あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

カタツムリ歩行 東武東上線 上福岡駅(埼玉県)

2008-07-20 23:39:15 | カタツムリ歩行
 2008年7月20日(日)

 4か月ぶりに、JR武蔵野線沿線(及びその周辺)をゆっく
りじっくりと歩く「カタツムリ歩行」の第176回例会に参加した。

 途中の乗換駅、東武東上線川越市駅の温度計は32℃を
示し、今日も猛暑が予想される。



 今回の集合地は同じ東上線の上福岡駅。10時過ぎに出
発した。

 久しぶりの上福岡駅だが、駅西口には「ココネ上福岡」と呼
ぶ大きなビルが建っていて、以前の面影はない。もらった地
図も現状と違い、最近の開発であることがうかがえる。

 駅前にあったという「六道の辻と地蔵」も、それらしい道も
地蔵も無い。駅前の古そうな果物屋さんで聞いたら、何度か
移転して、現在は西の方の角に移ったという。
 
 店主のKさんは、最近まで商店会長をつとめ、地蔵さんの
落ち着き先を決めるのに腐心されたようだ。

 上福岡駅前郵便局の角を曲がり、その先で斜めに入る旧
道を進むと、5差路の角に「六道の辻の地蔵尊」の新しいお
堂があった。

 そばに、六道の行き先を示す木の標識も立っていた。

 この標識の見えない側には、「つるおか道、えど道、ひき
また道」と記されている。

 その先に少し進むと、かなり前から営業しているらしい喫茶
店があり、店の前に、以前コーヒー豆を挽いたらしい重厚な
機械が置いてあった。


 西小の北側にあった1.5m位の枯れ木の上に、1本のエノ
コログサが育ち、風に吹かれて穂をゆらしていた。


 すぐ先で、国道254号(川越街道)の新道と旧道との合流
点に出た。ここも六差路になっていて、国道の向こう側に新し
い六道地蔵尊が祭られていた。

 そばにあるのが鶴岡八幡神社。境内は狭いが緑陰になっ
ていたので休憩し、熱中症にならぬよう水分補給をする。

 境内の木の1本の幹で、見たことのない小さいセミが鳴い
ていた。地球温暖化の影響で、南の方にしか生息しないセミ
が関東にもやってきたのだろうか…。

 と思ったが、あとからセミの図鑑を調べてみたら、ニイニイ
ゼミだった。

 新旧合流した川越街道を南東に向かう。このあたりは道路
の中間帯にクヌギ、プラタナス、ヒマラヤスギなど何種類かの
木々が植えられていて、かなり大きく育っている。


 少し進んで川越街道に別れ、右に入る。鶴ヶ岡三丁目の
住宅地に、花鉢をたくさん飾った家があった。付近の家は、
何戸か同じように花や植木が豊富だった。


 同じ町内にある暁松院。境内は狭くて庭木も少な目である。


 ところで、この寺の山号は何と読むのだろうか?


 鶴ヶ岡二丁目の住宅地の間に、狭山茶の茶畑が残ってい
た。畑の向こうにある、新井製茶園という製造直売の店の
ものらしい。


 その先にあった霞ヶ丘中央公園も豊富な広葉樹林に覆わ
れていたので、木の下で再度水分補給をする。


 広い通りを横断すると亀久保三丁目。ゴールの神明神社に
11時53分に着いた。 


 境内東側に、力石が二つ並んでいた。右の石には30貫目
(112.5㎏)、左は40貫目(150㎏)と刻まれている。

 私が持ってもビクともしそうにない。幸い?石は台に固定さ
れていた。

 社殿の右後方には、古いご神木の根元が、簡単な屋根の
下に保存されていた。何の木かは記されてない。

 
 昼食後、社殿の前で記念撮影とミーティングをして、13時
前に散会となった。

 猛暑にも負けず、参加者は、カメラを入れて17人だった。

 この後回ったところのレポートは、明日にでも報告する。
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駒澤大学駅から芦花公園駅へ(東京・世田谷)

2008-07-18 23:23:58 | 江戸・東京を歩く
 昨日(7月17日)は、向井潤吉アトリエ館と世田谷文学館
を訪ねたことを報告しましたが、今日はその二つの館を結ぶ
道筋の様子などを紹介します。

 豊富な緑の残る、向井潤吉アトリエ館の庭。


 アトリエ館の土塀も、なかなか趣があります。


 向井潤吉アトリエ館の観覧を終え、世田谷文学館に向かう
ことにしました。

 アトリエ館にあった「世田谷美術館分館周辺施設めぐり」と
いうリーフレットの、「駒沢給水所」のイラストに目がとまり、
受付の方に聞いたら、近くにあることを教えてくれました。

 北側の弦巻通りに出て少し西に進み、家並みの間からそ
の塔の上部が見えたので、南側の台地に上がりました。

 周囲を頑丈な塀で囲んだ緑地のような所の真ん中に、2つ
の塔が立っていました。王冠のような特徴的なデザインです。


 世田谷区の最高地に近い、標高46mの地にある駒沢給水
所の塔で、高さは約30m、有効水深は18.18mとか。
2750立法㍍の容量の貯水塔です。

 2つの塔を結ぶゲートにも飾りがついています。


 給水塔は大正12年(1923)に完成し、震災時に供給する
ための水道水を貯蔵しているようです。

 給水塔としては、他に類を見ないような斬新なデザイン、
貴重な文化遺産といえましょう。

 弦巻通りの歩道。弦巻中の前です。


 この付近の歩道は、歩行者と自転車のゾーンが植え込みで
分けられ、さらにその標識も、歩行者優先の思想が盛りこま
れています。ほかの歩道も、このようにして欲しいものです。


 弦巻通りをしばらく進み、馬事公苑の東側から北側の通りに
回り、東京農大の南側で、馬事公苑への導入路前を通過しま
した。


 東京農大の西から、千歳通に入ります。すぐ近くの家の塀に、
花の鉢がたくさん下がっていました。




 千歳船橋駅の西側で小田急線の高架下を抜け、環状8号線
の歩道橋を渡ります。

 これだけの交通量があると、歩道の平面交差は無理なので
しょうか。体の不自由な方や車椅子だと、歩道橋での横断は
厳しいのではないかと思われます。

 西日の厳しい千歳台の住宅街を過ぎ、世田谷文学館がよう
やく近づきました。芦花公園西交差点には、粕谷村地蔵尊の
お堂がありました。

 そばにあった碑文によれば、元禄時代、このあたりは難病
や飢餓、厄難に苦しめられたので、多くの人がそれらから逃
れんとして、この石仏を立て、願い事をして心身の安らぎを
祈願したとのことです。


 間もなく世田谷文学館に着き、「宮脇俊三と鉄道紀行展」を
観覧しました。

 館の入口付近の池には、ひごいがたくさん泳いでいます。


 世田谷文学館から400mほどで京王線芦花公園駅。新宿
行きに乗り、帰途につきました。
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向井潤吉アトリエ館と世田谷文学館へ(東京・世田谷)

2008-07-17 23:17:58 | Weblog
 今日も蒸し暑い1日でしたが、東京・世田谷区で開催中の、
2つの展覧会を観覧に出かけました。

 最初は、東急田園都市線駒沢大学駅近くの、世田谷美術
館分館のひとつ「向井潤吉アトリエ館」。


 現在は、「武蔵野ふたつの憧憬 向井潤吉/諸岡宏次」と
いう展覧会を開催中です。


 関東平野の一角をなす武蔵野、その多様な地形から生まれ
る四季折々の姿に、古くから人々は魅了されてきました。

 この展覧会では、武蔵野に魅せられた画家・向井潤吉と、
写真家・諸岡宏次(もろおかこうじ)の2人が、昭和10年代か
ら戦後の復興期、さらに開発の激化する昭和60年代にかけ
て、武蔵野をモチーフとした絵画と写真を紹介しています。


 向井潤吉アトリエ館は、長年民家を描き続けてきた洋画家・
向井潤吉が、自身のアトリエを兼ねた自宅を、美術館として
改装のうえ、作品660点とともに世田谷区に寄贈されたもの
です。


 お住まいだった頃の雰囲気をそのまま残す館内に入り、お
二人の作品を観覧しました。

 向井潤吉の作品は、私の育った埼玉県中部の農村風景が
多く、最近では、カントリーウオークで訪ねたところなどもあり、
懐かしいかやぶき屋根の民家が、たくさん描かれています。

 諸岡宏次というと、私は1960年代から80年代にかけて、
趣味として8ミリ映画づくりに没頭したのですが、その頃の
8ミリ映画雑誌やコンテストなどで、よく見聞した方でした。

 諸岡さんの、ほのぼのとした8ミリ映画は見たことがありま
したが、写真の方は今回が初めて。やはり、武蔵野の人と
自然を撮った懐かしい写真ばかりでした。


 アトリエ館の庭は、豊富な広葉樹に囲まれ、このあたりでは
見られなくなった、武蔵野の住まいを感じさせる一角です。


 向井潤吉アトリエ館を出て、鶴巻通りから千歳通りを抜け、
京王線芦花公園(ろかこうえん)駅に近い、世田谷文学館
を訪ねました。

 建物は、ガラス張りの近代的な造り。


 ここでの企画展、「没後5年 宮脇俊三と鉄道紀行展」の観覧
が、今日のもう一つの目的です。


 入館券は、JRの切符をかたどったもの。


 鉄道紀行文の第一人者、宮脇俊三の業績を回顧する、初
の展覧会とのこと。

 宮脇俊三が作家活動を開始したのは51歳で、長く勤めた
中央公論社を辞してからで、有能な編集者として培った厳し
い目は、感傷に流されない緻密な紀行文へと結実しました。

 国鉄全線を乗りつくした旅を記録した「時刻表2万キロ」や、
国鉄線の最長片道ルートに挑んだ「最長片道切符の旅」、海
外の鉄道紀行や廃線跡をめぐる旅など、数々の鉄道紀行書
やその原稿、取材ノート、自筆の路線図、切符などが盛りだ
くさんに展示されていました。

 また、執筆を勧めたベストセラー「どくとるマンボウ航海記」
の北杜夫氏との交流や、やはりベストセラーとなった日本の
歴史シリーズなど、中央公論社時代の数々の業績も分かる
ようになっています。

 私が持っているのは、「鉄道廃線跡を歩く」シリーズの全
10冊だけですが、宮脇さんの鉄道紀行文は、これを機会に
ぜひ、読んでみたいものです。



 文学館の庭も、狭いながら池と緑に恵まれ、気持ちよい空
間となっていました。

 二つの展覧会の会期などは以下のとおりです。

 世田谷美術館分館 向井潤吉アトリエ館
 「武蔵野ふたつの憧憬 向井潤吉/諸岡宏次」展
  7月27日(日)まで
  開館時刻 10時~18時(入館は17時30分まで)
  休館日 7月22日
  観覧料 一般 200円、高校・大学生 150円、
      小・中学生・65歳以上・障害者の方 100円
  交通 東急田園都市線 駒澤大学駅下車 西口徒歩10分
  http://www.mukaijunkichi-annex.jp/main_j/index.htm

 世田谷文学館 「没後5年 宮脇俊三と鉄道紀行展」
  9月15日(月・祝)まで
  開館時刻 10時~18時(入館は17時30分まで)
  休館日 毎週月曜日(ただし7月21日は開館、翌22日
      休館)
  観覧料 一般 500円、高校・大学生 300円、
      小・中学生 200円、65歳以上・障害者 250円
  交通 京王線 芦花公園駅下車 徒歩5分
  http://www.setabun.or.jp/index.php

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滝の城址公園から柳瀬川沿いへ

2008-07-14 23:00:42 | ウオーキング
 昨日の夕方から、ヒグラシゼミの「カナカナカナカナカナ…」
という鳴き声が聞こえ出しました。梅雨明けも近そうです。

 昨日(7月13日)は、所沢市東部の滝の城の復元模型の
公開と滝の城を訪ねましたが、その前後、JR東所沢駅から
西武池袋線清瀬駅までの間で撮ったものの幾つかです。



 東所沢の住宅地を抜けて城集落に入ると、サトイモ畑の
向こうに、市の保存樹木になっているケヤキの大木のある、
農家の屋敷林が見えてきました。


 近くの民家の庭先に、ノウゼンカズラが咲いていました。 




 城公民館で滝の城の復元模型を見て、そばの滝の城址公園
へ回りました。城跡をめぐってがけ下に下りると小さい池があり、
スイレンが咲き出していました。


 滝の城址公園を南西端に抜けて、柳瀬川の橋を渡ります。
橋の下を見下ろすと、子どもたちが川遊びをしていました。

 蒸し暑かったので、私も入りたくなりました。 

 柳瀬川の右岸に沿って続く遊歩道を少し上流に進むと、堤防
際にヒマワリの咲く一角がありました。


 堤防に沿って桜並木が続き、よい緑陰を作ってくれます。


 右岸堤防からは、澄んだ柳瀬川の流れが見下ろせます。




 金山橋のそばまで進むと、対岸ででバーベキューパーティを
しているグループがありました。


 橋の上流側は、幾つものグループが河原を占領しています。




 誰でも流れに入りたくなる、この日の暑さでした。


 ここで柳瀬川を離れた私は、中里3丁目や中清戸2丁目の
住宅や畑の間を抜けて、西武池袋線清瀬駅へ向かいました。
 
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「滝の城」復元模型を見る(埼玉・所沢)

2008-07-13 22:21:00 | 所沢だより
 2008年7月13日(日)

 今日も30℃を超える厳しい暑さ。出かけるのがはばかれる
日差しでしたが、カントリーウオークの仲間、Tさんからの電話
で思い出し、「滝の城」の復元模型の公開会場へ出かけました。



 滝の城跡は所沢市の東部で、6月15日(日)のカントリーウ
オークで訪ねたところ。復元模型の公開場所は、JR武蔵野線
東所沢駅の東北東約1.5㎞、滝の城に近い城(しろ)公民館
です。


 滝の城は別名「本郷城」とも呼ばれ、戦国時代の15世紀
後半、当時の武蔵国の多摩・入間・高麗郡を支配していた
大石氏により築かれた平山(ひらやま)城です。

 城は、柳瀬川北岸のがけ上に築かれ、本丸、二の丸、三
の丸のほか、城の北側に大手門、東端には名前の由来の
滝があったとのことです。

 規模は、東西380m、南北230m、面積約7400㎡(2万
6千坪)あり、永禄2年(1559)には北条氏照の持城となり、
天正18年(1590)7月の小田原城落城後は、関東一円が
徳川家康の領地となり、廃城となりました。

 しかし、現在でも土塁跡や堀跡が比較的多く残っており、
埼玉県指定史跡になっています。

 この城の復元模型を、地元の「県指定史跡滝の城跡保存
会」が製作しました。


 保存会は、「県南西部で数少ない戦国時代の城跡を広く知
ってもらいたい」と昨年夏から模型づくりに着手し、幅1.8m、
奥行き1.4m、縮尺220分の1の復元模型を、約1年がか
りで完成させました。 

 上は、城の中心、本丸や二の丸付近。本丸跡には現在、城山
神社が祭られています。

 下の写真、右上の建物は、城主・北条氏照により城の東北に
鬼門の鎮めとして建てられた東光寺です。


 復元作業は、15名ほどの会員によりはじめられ、毎週1回
ここ城公民館にて延べ33回に及んだとのことです。


 三の丸や大手門など。見張りやぐらも見られます。


 会場には、昭和61年(1986)、平成3年(1991)などに行
われた発掘調査の際の写真も展示されていました。


 復元模型を見たからには、現地ももう一度見ようと、南に5分
ほどの滝の城址(じょうし)公園に行きました。


 本丸跡にある城山神社です。

 
 社殿の南側は断崖になっていて、JR武蔵野線の線路の向こ
うに東京都清瀬市方面が望まれます。

 公園内の遊歩道を回ると、空堀の残っているのが確認でき
ます。


 公園内は、豊富な緑におおわれていて、何か所か東屋(あず
まや)なども設けられています。


 東屋付近に、ヤマユリが咲いていました。春先にはこのあた
りは、イチリンソウやカタクリが花を開きます。


 東側に回って行くと、城の名のもととなった滝があったと思わ
れる、わずかな流れが残っていました。


 柳瀬川に下って、南側からの滝の城付近の眺めです。


 ちなみに、城公民館での公開は、きょう1日だけですが、
7月15日(火)からは、西北に500m余りの柳瀬公民館
(地図上の柳瀬出張所)にて、常設展示されるようです。

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越谷の日本庭園・花田苑(埼玉県)

2008-07-10 23:37:32 | カントリーウオーク
 2008年7月6日(日)、カントリーウオークの日の午後のコース
で入園した、越谷市の日本庭園・花田苑の様子をご覧いただく
ことにしましょう。



 入口にある長屋門。市の文化財で、江戸時代の名主・宇田家
の長屋門を原寸大に復元したもの。 
 

 入口を入ったところにある案内図。左側の一角は、こしがや
能楽堂です。

 花田苑の総面積は21,290㎡。回遊式池泉庭園で、昭和63
年度(1988)~平成2年度(1990)にかけて施行され、建設
費用は10億4千8百万円とのこと。

 案内図のそばにある池には、小さい滝が流れ落ちています。


 まず、「こしがや能楽堂」に入りました。
 展示室には、能衣装や道具などが展示されています。 




 能楽堂の和室からは、日本庭園が一望できます。


 能楽堂を出て、池の周囲を回ることにしました。


 金沢の兼六園のものに似た、琴柱灯籠もあります。


 ゆるやかな円みを帯びた木橋。


 せせらぎのほとりには、ギボウシが咲いていました。


 

 アジサイも、まだ咲き残っていました。


 向こうの建物は、能楽堂の和室と大広間付近。


 石橋もあります。


 能楽堂の近くから入口に向かう道は、竹林になっています。


ちなみに、花田苑の入園料は100円、開園は9時~17時(4/1
~9/30の平日)、土・日・祝は19時まで。9時~16時(10/1
~3/31)。休園日は12月28日~1月3日

所在地 越谷市花田六丁目6番地2 電話 048-962-6999
交通 東武伊勢崎線 越谷駅下車・バス 越谷駅西口~花田苑入口 
   JR武蔵野線 南越谷駅下車・バス 南越谷駅北口~花田苑入口
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東京中央郵便局が近く仮庁舎へ

2008-07-09 23:45:13 | ウオーキング
 2008年7月8日(火)

 幾つかの用事ができたので、久しぶりに都心へ出かけた。

 東京メトロ丸ノ内線の御茶ノ水で下車し、あとは散歩を兼ねて
歩いて回ることにする。

 まず、神田明神の先にある日本ウオーキング協会のウオーキ
ングセンターへ行き、距離認定の申請をした。

 神田川の昌平橋を渡り、洞爺湖サミットで警戒中の警官の姿な
どを見ながら靖国通りに入り、小川町にあるオリンパスプラザへ。

 この展示室で開催中の、「日本の自然写真コンテスト」入賞作
品展の鑑賞をする。
  

 最優秀賞作品は、鏡に映る鳥の姿を捉えたもの。

 他の入賞作品いずれも、目のつけどころが違うもの、一瞬の
シャッターチャンスを狙ったものなど、大変参考になった。 

 大手町から東京駅丸の内南口へ。赤レンガの東京駅は、建
設当初のドーム型屋根への復元工事が始まるのか、塀で囲わ
れていた。 


 こちらは、そばの東京中央郵便局。ここで、地元郵便局で
買い漏らした記念切手を買う。


 この東京中央郵便局も近く改築が始まるようで、ここでの
営業は7月18日(金)までという。


 7月22日(火)からの移転先は以下のとおり。

 東京中央郵便局(仮局)     中央区八重洲1-5-3
  〈郵便・貯金・保険〉         不二ビル1階、4階

 東京中央郵便局大手町分室  千代田区大手町1-6-1
  〈郵便〉                大手町ビル1階

 東京中央郵便局丸の内分室  千代田区丸の内3-2-2
  〈郵便〉                東京商工会議所ビル1階

 ゆうちょ銀行本店         千代田区丸の内2-3-2
  〈貯金〉                郵船ビル1階

 また、記念切手などの発売と記念押印場所は次の場所へ。

 京橋郵便局 5階特設会場
  晴海通り 三原橋交差点と勝どき橋との間、バス停築地近く

 東京中央郵便局の郵趣コーナーは、ずっと前、勤務先が大手
町だったころからよく利用していたが、京橋に移るのでは、ちょ
っと寄り道という具合に気軽に行けなくなりそう。
 
 八重洲口に回って八重洲ブックセンターで2万5千分の1地形
図を購入する。

 旅行図書コーナーをのぞいてみたら、6月19日の当ブログで
報告した『東海図版の「四国遍路地図」』1,2も、「四国遍路ひ
とり歩き同行二人」と並んで販売されていた。

 JR有楽町駅東口の交通会館に入り、道府県のアンテナ・ショ
ップのうちの長野、滋賀、和歌山県などを回って、2,3のパン
フレットを入手した。

 13時を過ぎたので、どこで食事をしようかウロウロした結果、
有楽町駅東口のJR線高架下ビルにあったごはん処「おはち」と
いう店に入る。

 ご飯もの中心のメニューだが、値段も味も手ごろだった。

 有楽町駅のガードをくぐって西口に回り、有楽町電気ビル南館
の「ふるさと情報プラザ」へ。

 ここでも、何県かのコーナーで、観光パンフレットを入手した。

 道路を隔てた南側にある鹿児島県のアンテナショップ、かご
しま遊楽館に入り、「篤姫(あつひめ)」の資料はないかと探した
が、「篤姫観光マップ」という薄いパンフレットだけだった。

 
 帰路につくことにして、丸の内仲通を北に向かう。


 この通りには、ところどころに野外彫刻が展示されている。


 通りの街路樹は大きく葉を広げ、緑陰の気持ちよいプロム
ナードになっている。


 新丸ビルの下には、傾いた帆船の彫刻があり、以下のような
説明が記されていた。

 『昭和55年4月22日、オランダ国ファン・アフト首相来日の
際、オランダ政府から日本政府に寄贈された。

 蘭船デ・リーフデ号は、1600年4月19日、豊後臼杵湾北
岸(大分県臼杵市)に漂着したが、同船の乗組員ヤン・ヨース
テン・ファン・ローデンスティンは、徳川家康に顧問として仕え、
将軍から、この地に住居を与えられた。』

 ちなみに、東京駅を挟んだ東側の「八重洲」の名は、ヤン・ヨ
ーステンからとったことを、ご存じの方も多いと思う。

 新丸ビル地下から、東京メトロ丸の内線東京駅に行き、池袋
行きに乗る。
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カントリーウオーク吉川(埼玉県)

2008-07-07 23:26:45 | カントリーウオーク
 2008年7月6日(日)



 埼玉県内を中心に歩くカントリーウオークグループの第155回
例会の日。「梅雨の中休みで暑くなるので、熱中症の注意と水
分補給を十分に…」との予報を聞いて、家を出る。

 JR武蔵野線吉川駅に集まったのは14名で少な目。3組に分
かれて10時10分にスタートした。
 
 =元荒川と新方川に沿って=
 
 まず南口に生息?する、「なまずの里吉川」のシンボル、黄金
のなまずモニュメントを見る。親なまずは全長4.8mで、世界最
長だという。


 北に向かい、駅前の二つの車道に挟まれた狭い旧道へ。「よし
かわ天然温泉ゆあみ」の前庭に、旧ソ連の人類初宇宙遊泳飛行
士レオーノフ氏などが、来館記念に植樹した若木が立っていた。

 りっぱな本堂の日蔵院に入る。先着のグループが、ご住職のご
好意で本堂内の古い板碑を見せてもらえるという。

 一緒に本堂内陣に入り、弘安2年(1284)銘の板碑(上)や、
ピカピカの閻魔(えんま)大王などを拝観する。

 2週間後の八坂まつりの準備で開けていた仲町のみこし蔵の
前を通過し、カシやクスなど広葉樹の多い吉川の総鎮守、芳川
神社へ。

 境内には、天満、古峰、八坂、稲荷などの諸社も鎮座する。
ここのみこし蔵も開けられ、みこしが表に出ていた。

 境内の真ん中に、クワの葉に似た見慣れぬ木があり、「神紋の
梶の木」との標石が立つていた。

 中国や東南アジア原産で、平安時代の七夕には、葉に詩歌を
書いて竹に下げたという。

 吉川橋に近い延命寺も、鉄筋コンクリート造りの新しくて豪華な
本堂と庫裡(くり)が目につく。

 永仁3年(1295)の開基、3代将軍家光から祈願所としてご朱
印十石を賜り、武蔵国新西国三十三番霊場の第1番札所にもな
っているという。

 本堂前に、「武蔵国札所第一番」の標石が、境内には仏足石が、
そして門前の古いお堂の中には、文安3年(1446)の銘という
板石塔婆(いたいしとうば)などが横たえてあった。

 新方川と元荒川が合流し、満々とした流れの吉川橋を渡ると越
谷市。すぐ先で元荒川を渡り、左岸堤防の草の道に入ると、薄日
が出てきて蒸し暑くなった。


 木陰がないので少し先で堤防を離れ、中島の集落を貫く道筋へ。
中島稲荷神社があったので、わずかな木陰で小休止して水分補
給をする。

 鳥居には、このあたりの農村の秋の旧事・十日夜(とうかんや)
の大きなワラ鉄砲が下がっていた。

 次の前畑集落も緑陰がなく暑いので、昼食地へと先を急ぐ。
少しは川風があるかと、新方川の右岸堤防に上がった。

 遠くからも目につく、太い煙突と西洋宮殿のような造りの大きな
建物の対岸まで進む。

 言われなければそれと分からぬ越谷市のゴミ処理場。このよう
なゴミ処理却場は、ほかでは見たことがない。

 草の刈り込まれた堤防を進み、千代田橋を渡って北側に広がる
越谷総合公園へ。来週から始まる高校野球県予選会場のひとつ、
越谷市民球場の、正面に近い緑陰のベンチに12時21分に着く。


 =花田苑を経て越谷レイクタウンへ=

 暑いのでゆっくり休憩、14時近く、午後のコースに向かう。
総合公園西側の、池の縁や体育館前を通過し、新方川左岸堤防
へ。周囲は緑の田んぼが広がるが、暑さは厳しく日陰が欲しい。


 次の橋を渡って、越谷市の日本庭園「花田苑」へ行く。江戸時
代の名主、宇田家の長屋門を復元したという、堂々たる長屋門
が入口になっている。

 園内の総面積は2万1290㎡、回遊式の地泉庭園が中心で、
西側には「こしがや能楽堂」がある。庭園は後にして、まず能楽
堂に入ることにした。

 正面中庭を隔てて、中心の舞台があり、それを囲むように和室
や大広間、展示室や数室の楽屋などがある。涼しい展示室で汗
をぬぐいながら、能についてのビデオを鑑賞する。

 能の奥深さに引き込まれたのか?、思わず頭の下がる人も…。
和室や大広間の廊下からは、池泉式庭園の眺めがすばらしい。


 汗も引いたので能楽堂を出て、庭園をめぐることにする。暑かっ
た日差しも、雲が広がり幾分しのぎやすくなった。


 記念撮影後、思い思いに池の周りを一周し、入苑から1時間余
り過ごして花田苑を出た。

 東越谷の住宅地を南に進んで裁判所前を通過し、元荒川の不
動橋を渡る。少し先で右折、朱塗りの山門をくぐって、大相模不動
尊大聖寺に入った。

 大聖寺は、天平勝宝2年(750)開基の古寺。中世には岩槻城
主太田資正や北条氏繁の尊信を得て栄え、天正19年(1591)
にはこの寺に泊まった徳川家康から寺領60石を賜ったという。


 本堂そばのタブノキは、樹齢500年と推定され、一部空洞の幹
回りは4mあり、樹高は高くはないが、枝をこんもりと広げている。

 本堂屋根下にある「なでぼとけ(おびんずるさま)」の身体中を
なでて健康を祈り、南側の山門を出た。

 大きな山門は正徳5年(1715)の建立で、山門に掲げられた
「真大山」の山額は、老中松平定信の筆といわれているという。

 相模町5丁目を南に抜けると、造成中の越谷レイクタウンの広
大な空き地が広がり、東側には建築中の巨大なイオンモールも
見えてきた。

 レイクタウンの中心、広大な大相模調整池の南側でミーティング
をする。

 池のそばまで下り、途中のコンビニで買ってきた缶ビールなどで
乾杯し、暑かった今日の歩きを振りかえり歓談する。

 駅前緑地の見田方遺跡公園を抜けて、17時50分にJR武蔵野
線の新駅、越谷レイクタウンに着いた。

(天気 晴後曇、参加 14人、距離 12㎞、地図(1/2.5万) 越谷、
 歩行地 吉川市、越谷市)

 【追記】午後訪ねた花田苑については、7月10日のブログにて
 改めて紹介しました。 
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吉川市から越谷市を歩く(埼玉県)

2008-07-06 22:54:27 | Weblog
 今日は、カントリーウオークグループの7月例会でした。
梅雨明け間近と思わせる厳しい暑さとなりましたが、JR
武蔵野線吉川駅から、隣の越谷レイクタウン駅までのカント
リーウオークをしました。

 詳細は別途とし、簡単に報告します。

 スタートの吉川駅南口には、大きな金のナマズが泳いで
いました。ふるさと創生資金により生まれたナマズです。


 吉川市の中心街に近い芳川神社には、「神紋の梶の木」と
呼ぶ、アオギリでもなければクワでもない、変わった葉の植物
がありました。


 わがグループは、薄日が差してきて蒸し暑い昼近く、新方
川右岸を、昼食地の越谷総合公園に向かいます。

 
 越谷総合公園で昼食後は、全員一緒になり、いっそう強い
日差しの中、越谷市営の庭園・花田苑に入り、能楽堂と日本
庭園をゆっくり観覧しました。

 能楽堂から出たら、雲が広がっていて幾分暑さは和らぎ、
ホッとしました。

 日本庭園での記念撮影。今日の参加者は、カメラを入れて
14人でした。

 このあと、日本庭園を一周しました。


 元荒川を渡って南に向かい、ゴールは、スタートの隣駅で、
この春開業したばかりの吉川レイクタウン駅でした。

コメント (2)
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岩波ジュニア新書「地図を楽しもう」

2008-07-05 22:24:01 | 地図
 昨日、今日、所沢市内は、32~33℃くらいまで気温が上
がり、梅雨が明けたかと思われるような暑さになりました。

 この暑さでは昼間歩くと、日中症?じゃなくて熱中症になり
そうなので、夕方恐る恐るウオーキングに出かけました。

 カメラを構える気にもならずに戻ってきていますので、本日
は、最近発売された地図の図書の紹介です。

 岩波ジュニア新書で、「地図を楽しもう」というのが、4月
22日付で発売になりました。



 著者の山岡さんは、もと国土地理院で地図づくりに携わった
方。当ブログでも紹介した、3月に開催の、やまさんの「LL
ウオーク茨城」にも参加されました。

 自らも地図好きという山岡さんが、青少年向けに地図の楽し
み方をやさしく記したのがこの新刊です。

 地図の読み取り方、楽しい地図の紹介、地図の歴史、測量
から地図制作まで、測量・地図遺跡をたどる、自分で地図づく
りを…といった項に分けてやさしく記述されています。

 表紙カバー裏には、こんなことが記されています。

 地図の中に風が吹き、光がさしているのに気づいています
か。煙突や噴火口の煙は東にたなびき、記念碑や針葉樹の
影も東に伸びています。作成法や記号が少しわかれば、地
図はあなたの街歩き・野山歩きの頼りがいのある友だちです。
オリジナルマップをつくったり、測量遺跡を訪ねたり、地図を
思う存分楽しんでください。

 ジュニア新書だから、内容はシニア向きでなないのではな
いかというと、まったくそんなことはありません。

 ジュニアであろうとシニアであろうと、その中間の方々でも、
地図ファンには、国土地理院の地図ずくりの裏話など、興味
ある内容がたくさん盛りこまれています。

 書店の新書コーナーで、ちょっとのぞいてみてください。

 ちなみに、著者・山岡さんのWebへは、当ブログの「ブック
マーク」の最下段、「おもしろ地図と測量」から入れます。

山岡光治著、新書版226頁、本体780円、岩波ジュニア新書
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