2010年1月16日(土)
![](http://clip.alpslab.jp/bin/map?pos=36/15/38.259,139/30/12.754&scale=250000)
7年目に入った関東百駅巡礼歩行、通算第61番目の歩きに参加した。
集合は東武伊勢崎線の多々良(たたら)駅。遠方からの参加を考慮して、今
年から集合時刻は11時となる。初参加の女性3人を含めて7人は、記念撮影
をして11時9分に駅を出た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/1a/ccc0507534ade26372fc624d976be61b.jpg)
駅前を西に少し進んで北に回り、線路下のトンネルを抜けて矢場川の八幡橋
へ。橋の両側のプレートには、中野東小4年の生徒が書いた橋の名と川の名が
記されていた。書いた児童にはよい記念になる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/9f/71248c73325e850d7772221b15921735.jpg)
橋を渡って対岸の左岸堤防を進む。駅周辺は群馬県館林市だが、橋が県境で
向こう(左)は栃木県足利市である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/10/4e56a264239257bcd25253926bb2fced.jpg)
天気予報では風は弱いと聞いていたが、赤城おろしのせいか風がかなりあっ
て冷たい。車中で外したマフラーを再び首に巻く。
周囲に高い建物が無いので、関東平野を囲む山々の展望がよい。北に男体山
など日光連山や赤城山、西に真っ白な榛名山や富士山。東方には筑波山も望ま
れる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/a0/ef0b19419bc5259c969ae76354777982.jpg)
次の橋を渡って右岸堤防に戻る。堤防は東に大きくカーブし、多々良沼からの
流れに合して南に向きを変える。その流れの江川橋際には、徳川時代の縁切り
橋の由縁(ゆえん)などが記されていた。
川の合流点の東にある常楽寺に入り、昼食とする。常楽寺は弘安3年(1280)
の開山で、関東八十八カ所の第15番霊場。本堂左手前の、かやぶき屋根で朱
塗りの阿弥陀堂は修理中。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/7f/8a06acd6f25cae50204d2e35e11d4146.jpg)
右手には2階建ての鐘楼堂が、そのそばに、やきもち地蔵尊がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/3f/b6461259704de46338a381e1a52d520b.jpg)
常楽寺西側の堤防からは、浅間山を真ん中にして↓、右に男体山、左に富士
山の、いずれも冠雪した白い山容を見ることが出来る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/aa/b7653e2562a21d5d8d8f247a8773c66c.jpg)
寺のすぐ南の赤城神社は、社殿背後に背の高い大ケヤキが立ち、遠くからも
よい目印になる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/01/0f50a54c2484a3d5c08ec0f7a8d8bc32.jpg)
木戸町の古い住宅地を出て南へ、田んぼの間を進んで高根町に入ると、山の
神様、大山祇(おおやまづみ)神社がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/86/eca503add4c2b448066acb15d55f8ab3.jpg)
正徳4年(1714)に、近くの成島の山神社から分社したもの。住民は「山神様」
と呼び、村の鎮守として崇拝(すうはい)しているという。
東側の車道に出て、セブンイレブンの先の信号を右折し、東武伊勢崎線の線路
と国道122号を越えて、西高根町に入る。
少し進んで右折し、新興住宅地を北西へ。長く続くアカマツ林を横切って多々良
沼公園に入り、グランドの先にある白い横長の建物の、群馬県立館林美術館に
入った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/59/f47f50cb153bace6daafee491805d431.jpg)
周囲を広い芝生に覆われた広い敷地で、建物のそばには池をめぐらせている。
特別展示中の、群馬県出身の孤高の日本画家・磯部草丘(いそべそうきゆう)の
-自然をとらえる独自のまなざし- と題する日本画や、常設展示などを30分あま
り鑑賞した。
館を出て西南へ、日向新田の集落を抜けて多々良沼の北岸に出た。岸辺に何
百羽ともしれないカルガモなど、カモの大群が休んでいる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/d0/0ad8bd5216d68274438b4a7193cae6c2.jpg)
お目当てのハクチョウは、西側のガバ沼周辺にいるという。沼の北岸沿いの車
道を進む。橋を渡って南に少しで、小さい水辺のガバ沼に数10羽のハクチョウが
見えたが、そばまでは近づけなかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/fb/e24c1b884cf5ccdf68716a4fe4537d6b.jpg)
沼辺にある邑楽町観光物産販売所の壁面に、12月からのハクチョウの飛来数
が掲げてあり、今日午前中は50羽となっていた。
さらに南に進み、多々良沼から流れ出る弥兵衛川に沿った、桜並木の続く自然
探勝路を進んで、浮島弁財天のところに行く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/08/774c47aa3caac79058167ae29cb72242.jpg)
朱塗りの弁財天堂は、鎌倉幕府没落の時、執権北条高時の弟、四郎慧性(えし
ょう)らが、江ノ島の弁財天を勧請したものとか。
お堂の北側に10数羽のハクチョウが寒そうに丸まり、南東の多々良沼の中ほど
には数10羽のハクチョウが羽を休めていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/2c/b93e170c240e99f06a6dd691d0f0d418.jpg)
やや日が傾いて風がいっそう冷たく感じ、赤城山↑や男体山など↓日光連山の
展望がさらによくなる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/99/317d52230e417de17030af8ae6866f1d.jpg)
西側の鶉(うずら)新田集落際の森には、北条四郎慧性らが築城し、応永年間
(1394~1428)には多々良四郎の居城となったという、鶉古城跡の説明板が
あった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/8d/4902300444369986ba6304f3f9b29f24.jpg)
鶉新田を抜けて、弥兵衛川沿いに西に向かう。カルソニック工場横を経て、明野
の新興住宅地沿いに進んで、15時25分に東武小泉線の本中野(ほんなかの)
駅に着いた。
東武小泉線は1時間に1本の運行。15時43分発の2両編成に乗り、館林で
伊勢崎線に乗り換えて、帰路につく。
(天気 快晴、参加 7人、距離 13㎞、地図(1/2.5万) 佐野、足利南部、
歩行地 (群馬)館林市、邑楽町、(栃木)足利市、歩数 22,900)
7年目に入った関東百駅巡礼歩行、通算第61番目の歩きに参加した。
集合は東武伊勢崎線の多々良(たたら)駅。遠方からの参加を考慮して、今
年から集合時刻は11時となる。初参加の女性3人を含めて7人は、記念撮影
をして11時9分に駅を出た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/1a/ccc0507534ade26372fc624d976be61b.jpg)
駅前を西に少し進んで北に回り、線路下のトンネルを抜けて矢場川の八幡橋
へ。橋の両側のプレートには、中野東小4年の生徒が書いた橋の名と川の名が
記されていた。書いた児童にはよい記念になる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/9f/71248c73325e850d7772221b15921735.jpg)
橋を渡って対岸の左岸堤防を進む。駅周辺は群馬県館林市だが、橋が県境で
向こう(左)は栃木県足利市である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/10/4e56a264239257bcd25253926bb2fced.jpg)
天気予報では風は弱いと聞いていたが、赤城おろしのせいか風がかなりあっ
て冷たい。車中で外したマフラーを再び首に巻く。
周囲に高い建物が無いので、関東平野を囲む山々の展望がよい。北に男体山
など日光連山や赤城山、西に真っ白な榛名山や富士山。東方には筑波山も望ま
れる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/a0/ef0b19419bc5259c969ae76354777982.jpg)
次の橋を渡って右岸堤防に戻る。堤防は東に大きくカーブし、多々良沼からの
流れに合して南に向きを変える。その流れの江川橋際には、徳川時代の縁切り
橋の由縁(ゆえん)などが記されていた。
川の合流点の東にある常楽寺に入り、昼食とする。常楽寺は弘安3年(1280)
の開山で、関東八十八カ所の第15番霊場。本堂左手前の、かやぶき屋根で朱
塗りの阿弥陀堂は修理中。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/7f/8a06acd6f25cae50204d2e35e11d4146.jpg)
右手には2階建ての鐘楼堂が、そのそばに、やきもち地蔵尊がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/3f/b6461259704de46338a381e1a52d520b.jpg)
常楽寺西側の堤防からは、浅間山を真ん中にして↓、右に男体山、左に富士
山の、いずれも冠雪した白い山容を見ることが出来る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/aa/b7653e2562a21d5d8d8f247a8773c66c.jpg)
寺のすぐ南の赤城神社は、社殿背後に背の高い大ケヤキが立ち、遠くからも
よい目印になる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/01/0f50a54c2484a3d5c08ec0f7a8d8bc32.jpg)
木戸町の古い住宅地を出て南へ、田んぼの間を進んで高根町に入ると、山の
神様、大山祇(おおやまづみ)神社がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/86/eca503add4c2b448066acb15d55f8ab3.jpg)
正徳4年(1714)に、近くの成島の山神社から分社したもの。住民は「山神様」
と呼び、村の鎮守として崇拝(すうはい)しているという。
東側の車道に出て、セブンイレブンの先の信号を右折し、東武伊勢崎線の線路
と国道122号を越えて、西高根町に入る。
少し進んで右折し、新興住宅地を北西へ。長く続くアカマツ林を横切って多々良
沼公園に入り、グランドの先にある白い横長の建物の、群馬県立館林美術館に
入った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/59/f47f50cb153bace6daafee491805d431.jpg)
周囲を広い芝生に覆われた広い敷地で、建物のそばには池をめぐらせている。
特別展示中の、群馬県出身の孤高の日本画家・磯部草丘(いそべそうきゆう)の
-自然をとらえる独自のまなざし- と題する日本画や、常設展示などを30分あま
り鑑賞した。
館を出て西南へ、日向新田の集落を抜けて多々良沼の北岸に出た。岸辺に何
百羽ともしれないカルガモなど、カモの大群が休んでいる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/d0/0ad8bd5216d68274438b4a7193cae6c2.jpg)
お目当てのハクチョウは、西側のガバ沼周辺にいるという。沼の北岸沿いの車
道を進む。橋を渡って南に少しで、小さい水辺のガバ沼に数10羽のハクチョウが
見えたが、そばまでは近づけなかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/fb/e24c1b884cf5ccdf68716a4fe4537d6b.jpg)
沼辺にある邑楽町観光物産販売所の壁面に、12月からのハクチョウの飛来数
が掲げてあり、今日午前中は50羽となっていた。
さらに南に進み、多々良沼から流れ出る弥兵衛川に沿った、桜並木の続く自然
探勝路を進んで、浮島弁財天のところに行く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/08/774c47aa3caac79058167ae29cb72242.jpg)
朱塗りの弁財天堂は、鎌倉幕府没落の時、執権北条高時の弟、四郎慧性(えし
ょう)らが、江ノ島の弁財天を勧請したものとか。
お堂の北側に10数羽のハクチョウが寒そうに丸まり、南東の多々良沼の中ほど
には数10羽のハクチョウが羽を休めていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/2c/b93e170c240e99f06a6dd691d0f0d418.jpg)
やや日が傾いて風がいっそう冷たく感じ、赤城山↑や男体山など↓日光連山の
展望がさらによくなる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/99/317d52230e417de17030af8ae6866f1d.jpg)
西側の鶉(うずら)新田集落際の森には、北条四郎慧性らが築城し、応永年間
(1394~1428)には多々良四郎の居城となったという、鶉古城跡の説明板が
あった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/8d/4902300444369986ba6304f3f9b29f24.jpg)
鶉新田を抜けて、弥兵衛川沿いに西に向かう。カルソニック工場横を経て、明野
の新興住宅地沿いに進んで、15時25分に東武小泉線の本中野(ほんなかの)
駅に着いた。
東武小泉線は1時間に1本の運行。15時43分発の2両編成に乗り、館林で
伊勢崎線に乗り換えて、帰路につく。
(天気 快晴、参加 7人、距離 13㎞、地図(1/2.5万) 佐野、足利南部、
歩行地 (群馬)館林市、邑楽町、(栃木)足利市、歩数 22,900)