2009年1月2日(金)
元旦に続いて今日も、恒例のNPO東京都ウオーキング協会主催「第8
回江戸東京七福神めぐり」に出かけました。
全部で7コースあるのですが、今回は、「浅草名所(などころ)七福神・
布袋尊コース」です。
集合地は、東武鉄道や東京メトロ銀座線の浅草駅から5分ほど、隅田
川のほとりの隅田公園です。
隅田川遊覧船が出発しました。その向こうに見える工事中の塔は、首
都圏の地デジ電波の発射元となる東京スカイツリー、高さ634mの塔が
2年後の早春に完成の予定で、現在はの高さは250mくらいのようです。
V
このコースの参加者は100人足らずかと見られました。9時55分に出発
しました。
まずは東側から浅草寺に入り、工事中でシートに覆われた浅草寺大本堂
の裏手にある、恵比寿神の浅草神社へ。
次は、浅草寺本堂の西側にある影向堂(ようごうどう)、大黒天が祭られて
います。
浅草寺を北に抜けて浅草6丁目を経て、隅田川右岸に近い待乳山(まっち
やま)聖天に行きました。大イチョウの並ぶ広い境内、毘沙門天の寺です。
北側、すぐ近くにあるのが福禄寿の今戸神社。康平6年(1063)、源頼義・
義家父子が京都石清水八幡宮を勧請(かんじょう)したものとか。
茅の輪(ちのわ)の右手には、たくさんの絵馬が奉納されていました。
さらに隅田川右岸近くを北に進むと、白髭橋の近くに橋場不動尊で知られる
橋場寺不動院があり、布袋尊が祭られています。
開創は奈良時代末期の天平宝字4年(760)という古寺で、現在の本堂は
弘化2年(1845)の建立とのことです。
橋場不動尊は、関東三十六不動霊場第23番札所でもあります。
白髭通りの白髭橋西詰を横断、すぐ北には寿老人の石浜神社が鎮座して
います。聖武天皇の神亀2年(724)創建という古社です。ここにも茅の輪が
用意されていました。
社殿の右手前には、富士講の人たちが積み上げたのでしょうか。黒石だけ
の独特の富士山が…。
白髭通りを西に少し進み、南側の狭い通りを入って国指定史跡・平賀源内
の墓に参拝しました。
エレキテル(摩擦式発電機)の発明で知られていますが、本草学、医学、
儒学などを学び、物産会の主催、鉱山開発などマルチに活躍した人物です。
石浜公園でトイレ休憩後、東浅草1丁目の東善寺へ。本堂前に、江戸六
地蔵のひとつ、高さ2.71m、宝永7年(1710)造立という銅造の大きな
お地蔵さんが鎮座していました。東京都有形文化財です。
「見返り柳」のある吉原大門から吉原仲之町通りを進んで吉原神社へ。
たくさんののぼりでお分かりのとおり、弁財天です。
すぐ近くには、酉の市発祥の神社で知られる鷲(おおとり)神社、
茅の輪もりっぱで、飾り付けもなかなかきらびやかでした。
千束2丁目からかっぱ橋道具街へと南進し、最後、9番目は福禄寿の矢先
稲荷神社でした。
参拝の後、熱い甘酒の振る舞いをいただきました。
ゴールは、近くの松葉公園。12時35分に着きました。南側の浅草通り
に出てJR上野駅まで歩き、山手線で帰途につきました。
元旦に続いて今日も、恒例のNPO東京都ウオーキング協会主催「第8
回江戸東京七福神めぐり」に出かけました。
全部で7コースあるのですが、今回は、「浅草名所(などころ)七福神・
布袋尊コース」です。
集合地は、東武鉄道や東京メトロ銀座線の浅草駅から5分ほど、隅田
川のほとりの隅田公園です。
隅田川遊覧船が出発しました。その向こうに見える工事中の塔は、首
都圏の地デジ電波の発射元となる東京スカイツリー、高さ634mの塔が
2年後の早春に完成の予定で、現在はの高さは250mくらいのようです。
V
このコースの参加者は100人足らずかと見られました。9時55分に出発
しました。
まずは東側から浅草寺に入り、工事中でシートに覆われた浅草寺大本堂
の裏手にある、恵比寿神の浅草神社へ。
次は、浅草寺本堂の西側にある影向堂(ようごうどう)、大黒天が祭られて
います。
浅草寺を北に抜けて浅草6丁目を経て、隅田川右岸に近い待乳山(まっち
やま)聖天に行きました。大イチョウの並ぶ広い境内、毘沙門天の寺です。
北側、すぐ近くにあるのが福禄寿の今戸神社。康平6年(1063)、源頼義・
義家父子が京都石清水八幡宮を勧請(かんじょう)したものとか。
茅の輪(ちのわ)の右手には、たくさんの絵馬が奉納されていました。
さらに隅田川右岸近くを北に進むと、白髭橋の近くに橋場不動尊で知られる
橋場寺不動院があり、布袋尊が祭られています。
開創は奈良時代末期の天平宝字4年(760)という古寺で、現在の本堂は
弘化2年(1845)の建立とのことです。
橋場不動尊は、関東三十六不動霊場第23番札所でもあります。
白髭通りの白髭橋西詰を横断、すぐ北には寿老人の石浜神社が鎮座して
います。聖武天皇の神亀2年(724)創建という古社です。ここにも茅の輪が
用意されていました。
社殿の右手前には、富士講の人たちが積み上げたのでしょうか。黒石だけ
の独特の富士山が…。
白髭通りを西に少し進み、南側の狭い通りを入って国指定史跡・平賀源内
の墓に参拝しました。
エレキテル(摩擦式発電機)の発明で知られていますが、本草学、医学、
儒学などを学び、物産会の主催、鉱山開発などマルチに活躍した人物です。
石浜公園でトイレ休憩後、東浅草1丁目の東善寺へ。本堂前に、江戸六
地蔵のひとつ、高さ2.71m、宝永7年(1710)造立という銅造の大きな
お地蔵さんが鎮座していました。東京都有形文化財です。
「見返り柳」のある吉原大門から吉原仲之町通りを進んで吉原神社へ。
たくさんののぼりでお分かりのとおり、弁財天です。
すぐ近くには、酉の市発祥の神社で知られる鷲(おおとり)神社、
茅の輪もりっぱで、飾り付けもなかなかきらびやかでした。
千束2丁目からかっぱ橋道具街へと南進し、最後、9番目は福禄寿の矢先
稲荷神社でした。
参拝の後、熱い甘酒の振る舞いをいただきました。
ゴールは、近くの松葉公園。12時35分に着きました。南側の浅草通り
に出てJR上野駅まで歩き、山手線で帰途につきました。