2010年7月4日(日)
いつも暑さと雨が気になる、カントリーウオークグループの7月例会だが、朝の
予報では、どちらも影響がありそう。
参加者18人は4組に分かれ、10時10分にJR高崎線上尾駅西口をスタート
した。
==今泉から丸山公園へ==
西口を出て間もなく、商店街のそばにある八津観音堂へ。足立坂東三十三か
所札所の第二十六番で、観音堂の落慶は昭和59年(1984)1月だという。

チョットした緑道を抜けて、富士見三丁目の氷川神社に入る。社殿はコンクリー
ト造り。夏祭りに備えて氏子の人たちが、みこしの準備を終えたところだった。

青空が見えて暑くなってきた。広い通りを少しで、鴨川沿いに進んで和泉公園
の緑陰で休憩する。

そばのお宅の、ノウゼンカズラが花盛り。
公園のある今泉一丁目には、昔からの農家らしい屋敷が残り、その一角は豊
富な緑に覆われていた。

南に回り、背後の森から氷川神社へ。

社殿前にあった説明板によれば、大宮の氷川神社を本社とする「氷川神社」は、
埼玉県に162社、東京都59社、茨城・栃木県に各2社、神奈川、千葉、北海道
に各1の計228社あるという。
東隣にある十蓮寺(じゆうれんじ)には、墓地から入る。桜の大木など、緑豊富
で広い境内、コンクリート造りの本堂のほか、八角十王堂、鐘楼、山門など皆、
立派な造りである。

開山は応永年間(1394~1428)で、名もない小さな庵だったが、徳川家康
が鷹狩りの際休憩して名づけたという。

今泉小の北から大正製薬の広大な敷地の北側の緑陰を進み、西上尾団地に
入って木陰で小休止する。
団地を抜けると、家並みも少なくなり畑が増える。すっかり好天となったが、木
陰が少なく暑さがこたえる。天久保から氷川前、南前などの集落を抜け、丸山
公園に入り、池の中の島にある昼食地の東屋(あずまや)に、12時30分に着
いた。

丸山公園は、「水と緑の調和」をテーマに昭和53年(1978)に開園した総合
公園。面積は約15haあり、南北に「く」の字の形をした敷地内は、適度に起伏が
あり、うっそうとした樹林と細長い水辺がある。

==領家から北上尾駅へ==

ミーティング後に記念撮影をして、後半のコースへ。池に沿って北に回ると、咲
き残るアジサイの群落の先に菖蒲田(しようぶだ)があったが、花は終わっていた。

池の対岸を戻って公園の南端に出た。この暑さを避けて、午後は歩かずに駅に
向かう3人とバス停で分かれる。
大きなガマの穂の並ぶ雑草地を抜け、荒川左岸沿いのサイクリングロードに上が
った。流れに沿った草の緑は豊富だが、樹木はないのでまともに太陽を浴びる。自
転車で通過するサイクリストも多く、少しうっとうしい。
一層厳しくなった午後の日差しにさらされながら500mほど進み、緑陰で小休止
して水分補給をする。
ここで堤防を離れて新田集落を抜け、畔吉(あぜよし)の徳星寺に入って休憩。
ここでも水分補給が欠かせない。

徳星寺は、寺伝によれば弘法大師の創建と伝えられ、本堂の横に立つカヤの大
樹は、その時に植えたものと伝えられているという。
寺には岩槻城主・太田氏房(おおたうじふさ)の印判状や、徳川家康以降の歴代
12通の朱印状があり、これらは市指定文化財になっているようだ。
上尾領家(りようけ)工業団地の間を抜け、浄水場の東に回って中分(なかぶん)
三丁目の東栄寺へ。

本堂の前に、背の高い大イチョウが枝を広げ、その下に輪のように並ぶベンチで
休憩する。
ケヤキや桜に覆われた門前、山門前に「祈りと誓願の鐘」と呼ぶ四つの鐘がある。
西国、四国、最上(山形)の各霊場を、祈りと誓願をもって巡拝した鐘だという。

境内東側にある鐘楼は、14脚で支えた堂々たるもの。雲が増えて、ようやく日差
しが無くなる。

南側に豊富に連なる平地林を眺め、その林の東端付近を進んで大石小の横を過
ぎる。鴨川を渡って浅間台の住宅地に入ったころ、待望の?雨が降ってきた、
傘を出して10分足らずで、ゴールの北上尾駅に着いた。バスや途中からタクシー
で先着した皆さんと合流して、16時44分発の上り電車に乗る。
(天気 曇晴一時雨、参加 18人、距離 15㎞、地図 上尾、歩行地 上尾市、
歩数 23,800)
いつも暑さと雨が気になる、カントリーウオークグループの7月例会だが、朝の
予報では、どちらも影響がありそう。
参加者18人は4組に分かれ、10時10分にJR高崎線上尾駅西口をスタート
した。
==今泉から丸山公園へ==
西口を出て間もなく、商店街のそばにある八津観音堂へ。足立坂東三十三か
所札所の第二十六番で、観音堂の落慶は昭和59年(1984)1月だという。

チョットした緑道を抜けて、富士見三丁目の氷川神社に入る。社殿はコンクリー
ト造り。夏祭りに備えて氏子の人たちが、みこしの準備を終えたところだった。

青空が見えて暑くなってきた。広い通りを少しで、鴨川沿いに進んで和泉公園
の緑陰で休憩する。

そばのお宅の、ノウゼンカズラが花盛り。
公園のある今泉一丁目には、昔からの農家らしい屋敷が残り、その一角は豊
富な緑に覆われていた。

南に回り、背後の森から氷川神社へ。

社殿前にあった説明板によれば、大宮の氷川神社を本社とする「氷川神社」は、
埼玉県に162社、東京都59社、茨城・栃木県に各2社、神奈川、千葉、北海道
に各1の計228社あるという。
東隣にある十蓮寺(じゆうれんじ)には、墓地から入る。桜の大木など、緑豊富
で広い境内、コンクリート造りの本堂のほか、八角十王堂、鐘楼、山門など皆、
立派な造りである。

開山は応永年間(1394~1428)で、名もない小さな庵だったが、徳川家康
が鷹狩りの際休憩して名づけたという。

今泉小の北から大正製薬の広大な敷地の北側の緑陰を進み、西上尾団地に
入って木陰で小休止する。
団地を抜けると、家並みも少なくなり畑が増える。すっかり好天となったが、木
陰が少なく暑さがこたえる。天久保から氷川前、南前などの集落を抜け、丸山
公園に入り、池の中の島にある昼食地の東屋(あずまや)に、12時30分に着
いた。

丸山公園は、「水と緑の調和」をテーマに昭和53年(1978)に開園した総合
公園。面積は約15haあり、南北に「く」の字の形をした敷地内は、適度に起伏が
あり、うっそうとした樹林と細長い水辺がある。

==領家から北上尾駅へ==

ミーティング後に記念撮影をして、後半のコースへ。池に沿って北に回ると、咲
き残るアジサイの群落の先に菖蒲田(しようぶだ)があったが、花は終わっていた。

池の対岸を戻って公園の南端に出た。この暑さを避けて、午後は歩かずに駅に
向かう3人とバス停で分かれる。
大きなガマの穂の並ぶ雑草地を抜け、荒川左岸沿いのサイクリングロードに上が
った。流れに沿った草の緑は豊富だが、樹木はないのでまともに太陽を浴びる。自
転車で通過するサイクリストも多く、少しうっとうしい。
一層厳しくなった午後の日差しにさらされながら500mほど進み、緑陰で小休止
して水分補給をする。
ここで堤防を離れて新田集落を抜け、畔吉(あぜよし)の徳星寺に入って休憩。
ここでも水分補給が欠かせない。

徳星寺は、寺伝によれば弘法大師の創建と伝えられ、本堂の横に立つカヤの大
樹は、その時に植えたものと伝えられているという。
寺には岩槻城主・太田氏房(おおたうじふさ)の印判状や、徳川家康以降の歴代
12通の朱印状があり、これらは市指定文化財になっているようだ。
上尾領家(りようけ)工業団地の間を抜け、浄水場の東に回って中分(なかぶん)
三丁目の東栄寺へ。

本堂の前に、背の高い大イチョウが枝を広げ、その下に輪のように並ぶベンチで
休憩する。
ケヤキや桜に覆われた門前、山門前に「祈りと誓願の鐘」と呼ぶ四つの鐘がある。
西国、四国、最上(山形)の各霊場を、祈りと誓願をもって巡拝した鐘だという。

境内東側にある鐘楼は、14脚で支えた堂々たるもの。雲が増えて、ようやく日差
しが無くなる。

南側に豊富に連なる平地林を眺め、その林の東端付近を進んで大石小の横を過
ぎる。鴨川を渡って浅間台の住宅地に入ったころ、待望の?雨が降ってきた、
傘を出して10分足らずで、ゴールの北上尾駅に着いた。バスや途中からタクシー
で先着した皆さんと合流して、16時44分発の上り電車に乗る。
(天気 曇晴一時雨、参加 18人、距離 15㎞、地図 上尾、歩行地 上尾市、
歩数 23,800)