2010年5月23日(日)午後、トルコ第一の都市イスタンブールに戻り、旧市街に
ある世界遺産・歴史地区を訪ねました。
最初は、ボスフォラス海峡や金閣湾、イスタンブールの町全体を見渡せる小高い
丘に立つトプカプ宮殿です。
トプカプ宮殿は、15世紀半ばから20世紀初頭にかけて、強大な権力をもっていた
オスマン帝国の歴代君主(スルタン)の居城として建設されました。
敷地面積は70万㎡あり、1856年にドルバフチェ宮殿が出来るまで、ここは、ウィ
ーン付近から黒海、アラビア半島、さらに北アフリカまでを支配したオスマン朝の中
心地として栄えたところです。
現在は博物館として公開されていて、年間の来訪者は約150万人とのことです。
最初にトプカプの門と呼ぶ、この門から入ります。
その先は第1庭園と呼ばれ、広葉樹が道の両側に続いていました。
博物館の入口となる皇帝の門(表敬の門)、ここでセキュリティチェックを受けて
入ります。
木々の間を進むので、門のそばまで行かないと両側の双塔は見えませんでした。
芝生と立派な植栽の第2庭園の左手にある「会議の間」。国政をとり仕切る重要な
会議が行われた場所のようです。
3番目に通過する幸福の門。スルタンの私的スペースである第3庭園の入口。
宮殿の東北端にあるレストラン付近からは、ボスフォラス海峡や、イスタンブール
の市街地などが展望できます。
ずっと向こうに見えるのは、第1ボスフォラス大橋です。
幸福の門の、入口右手前に立つ大木。
これは図書館と聞いたように思います。中には入りませんでした。
これは何の建物だったかな? あまりにも建物が多いので忘れてしまいました。
ここは、あまり大きくはない建物でしたが、天井のドームはみごとです。
同じ建物の中のひとつの間。
第2庭園の右側にある厨房跡。16世紀末には、1200人余りの料理人がいたよう
ですが、現在は陶磁器の展示館になっていました。
日本でも展示会で公開された、トプカプの短剣やスプーン屋のダイヤモンド、世界
最大のエメラルドなどの展示された宝物館は大変な混雑、写真撮影は禁止でした。
1時間ほど観覧して、トプカプ宮殿を出ました。
こちらは、近くにあったアヤイリニ教会、532年の改築で現在の姿になったとか。
この後回るアヤソフィアが出来る前は、ギリシア正教会の大聖堂として機能し、アヤ
ソフィア完成後も、第2の教会として威光を放っていたとのことです。
ある世界遺産・歴史地区を訪ねました。
最初は、ボスフォラス海峡や金閣湾、イスタンブールの町全体を見渡せる小高い
丘に立つトプカプ宮殿です。
トプカプ宮殿は、15世紀半ばから20世紀初頭にかけて、強大な権力をもっていた
オスマン帝国の歴代君主(スルタン)の居城として建設されました。
敷地面積は70万㎡あり、1856年にドルバフチェ宮殿が出来るまで、ここは、ウィ
ーン付近から黒海、アラビア半島、さらに北アフリカまでを支配したオスマン朝の中
心地として栄えたところです。
現在は博物館として公開されていて、年間の来訪者は約150万人とのことです。
最初にトプカプの門と呼ぶ、この門から入ります。
その先は第1庭園と呼ばれ、広葉樹が道の両側に続いていました。
博物館の入口となる皇帝の門(表敬の門)、ここでセキュリティチェックを受けて
入ります。
木々の間を進むので、門のそばまで行かないと両側の双塔は見えませんでした。
芝生と立派な植栽の第2庭園の左手にある「会議の間」。国政をとり仕切る重要な
会議が行われた場所のようです。
3番目に通過する幸福の門。スルタンの私的スペースである第3庭園の入口。
宮殿の東北端にあるレストラン付近からは、ボスフォラス海峡や、イスタンブール
の市街地などが展望できます。
ずっと向こうに見えるのは、第1ボスフォラス大橋です。
幸福の門の、入口右手前に立つ大木。
これは図書館と聞いたように思います。中には入りませんでした。
これは何の建物だったかな? あまりにも建物が多いので忘れてしまいました。
ここは、あまり大きくはない建物でしたが、天井のドームはみごとです。
同じ建物の中のひとつの間。
第2庭園の右側にある厨房跡。16世紀末には、1200人余りの料理人がいたよう
ですが、現在は陶磁器の展示館になっていました。
日本でも展示会で公開された、トプカプの短剣やスプーン屋のダイヤモンド、世界
最大のエメラルドなどの展示された宝物館は大変な混雑、写真撮影は禁止でした。
1時間ほど観覧して、トプカプ宮殿を出ました。
こちらは、近くにあったアヤイリニ教会、532年の改築で現在の姿になったとか。
この後回るアヤソフィアが出来る前は、ギリシア正教会の大聖堂として機能し、アヤ
ソフィア完成後も、第2の教会として威光を放っていたとのことです。