2010年5月21日(金)、トルコ西南部の世界遺産、パムッカレを訪ねました。
パムッカレにある、ヒエラポリス遺跡の城壁でしょうか。ここが入口です。
ヒエラポリスは、紀元前190年に始まった都市の遺跡で、この時代のものとして
は、最も内陸部にあることで知られているようです。
ベルガモン王エウメネス2世により建造されたものとのこと。2~3世紀には、人
口10万人を超え、典型的なローマ地方都市となり、ビザンツ時代まで繁栄したの
ですが、セルジューク朝により滅ぼされました。
広大な斜面のあちこちに、大きな遺跡が見られます。
南西側だったでしょうか、残雪の山並みが望まれます。
遺跡に接した、町を見下ろす斜面には、広大な石灰棚が広がっています。
この地の、温泉水に多く含まれた炭酸カルシウムが、水中の酸素と結合して沈殿
し、長い年月を経て凝結されたものとか。
石灰棚の長さはおよそ3㎞、厚さは300m、ふもとの町並みからは100mほどの
高さのところにあります。
石灰棚と遺跡との間にある、公園のようなところには、キョウチクトウやバラなどが
花盛り。
向こうに見える石積みのところは、南大浴場だったヒエラポリス博物館ですが、
時間の都合で入館はしませんでした。。
花の近くに、当時の(といってもいつ頃のものか忘れましたが…)都市の想像図
がありました。 その頃から石灰棚はあったようです。
石灰棚の中には、裸足になれば入ることが出来ます。中に走る溝には温泉が流れ、
足湯も楽しめます。でも流れはぬるぬるしているので、滑らぬよう注意が肝心。
あれ!右の帽子を被った日本人風の男性は、靴を履いている。ルール違反です。
眼下に見える緑の豊い町並み。教会も見えています。
このあと、石灰棚上部に沿った遊歩道を、先に進んでみました。(続く)
パムッカレにある、ヒエラポリス遺跡の城壁でしょうか。ここが入口です。
ヒエラポリスは、紀元前190年に始まった都市の遺跡で、この時代のものとして
は、最も内陸部にあることで知られているようです。
ベルガモン王エウメネス2世により建造されたものとのこと。2~3世紀には、人
口10万人を超え、典型的なローマ地方都市となり、ビザンツ時代まで繁栄したの
ですが、セルジューク朝により滅ぼされました。
広大な斜面のあちこちに、大きな遺跡が見られます。
南西側だったでしょうか、残雪の山並みが望まれます。
遺跡に接した、町を見下ろす斜面には、広大な石灰棚が広がっています。
この地の、温泉水に多く含まれた炭酸カルシウムが、水中の酸素と結合して沈殿
し、長い年月を経て凝結されたものとか。
石灰棚の長さはおよそ3㎞、厚さは300m、ふもとの町並みからは100mほどの
高さのところにあります。
石灰棚と遺跡との間にある、公園のようなところには、キョウチクトウやバラなどが
花盛り。
向こうに見える石積みのところは、南大浴場だったヒエラポリス博物館ですが、
時間の都合で入館はしませんでした。。
花の近くに、当時の(といってもいつ頃のものか忘れましたが…)都市の想像図
がありました。 その頃から石灰棚はあったようです。
石灰棚の中には、裸足になれば入ることが出来ます。中に走る溝には温泉が流れ、
足湯も楽しめます。でも流れはぬるぬるしているので、滑らぬよう注意が肝心。
あれ!右の帽子を被った日本人風の男性は、靴を履いている。ルール違反です。
眼下に見える緑の豊い町並み。教会も見えています。
このあと、石灰棚上部に沿った遊歩道を、先に進んでみました。(続く)