが面白いことになる。
言われた方は、一見平気を装うが、本当は不快なので、
又別の機会には相手の弱みを突く。
その場でうまく合う弱みを突くことの出来る人が、
ジョークのうまい人気者になって
傷つけ合う関係が、楽しい仲間ということになっている。
笑いは確かに、場を楽しくする。
しかし、心から笑えるユーモアってどんなものか。
もう少し考えてみて欲しい。
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個人情報

2005-05-11 21:38:44 | Weblog
最近、個人情報保護の観点から、ほとんどの学校で名簿というものを作らない。
確かに、名簿を悪用されることはよくあることだし、
氏名、電話番号、住所等、いろいろな事情で、他人に知られたくない人もいるだろう。
しかし、人のいろいろな情報を知ると、急にその人に近づいた感じがして、
話しやすくなることはよくある。
年が同じ、住所が近い、兄弟が居る、名前が同じ、いろいろな情報を知ることは、
人間関係にとても大事なことだと思う。
同じ学校に学びながら、何百人も居たりすれば、知らないまま卒業することは多い。
名簿を見て、同窓生であったりすれば、急に社会に出てから、親しくなったりする。

だいたい人を好きになると、その人のことを知りたくなる。
色々知るともっと好きになる。そしてもっと知りたくなる。

インターネットでは、名前も住所も何も知らないつきあいが増える、
男だと思っていたら女だったり、若い人だと思っていたら、年をとっていたり、
出会い系サイトで知り合って、事件になることもよくある。
個人情報保護といって情報を開かさないことは、無責任になるし、
深いつきあいを避けたり、かえって悪いことの方が多いような気がする。
個人情報保護を異常に大事にするとかえって人間関係を悪くして、犯罪も増える気がする。
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美しい生き方

2005-05-10 21:04:55 | 医療と健康
今日は、テニススクールの日。
人間って本当に欲が深い。

くも膜下出血になって、命が助かったときには、
“自分はなんて幸運なんだ。この命を大事に、生きていこう!”
と心底周りに感謝し、生きていけるだけで満足していた。
そのうち、医師の勧めでウォーキングを始め、それがジョギングが出来るほどになると、
“こんなに走れるほどになった。私って幸せ!”
と、心から思った。そして
“これなら、テニスも出来る!”
と、テニスを始めると
“テニスが出来るようになるとは思わなかった。こんな幸せな事ってあるかしら?”
と思った。そしてしばらく続けると
“どうして、うまくならないんだろう?”
全く、きりなく、欲深くなる。

さて、それはそれで…
今日の話は、そのテニススクールで一緒のSさんのお母さまの話。
Sさんは3週間ほどスクールをお休みしていて今日久しぶりに出ていらした。
ご高齢の母君と暮らしていらっしゃるお話を聞いていたので
「お母様はお元気?」
と訊くと
Sさん「それが亡くなりました」
私  「えっ、」
Sさん「4月の17日でした」
私  「まあ、どんなことで?」
Sさん「16,17日で母の兄弟姉妹や従兄弟、子供たちが温泉に行って
    “従兄弟会”を開くことになっていたの。
    それで、前の日、15日に美容院に行ってヘアーダイをして、
    髪をきれいに整えてきたの。ちゃんと自分で歩いて…
    家に帰ると、ちょうど一緒に“従兄弟会”に行く
    母の妹と私の妹が来ていたので、楽しく話していたら、
    母が『ちょっとおなかが痛い』と言うので、
    かかりつけの家の近くの病院に行くと
    『大したことないようですが、ちょっと、腸閉塞気味なので、
     念のため入院して下さい』
    っていわれて、その晩は病院に居ることになったの。
    次の日、“従兄弟会”に母の妹と私の妹が出かけたので
    母の病院に行くと、
    『ちょっと、お熱が出て』
    と看護士さんに言われたので
    『“従兄弟会”行けなくて残念だったわね』って言いながら、
    母の足をさすっていたら、突然様子がおかしくなって、
    お医者様を呼んだら、もう、ダメで、2時間くらいで亡くなったの。
    前の日に、美容院に行って、
    妹や娘たちと楽しく話せて、それは美しい死顔でしたわ」
私  「おいくつでしたの?」
Sさん「98歳でした」
Sさん「母は、若い頃はテニスの大会で優勝したし、
    80歳から始めた油絵は、なかなか上手で
    新聞やテレビに取材されたこともあったの。
    数日前に、絵を描き上げたばかりでした。」

ウ~~ン!こんな人生の終わり方、望んでもなかなか出来ないけど、
そうできたらいいな~!!! 
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生活習慣病

2005-05-09 16:00:43 | 医療と健康
生活習慣病という言葉がある。
この言葉が生まれたのは平成8年12月、案外新しいことである。
★従来成人病と云われてきた、がん、高血圧、糖尿病などは
 必ずしも成人になってから起こるものではなくて、
 子どもの時からの生活習慣の積み重ねと、その人の持っている遺伝的素因、
 さらに環境の要因が重なり合って起こってくる疾患です。
 そうであるならば、これらの 病気を予防するためには、
 子どもの時から健康を守るための生活習慣を身につけておくことが必要である
 ということで、生活習慣病という名称が打ち出されたわけです。
     “生活習慣病を考える”より http://www.urban.ne.jp/home/yclinic/

私は、高血圧で降圧剤を飲んでいる。
飲んでいるクスリはディオバン(80㎎×2)。このクスリの限度いっぱい。
今のところ、血圧は最高140ー最低90の線ギリギリに収まっている。

私の場合、生活習慣によって高血圧が引き起こされていることはないと言える。
塩分、糖分、運動、肥満、たばこ、酒 これらの取り方やり方が、
生活習慣病を引き起こす重要な要因だが、どれをとっても優等生といえる。

病気になるとよく、人は何のせいでなったのか?を問う。
そして、悪いことをした罰に病気になったように言う。
遺伝的素因が大きい場合、起きないように最大限努力しても
病気は発症することも多い。

私は、生活習慣病とひとくくりで言う言い方は大嫌いだ!
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分刻みの生活

2005-05-08 23:34:14 | Weblog
昨日は保護者会の前に息子の友達のお母さんたちとランチの約束をしていた。
でかける前にインターネットの乗り換え案内で約束の駅の到着時間を入れて、
我が家の最寄り駅を何時出発の電車に乗ればよいか調べた。
もう用意は出来ていたが、待つのも馬鹿らしい気がして、
少しパソコンをいじってその時間になってから出かけた。
ところが、JRに乗り換えようとしたら、スイカがもう金額が足りず、
チャージしなければならなかった。
そうしているうち、予定の電車に乗り遅れて、
約束の時間に5分ほど遅れそうなことが通過待ちの駅でわかった。
すぐ携帯メールで「ゴメン!5分遅れます」と入れた。
最近でかけるときはいつでもこういう感じだ。
乗り換え案内なんかで調べられないときは、きちんと、一番長くかかる場合を考えて、
出発していたのにインターネットや携帯のような便利なものが出来たら、
もうこんな年のオバサンでもみんなこの生活をしている。
一度便利さを享受するともう元には戻れない。
「炊飯器が壊れちゃったから、冷凍おにぎり食べるしかなかったの」とか
「洗濯機が壊れて洗濯が出来なくて困っている」なんて若いお母さんが良くいっている。
炊飯器がなくても鍋でご飯は炊けるし、洗濯機がなくても洗濯は出来るのに…
JR福知山線の事故は1分30秒の遅れを取り戻すために起きたと言われている。
確かに、乗り換える予定の時間に電車が着かずに、
予定の電車に乗り換えられなかったら、文句を言う客は沢山いることだろう。
過密ダイヤを解消するため、本数を減らせば客は私鉄に逃げるに違いない。
今回の事故の教訓を生かすためにいったいどうすればいいのだろうか?
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受験勉強

2005-05-07 21:45:36 | 教育
今日は、息子の学校の保護者会だった。
息子は高三なので、話はほとんど全て大学受験についてだった。

“一年間、ひたすら頑張って勉強するように。
しかし、一人で頑張るのは辛いので、
家族はしっかり応援団として支えてあげよう!”
というような話だった。

最近の受験で一番気になることは、
一般入試を避けて、推薦入試に偏っていることだ。
息子の学校では、推薦入試は、全体のごく少数だが、
世の中、高校入試も大学入試もいわゆる学力テストの一般入試を
一度も経験せずに社会に出て行く若者が増えている。
親も子も傷つくことを恐れて挑戦してみようとしないのだ。

受験は確かに本人も周りも結構しんどいことだ。
しかし、頑張って挑戦することによって身につけられることは大変多い。
先ず、学力が身に付く。
受験勉強はテクニックを学ぶだけだから、本当の学問ではない。
と言う人がいるが、車の運転のように簡単なものではない。
学問のとらえ方が、人によって違うのだろうが、基礎的な学問は確かに身に付く。
そして、それだけでなく、1年、2年と長い間我慢して、
目標に向かって努力するという態度が身に付く。
例え結果が思ったとおりにならなくても、
頑張って努力したことで、やっただけの学問は絶対身に付いているし、
何より、苦しくても投げ出さずに頑張る態度が身に付いている。

社会に出て行けば、辛くても投げ出せず、
続けていかなければならないことは多い。
受験の辛さなど親の庇護の元で経験することだから、まだまだ甘いものだ。
一人前の人間になるためにも、是非とも経験させるべきものだと思うが…
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写真

2005-05-06 22:51:11 | Weblog
今日はちょっと違った話。

私は、K記念館で働いている。
主な仕事は1年に1度 記念館誌を出すこと。
どんな紙面にするか考え、記事を集め、編集する。
全部一人でやるのだから、大変。
ようやく、第24号のゲラが出来て、印刷屋さんに回せそうでほっとしているところだ。

記念館では毎年、文化講演会として
著名な方(作家の方が多いが)を招いて講演していただいている。
講演内容をまとめるのも大変だ。
最近はPCで音声を文字にかえるソフトが出来て本当に楽になったが、
少し前までは、テープを何回も何回も聴き直し大変な作業だった。

それはさておき、今年は11月に女流歴史作家永井路子氏を
招いて開催することが決まった。。
記念館誌に講演会の案内記事を永井氏の写真付きで載せることにした。
まだ決まったばかりで、写真も送っていただいていなかった。
私自身もそうだが、写真というのはやはり誰もがこだわる。
他人のことならどちらでも同じに見える写真でも、
どちらにするか大問題でなかなか決まらないことも多い。
送ってもらうと、多分時間がかかるのではと思って、
インターネットで探してみると、
永井氏の郷里、茨城県古河市の古河文学館HPに
「永井路子氏の旧宅公開」という記事があり、大きな肖像写真が載っていた。
よし!これだっと思ったが、すんなりいくことはないだろうと思いつつ
恐る恐る電話をかけてみた。
すぐに電話口に本人が出られて、用件を告げると
「どんな写真かしら?覚えてないけど…」
とおっしゃるので、
「花柄のジャケットをお召しになってとても素敵な写真です」
と申し上げるとなんと
「よく覚えてないけど、どうぞお使いになって」
との返事。
あまりすんなりとお返事いただいてビックリしてしまった。

以前、出家なさったときの話をして下さったSJ氏は、
ちょうどその時の写真集を出していらっしゃったので、
話にぴったりだと思って使用許可を申し込んだら、
「あれは私がいちばんいやだと思っている写真だから絶対につかわないで!」
と言われてしまったし、
医師で作家のWJ氏は写真を送ってくださるのに、
色々迷っているとおっしゃって、何ヶ月も待たされた。

永井路子氏のこのさっぱりとした、気さくな御気性、大ファンになってしまった。
秋の講演会では
「女性の日本史」ーそのプロフィールを覗くー
という演題でお話しして下さるとのこと。
今から楽しみです。
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記憶について

2005-05-05 17:44:12 | 医療と健康
くも膜下出血になって、一番気になることは、自分の脳が正常に働いているか?である。

昨日からニュースで伝えられていることだが、
産経新聞によると

『米国で、消火活動中の事故で10年近く記憶を失い、
妻たちの呼び掛けにも答えなかった消防士の男性が
先月30日、突然回復、家族らと会話を始めた。

脳に損傷を受けた患者が回復する場合は通常2、3年以内、と話す
ニューヨーク大医療センターのローズ・シャー医師は
「10年後という例は聞いたことがない」と驚いている。』

とのことである。

或る一定期間の記憶消失は映画とか小説ではよく見たことがあった。
そんな事ってあるのだろうかと思っていたが、
実際自分がなってみて、本当に不思議な世界であった。
私の場合は、発症した日、病院に着くまでははっきり覚えているのに
病院に着いてから、4,5日間は今でも思い出せない。
しかしその間、まるで、何の障害もない人のように
(何度も同じ事を繰り返して言うことはあったそうだが…)
その場のことがよくわかっているように話していたそうだ。
救急車で運ばれた知らせを聞いて駆けつけた家族には、
「私、くも膜下出血なんだってさ!」
といったそうだし
手術後も見舞いに来た息子に(ちょうど中間テストだったので)
「試験勉強ちゃんとやってるの?」
と言ったそうだ。
それなのに次の日には、そのことをすっかり忘れて、
「お母さんがこんな事になってるのに、何で来てくれなかったの?」
と息子を責めたとか…
ちょうど認知症の人と同じ状態だったのだ。

しかし、私の場合、3週間の入院期間で、
そんなひどい記憶障害は治った。
でも、担当の医師や同室の人の名前は覚えられなかったし、
親しい友人の名前や
息子や娘の友達や先生の名前が出てこない状態は
かなり長く続いた。
今でも普通よりちょっとひどい。
それが、すごくひどい時と次々スムースに浮かぶときがある。

認知症の人の場合も、
大変な状態を見てもらおうと親類を呼び集めると
すっかり正常な状態になってわかってもらえないことがよくあるという。

最初の新聞記事の消防士も一時、本当に思いだして家族と話したりしたが、
また、元に戻ってしまってきているという。

脳細胞は、一度死んでしまったら、生きかえらないという。
記憶障害が良くなったり悪くなったりするうちは、
脳細胞が死んでしまったのではなく、
単に神経(シナプス?)の繋がりが悪いだけで、
治る見込みがあるって事なのだろうか?
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結婚式

2005-05-04 22:50:01 | Weblog
今日は姪っ子の結婚式だった。
五月晴れ、暑くもなく寒くもなく、
最高のお日和で、素敵な結婚式でした。

若い2人は、感激の涙を流しながら、
誓っていました。

健やかなるときも、病めるときも、
喜びのときも、悲しみのときも、
富めるときも、貧しきときも、
これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、
死がふたりを分かつ時まで歩み続けることを誓いますと。

確かにいろいろあるのよね。人生。(*^^ゞ そう
この言葉忘れずに2人で歩んで欲しいな~と思いました。
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病気に向き合う姿勢

2005-05-03 11:24:58 | 医療と健康
一昨日の日曜日、面白い同窓会があった。

学生時代、今から30数年前(年がばれてしまうけど…)
T大○力○進会というテスト会の採点のバイトをしたことがあった。
今はもうつぶれてなくなったそうだが、
その頃は、何せT大の学生が講師だったし、
今ほど、たくさんの塾などなかったので、
大変に流行っていた。
学生のバイトとしては率のよいバイトだった。

姉の友人の紹介で始めたもので、
わずか1年足らずしかしていなかったし、
その後1度も会っていなかった。
世話人をなさっていた、当時のT大教員(院生だったのか?)で、
現在は或る大学の教授をなさっているI先生とずっとおつきあいのあった方が、
中心になって集めてくれてナント18人も集まった。

みんないい年になっていたが、
バイトを紹介してくれた姉の友人I子さんと
もう一人のY子さんは足が不自由で、杖をついていた。
訊けば、I子さんはリュウマチだそうで、
Y子さんは赤ちゃんの時の股関節脱臼が再発して、
杖を使うことになったとか…
お二人ともあの当時から、大変活発な方であったが、
まったく変わってなかった。
I子さんに
「今はもう痛くないの?」
と訊くと
「時々、すごく痛いときもあるわよ」
とのこと。
「今度、お姉さんを呼び出してまた会おうっと」
出不精の姉を誘い出してくれるのは彼女だ。
股関節脱臼のY子さんも
「人工関節を入れるか迷ったけど、Drが人工関節にするとまだ若いので、
何回も入れ替える手術をしなければならないので、
筋肉を付ける方法にしたほうがいいというのでそうしたけど、
人工関節にした人がスイスイ歩いているのを見ると
その方がよかったのかナーとも思うの。」
と詳しく話してくれた。
話していると、二人とも、病気で大変なことなどまったく感じさせない。
足が不自由なことなど、顔にしわが一本増えたと変わらないくらいの話しぶり。

私のネット友達もみんなものすごくパワフルだし、
積極的に生きている。
病気の話だけでなく、人生はやはり降ったり照ったりするものだ。
自分の今の状況をすんなり受け入れ、積極的に生きれば、楽しさ倍増なのだろう。


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はじめまして!

2005-05-02 12:42:05 | Weblog
世の中流行のブログといふものを、われもしてみむとてするなり。
ということではじめてみました。

さて何から書こうか?

くも膜下出血から、なぜ、後遺症もなく生還できたかを
自分なりに分析し、少しでも多くの人に知ってもらおうと
本を書いて出版してみたり、
ホームページを開設してみたのがのがちょうど1年前。
(↓このアドレスがMyサイトです。)
「しぶとく生き残るためのヒント」
http://www.geocities.jp/mayako_0684/

人のブログを読んでいるうちに、
言いたいこと言えるってイイかな?って思うようになって、
始めてみたわけで~す。

ひと頃、Myブームという言葉が流行ったけど、最近はあまり聞きませんね。
(オバサン臭く使ってみると)
Myブームはタイトルの横に書いてあるとおり、
脳のこと、教育のこと、テニスのことです。

脳のことは、なんと言ってもくも膜下出血を経験した私としましては、
後遺症は全くないと思っています(思いたい…)が
やはり、記憶がかなり悪いんです。
毎朝飲む血圧降下剤(ディオバン80mg×2)を飲んだか飲まないかを忘れて、
ピルケースを確認してしまうし、
テニスのスコアーは、ホントにすぐわからなくなります。
同じ年令の人も、結構きているので、
十分笑ってごまかせますが、時々とても不安になります。

教育のことは、夫は高校教師ですし、私も小学校教師の経験があるし、
息子は高三で大学受験が目前。
やはり気になるし、もともと好きなんだと思います。

テニスは、病後、Drに勧められて真夏にウォーキングを始めたのですが、
だんだん寒くなってきたら、ジョギングに変えて
気がついたら病前より体力もついてきた感じがしたので
テニススクールに入って、もう2年かな?
なかなかうまくならないものだということがわかりました。

まっ、てな訳でこれからどれだけ続くかわからないけど
頑張ってみます。
よろしく~
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