あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…
2012年6月2日(土) 晴
最後の宿泊地、インターラーケンのホテル、カールトンヨーロッパにて5時半過ぎに起
床した。好天なので、昨日夕食後回った橋のところに行けばユングフラウとメンヒが見ら
れるのではないかと期待し、朝食前に急ぎ往復することにする。
6時過ぎにホテルを出て駅前通を西へ、まず近くのホーヘマッテ公園で朝焼けのユング
フラウが見えたので、期待が高まる。
インターラーケンヴェスト駅の横を通過し、アーレ川の橋を渡った。そばのホテルに泊
まったのだろうか。中国系らしいツアー客がバスを待っている。
ユングフラウ(4,158m)はもとより、昨日は見えなかったメンヒ(4,107m)も今朝はしっか
りと見えている。
メンヒ ユングフラウ
ユングフラウとメンヒの中間にあり、昨日上がったユングフラウヨッホ(3,454m)の建物
も、ズームアップするとはっきり見える。↓
帰路、もう1度ホーヘマッテ公園からユングフラウを眺める。
公園周辺のホテルや教会にも太陽が差し込んできた。
急いで見にきた甲斐があり、7時の朝食までにホテルに戻ることが出来た。
8時にホテルを出発して、グリンデルワルトバスでチューリッヒ空港に向かう。中間の
ルツェルンまでは、一昨日夕方来た行程を戻ることになる。
ブリエンツ湖の南岸沿いに東進後、北に向かって2つの湖岸を進み、ルツェルンを通過
してさらに北に向かい、2つの湖沿いを通過する。
沿道沿いに続く湖や、緑いっぱいの景観が始終楽しめる。
平行する線路を、特急列車が併走する。
9時45分頃だろうか、チューリッヒ空港に着いた。
多少買い物などに余裕の時間もあり、12時10分発のエーデルワイス航空のA320-200型機
に乗る。
飛行機は比較的新しい機体で、往路は満席だったが、255席というエコノミークラスはか
なり余席がある。飛行機は、12時35分にチューリッヒ空港を離陸する。
成田までの飛行距離は9,604㎞、プラハ、サンクトペテルブルグなどを通過してシベリア
大陸北部をしばらくの間横断、ハバロフスク付近を過ぎて日本海に出る。
新潟市付近から猪苗代湖南部を通過し、12時間近くかけ、ほぼ予定時刻の日本時間7時12
分に成田国際空港に着陸した。
入国手続きや荷物の受け取りなどをして、三々五々参加の皆さんと別れ、8時29分発京
成電車上野行き快速特急で帰路についた。 (歩数(帰宅まで) 11,800) (完)
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スイス旅行記は今回で終わりますが、撮りためた写真がまだたくさんあるので、日々の
行程とは別の視点からまとめて、この後も順次紹介したいと考えています。このあともま
たご覧下さい。
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2012年6月1日(金) (続き)
== インターラーケンの町並みを散策 ==
今日は、夕食の集合時刻18時30分までフリーなので、インターラーケンオスト駅から
インターラーケンベスト(Interlaken West)駅周辺まで、町の中を散策することにした。
オスト駅を出てユースホステル前を通過して、鉄道橋が斜めにアーレ川を渡る先で、
昨夜も寄ったイギリス公園へ。
昨夜分からなかった公園にある銅像は、ユングフラウ鉄道の創始者らしいと知り、午
前中上がったあの高所まで100年前に鉄道を敷設しようとしたことに、改めて畏敬の念
を覚える。
公園から、アーレ川左岸沿いに続く遊歩道に入る。川幅いっぱいの豊富な流れや、道
沿いに咲く花を眺めたりしながら進む。
時おり対岸を列車が通過し、遊歩道を散策する高齢のご夫婦などと行き交う。
次の橋の近くまで行くと、橋の近くを観光馬車が通過して行く。
同じような馬車はこの後幾つか見た。橋を渡って右岸に回ったところに、スポーツジ
ムらしい施設があった。
右岸の遊歩道からは、二つの駅を結ぶ駅前通に沿って並ぶ建物や、残雪の山並みが望
まれる。
川沿いにはスズカケなどのりっぱな街路樹が続き、よい緑陰を造ってくれる。
ときどき自転車は通過するが、自動車を気にすることなく歩ける気持ちよい散策路で
ある。
再び鉄道が対岸に渡る鉄道橋の下を通過し、さらに流れに沿って進む。日本では初秋
の花、マツムシソウがもう咲いていた。見たことのない花もある。
右岸沿いに住宅が増え、どの庭もたくさんの花で彩られている。
車の通らぬ小さい橋を過ぎると流れは分流し、左の流れはダムで流量を調節している。
さらに庭や軒先にきれいな花を咲かせた家が続き、庭先の畑にカブから葉の出たよう
な変わった野菜があった。小さい池にスイレンの咲くお宅もある。
尖塔屋根のウンターゼーン教会が近づき、落ち着いたたたずまいの住宅が続く。橋の
上を別の観光馬車が通過して行く。
自動車がなければ、19世紀以前と変わらぬであろうたたずまいである。
16時を過ぎたので、教会の近くで橋を渡り、そろそろホテルの方向に戻ることにする。
橋のすぐ下流で流れはさらに二分していて、左の流れにもダムがある。川は二つの町
の町境のようで、橋にはインターラーケンと隣町Unterseenの町旗らしいマークがある。
橋を渡ると右手がインターラーケンベスト駅、そばの踏切をSLスタイルの市内遊覧
車が通過した。
あちこちで憩うベスト駅の駅前広場を抜けて、折り返して繁華街になっている駅前通
をオスト駅の方向に向かう。
通りの花屋さんに、アルプスの花エーデルワイスが売られていた。
明日は帰国だがスイスフランの残金が乏しくなったので、両替所に入って少しだけ両
替をする。
夕食をするレストラン↓はすぐ近くにあった。
レストランの横は、広い芝生地が広がるホーヘマッテ(Hõhematte)公園。公園に面して、
りっぱなホテルや商店などが並んでいる。
公園の向こうに二つの尖塔が見え、そのひとつはインターラーケン城だという。
午前中より天気がかなり回復して、ユングフラウヨッホでは全く見えなかったユング
フラウ(4,158m)がかなり姿を見せてきた↓。
公園には上空から、次々にハンググライダーが下りてくる。
歩き疲れたので、そろそろホテルに入ることにした。インターラーケン城のそばを通
過して17時12分にホテルに戻り、1時間ほど仮眠する。
18時半にロビーに集まり、駅前通を再び公園の先まで進んでSchuhというレストランに
行き、チーズ料理ラクレットの夕食をした。
20時半近く食事を終え、添乗員の I さんの勧めで数人で、ベスト駅の先で見えるとい
うユングフラウやメンヒ(4,107m)を眺めに行くことにした。
橋を渡った先から、少し雲をまとった夕映えの↑ユングフラウが眺められたが、左に
並ぶメンヒ↓はかなり雲に覆われていた。
ベスト駅に停車していたドイツの特急列車ICEを眺め、ホテルに向かう。
途中の商店のウィンドウを眺めたり、土産の買い物をしたりして、ホテルカールトンヨ
ーロッパに戻ったのは、21時半を過ぎていた。 (歩数 16,500)
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2012年6月1日(金) 晴一時曇
== インターラーケンからユングフラウヨッホへ ==
インターラーケンのホテル、カールトンヨーロッパにて7時から朝食、7時45分に
出発で少し忙しい。近くのインターラーケンオスト(Interlaken Ost)駅↓(Ostは東のこ
と)に行き、8時5分発のユングフラウ鉄道に乗ってユングフラウヨッホに向かう。
ユングフラウ鉄道は1896年から工事を開始して、1903年にアイガー北壁直下のアイガ
ーヴァント(Eigerwand)駅、1905年には標高3,160mのアイスメーア(Eismeer)駅と順次
開業し、1912年8月1日にヨーロッパ最高地点、標高3,454mのユングフラウヨッホ駅が
開業に至り、今年はちょうど100年になる。なお、8月1日はスイス建国記念日である。
インターラーケンからの登山電車は、当初予定の往復とも同じラウターブルネン
(Lautervrunnen)経由でなく、上りはグリンデルワルト(Grindelwald)経由になるとのこと。
ループ状に、別ルートで往復できるのは嬉しいことだ。
往路は、グリンデルワルト駅まではベルナーオーバーラント鉄道、次のヴェンゲルア
ルプ鉄道でクライネ・シャイデックまで上がり、さらにユングフラウ鉄道で終点のユン
グフラウヨッホ(Jungfraujoch)駅までという行程になる。
標高567mのインターラーケン駅を出て川沿いに進み、帰路との分岐ツヴァイリッチ
ネン(Zweilútschinen)(652m)から山間に入って高度を上げ、↓グリンデルワルト駅(1027m)
で、8時47分発クライネ・シャイデック行きに乗り換える。
上がるにつれて乗客が増えると聞いたが、ここでは中国系らしい観光客が目につく。
緑の斜面に広がる住宅などを眺めていると、電車はどんどん高度を上げて雪山が迫っ
てきた。
9時20分にクライネ・シャイデック駅(2,061m)に着いた。帰路に昼食をするところだ。
ここからさらに乗客が増え、ターバンを巻いたインド系らしいグループも見られる。
間近に雪山を眺めながら次のアイガーグレッチャー駅(2320m)を過ぎると、電車は終
点まで長いトンネルに入る。
標高2,865mのアイガーバント(Eigerwand)駅で5分ほどの停車時間があり、岩山をうが
った展望台から、グリンデルワルトや周辺の山並みなどが展望できる。
次のアイスメーア駅(Eismeer)(3,160m)でも同様な停車時間があったが、展望台の外は
ガスに覆われ全く展望は利かなくなった。
さらにトンネル内を進み、10時22分に岩窟の中のユングフラウヨッホ駅(3,454m)に
着いた。
高山病に注意してゆっくりと足を運び、岩窟の中の通路を進んで展望用の高速エレベ
ーターで3,571mの展望台の建物に上がった。ヨーロッパの展望台の中で最高点にある。
晴れていれば、アイガー(Eiger)(3,970m)、メンヒ(Mõnch)(4,099m)、ユングフラ
ウ(Jungfrou)(4,158m)やアレッチ氷河などが一望できるはずだが、ガラス張りの展望
台からは、一面のガスで何も見えない。
外の展望デッキに出てみたが同様、風が冷たいので早々に戻る。残念ながら最高点で
の展望は阻まれたが、これも天気次第なので仕方ない。外気温は-2.5℃を示していた。
高速エレベーターで下り、今年4月1日から開通したという別の洞窟ルートを駅の方
に戻ることにする。
この場所にこんなものが要るのだろうかと思われる、きらびやかな電飾で飾られた一
角を抜けると、その先は鉄道建設当時の写真が並んでいる。
さらに、アイスパレスと呼ぶ氷の装飾が見られるというエリアがあるが、回ると集合
時刻に遅れそうなので入口だけのぞき、駅の近くの売店やレストランなどのあるところ
に戻った。
売店の近くに、開通当時の登山電車の模型や測量器具などがガラスのパネル入りで展
示され、喫茶コーナーではアジア系の観光客で賑わう。
そばに日本の赤いポストがあり、投函できるというので、売店で1.90CHF(スイスフラ
ン)の切手を貼って自宅宛に投函した(このはがきは3日目、帰宅翌日の6月4にはわが
家に配達された)。
11時30分発の登山電車で下山にかかる。帰路は途中駅での観光停車はなく12時17分頃
クライネシャイデック駅で下車した。
駅は、往路の頃より増えた観光客で賑わっている。駅構内の2階にあるバーンホフ
(Bahnhof)レストラン(Bahnhofはドイツ語で駅のこと)でアルペンマカロニの昼食をする。
乗り継ぎ列車まで少し時間があるので、駅の背後にあるという新田次郎の墓碑を探す。
「アルプスを愛した日本の作家 新田次郎 ここに眠る」と刻まれた碑は、スキー場
を背にした小高い斜面の下部に埋め込まれていた。
蛇足ながら、私は若い頃、まだ気象庁に勤務されていた新田次郎さんの、山の気象に
関する講演を聞いたことを思い出す。帰国後間もなく新聞で、今年は新田次郎の生誕100
年になると知った。
新田次郎の墓碑の背後を少し上がると、上部にスキー場が広がり、眼下にクライネシ
ャイデック駅周辺の建物や登山電車などが見晴らせる。
足もとには日本では見たことのない、アルペン・ソルダネッレ(俗名イワカガミダマ
シ)が咲いていた。
13時30分発のヴェンゲルンアルプ鉄道の登山電車で、次の乗換駅ラウターブルンネン
(Lauterbrunnen)(797m)に向かう。
電車には、ラウターブルンネンからシルトホルン展望台(2,967m)に上がる、オプショ
ナルツアーのガイドで地元にお住まいというNさんが乗り込み、線路際に咲いている花
やスイスのことなどをいろいろと紹介してくれる。
列車は雪の残るアイガー北壁周辺から次第に高度を下げ、雪が消えて牧草地帯となり、
ラウターブルンネン周辺の家並みも見えてきた。
急カーブのたびに移り変わる景色に目が離せない。
深い渓谷に向かって下って行くと、右手に垂直の断崖から落ちる大きな滝が近づき、斜
面に広がる民家や牧草地が増える。14時20分にラウターブルンネン駅に着いた。
ツアーに参加の6人と分かれ、10分ほどで最後のベルナーオーバーラント鉄道に乗り
換える。
次のツヴァイリュッチネン駅で往路の線路と合し、14時54分にインターラーケン駅に
戻った。この後はフリータイムとなり、三々五々駅を離れる。 (続く)
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2012年5月31日(木) (続き)
== マイエンフェルト(ハイジの村)を訪ねインターラーケンへ ==
サンモリッツ駅↓のキオスクをのぞいたりし時間を待ち、13時2分発の氷河特急アルブ
ラ線に乗る。
氷河特急は、サンモリッツとツェルマットを結ぶ全長約290㎞、所要約8時間の路線だが、
今日乗るのはそのうち東端のごく一部、1時間13分だけの行程である。
列車は、標高1,775mのサンモリッツから急斜面の山腹を少しずつ下って行く。
後部車輌だったので、右に左にカーブするたびに見える前方の車両を撮ったり、移りゆ
く谷間の景観を見下ろしたり、途中駅↓にカメラを向けたりと忙しい。
窓を開けたままで、何人もが代わる代わる移りゆく景色を撮りまくる。
プレダ駅(Preda)を出て、列車はやがてトンネルに入る。トンネルを抜けたところで、高
さ71mあり左に大きくカーブする、有名なラントヴァッサー(Landwasser)橋を渡った。
列車が橋を渡るところを撮りたかったが、反対側に座っていたので、振り返って撮るの
がやっとだった。
次の駅、山あいの標高884mにあるティーフェンカステル(Tierfencastel)に14時15分に
到着して下車した。
再び待っていたグリンデルドワルドバスに乗り、北に向かう。
クール(Chur)でライン川沿いに出て、さらに高速道路を北に進み、ティーフェンカステ
ルから約55㎞のマイエンフェルト(Maienfeld)に入った。
ここは、名作アニメ「アルプスの少女ハイジ」の故郷のひとつといわれるところ。
マイエンフェルトは、北に5㎞ほどで隣国リヒテンシュタインとの国境、東側もオース
トリア国境に近く、スイス東部の標高500~600m台の地にある。
バスは細道を入り、最初に「ハイジの泉」を訪ねる。
泉というと谷間から湧き出しているのかと思ったが、広々とした芝生地の一角にある石
の彫刻から湧き出しているのがそれ。
観光的に造られたもののようで、ちょっとイメージが違った。でも、ゆったりとした周
辺の景観はハイジの故郷にふさわしい。
私たちと同じグリンデルドバスで回る、関西方面のツアーグループも来ていた。
さらにバスは、行き違いが出来そうもない細道をくねくねと進んで、「ハイジの家」の
ところに行く。
アニメのハイジの家をイメージして造ったものらしく、家の中に中に入るのは有料だが、
外から一巡して入館は省いた。
1軒だけの土産店をのぞいたり、そばの牧場にいるヤギの群れを眺めたり、周辺の山並
みや集落を一望したりしてひとときを過ごし、16時20分にハイジの村を後にする。
バスは今日の宿、インターラーケン(Interlaken)に向かう。西方に約195㎞の道のりで
ある。
高速道路3号線を進むと北側にWalen湖が現れ、さらに進んでより大きいチューリッヒ
(Zurich)湖↓が見えてくる。
湖畔の住宅や、緩やかな起伏を見せる牧草地などの気持ちよい展望が続く。
三日月型に長いチューリヒ湖の、中間くらいで湖から離れて南西に向かう。小さい峠を
越えてZugの町並みを抜け、Zuger湖の北側を回って高速道路をルツェルン(Luzern)に向
かう。
ところが夕方のラッシュ時にかかったのか、高速道はのろのろ状態となりなかなか進ま
ない。5日間回ってみて、道路も鉄道も発達していると理解したスイスでは初めてのこと
で予想外だった。
でも渋滞は20分前後で解消し、その先のパーキングエリアSt.Katharinaでトイレ休憩と
なり、ホッとする。18時15分頃パーキングエリア↓を出た。
その後は順調に進み、山間をAlpnacher湖やSarner湖、さらにブリエンツ(Brienzer)湖
沿いに進み、連泊するインターラーケンのホテル、カールトンヨーロッパ(Carlton Europe)
に19時40分頃に着いた。
荷物を開ける間もなくホテルのレストランで夕食となり、21時過ぎ夕食を終える。外は
まだ明るいので、食後少しの散策に出る。
道路を挟んで前方にもクラッシックな造りのホテルがあり、ホテルに接したイギリス公
園に沿って、アーレ川が豊富な流量れを見せている。
公園の先には新しいユースホステルが出来ていて、さらに進むとインターラーケンオス
ト駅。
停車していたドイツ国鉄直通の特急列車を見て、21時半頃、ホテルに戻った。
(歩数 10,300)
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2012年5月31日(木) 晴
== サンモリッツからピッツベルニナ観光へ ==
サンモリッツのホテルローディネラで6時前に起床する。ホテルの窓からは残雪の山が
望まれる。
6時半から朝食後、出発までの少しの時間にホテル周辺を回ってみたが、サンモリッツ
湖までは行けなかった。
サンモリッツは、サンモリッツ湖を中心にした標高1,775m前後の標高にあり、ハイキン
グコースやスキーゲレンデが多く、スイスを代表する高級リゾート地だという。
8時12分にバスでホテル出発して、帰路に乗るベルニナ線に沿った車道を南東に向かう。
サンモリッツから15㎞ほど進み、8時半頃、標高2,093mにあるベルニナ・ディアボレッ
ツァ(Bernina Diavolezza)駅前で下車する。
9時発の大型のロープウェイに乗り、上るにつれて広がる展望を楽しみながら、12分ほ
どで標高2,978mのディアボレッツァ展望台に上がった。
一面白銀の世界でかなり涼しい。正面にPiz Cambrena(3,606m)、ピッツ・パリュ(Piz Palü)
(3,901m)、ベラヴィスタ(Bellavista)(3,922m)の中腹、クラスト・アジュッツア(Crast' Agúzza)
や、それらから流れ出る眼前のベルス氷河(Vadret Pers )や右手のモルテラッチ氷河(Vadret
da Morteratch)などが望まれるが、右奥のピッツ・ベルニナ(Piz Bernina)(4,049m)、ピッツ・
モルテラッチ(Piz Morteratsch)(3,751m)などは雲に隠されている。
ピッツ・パリュ クラスト・アジュッツア↓
ピッツ・パリュの3つのピーク
さらに、東側や北方の幾分残雪の少ない山並みなどはほぼ全部眺められ、360度の広大な
展望を楽しんだ。
ロープウェイ山上駅の外にあった温度計は4℃を示す。下りロープウェイに少し時間が
あるので、中の売店をのぞいたり、ロッククライミングの練習用壁面にとりつく人もいた
りして、10時発の下りロープウェイに乗る。
下るロープウェイからは、凍った山上湖や残雪の山並みなどにとともに、これから乗る
ベルニナ線の電車の通過も眺められた。
ベルニナ・ディアボレッツァ駅
反対方向のサンモリッツからの電車↓を見送った後、ベルニナ・ディアボレッツァ駅発
10時34分のベルニナ線に乗る。
こちらが、乗車したサンモリッツ行きの電車
イタリアのティラーノ(Tirano)とサンモリッツを結ぶベルニナ線は全長約145㎞、路線の
大半は世界遺産に認定されている。
線路はバスで来たルートとほぼ平行しているが、雪解けで水量豊富な滝や川など、バス
とはまた違った風景も見られる。
電車は11時12分にサンモリッツ駅に着いた。
駅から、昼食をするサンモリッツ湖東岸にあるレストランに向かう。
波静かな湖を囲むサンモリッツの町なみや残雪の山々が絵のように広がり、芝生地の足
もとにはタンポポが花盛り。
昼食をしたレストランのある建物。
昼食後も湖を囲む展望を楽しみ、再びサンモリッツ駅に戻る。 (続く)
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「スイス8日間の旅」のレポート途中ですが中断して、今日は日曜日に歩いたカン
トリーウオークのレポートです。
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2012年6月10日(日)
前日梅雨入りしたが、今朝は晴れた。カントリーウオークのグループの第194回
例会を開催する。集合地は、JR宇都宮線と東武伊勢崎線の久喜駅。4組に分かれて
10時16分に西口をスタートした。
== 久喜市総合運動公園から久喜菖蒲公園へ ==
中央二丁目と三丁目の間の通りを進むと、どっしりとした蔵造りの家が残っていた。
南一丁目の中ほどの公園に、富士塚のような盛り土の山がある。御嶽講の信仰者が
明治27年(1894)につくったもので、山頂には御嶽神社が祭られていた。
公園の南側で、地元の人が山車の組み立てをしていた。7月12日と18日に開催
の、関東一という「提燈(ちようちん)祭り」の準備のようだ。
南四丁目に回り、車の少ない住宅地の路地を進む。文化会館の横に出るつもりが、
路地が尽きて家庭菜園などの畑のところに出た。
畑の尽きたところで雑草地を抜けて、文化会館の広場に入る。プラネタリウムのあ
る丸ドームの前で水分補給の休憩をした。
道路の北側は久喜市役所である。
歩道にイチョウ並木のある市役所通りを南へ、空に浮かぶ綿雲を見ながら少し進む
と、「水と緑のふれあいロード」の、広範囲のエリアマップが立っていた。傍らを流
れる新川用水沿いの遊歩道である。
近くの畑にソバが花盛りだが雑草も多く、こぼれ種が咲いたのだろうか…。
県道87号と合するY字路の手前で田んぼのあぜ道を横切り、久喜市総合運動公園
に入った。
クローバの咲くメインアリーナでは少年サッカーチムが試合中で、父母の声援が賑
やか。
桜並木の西側の気持ちよい緑陰を、体育館に向かう。ピンクのシモツケが、たくさ
ん咲き競っていた。
テニスコートの横から備前前堀川沿いに出て、県道3号を横断する。すぐ先で東北
自動車道の下をくぐり、西側の田んぼの中を工業団地の工場に沿って迂回し、備前前
堀川の小さな橋を渡る。
アジサイの咲く小谷の集落を抜け、備前前堀川と備前堀川を渡り、昼食地の久喜菖
蒲公園の大きな休憩舎に、11時55分に着いた。
公園の大部分を占める、大きな池の中から上がる噴水を眺めながら、休憩舎横の緑
陰で昼食とする。
== 田園地帯から二つの館跡へ ==
ミーティングと記念撮影後、13時15分に出発した。池の北側の遊歩道を中ほど
まで進み、久喜菖蒲工業団地落成記念碑の横から公園を抜ける。
工業団地を横断し、再び備前堀川と備前前堀川を渡ると、早苗田の広がる田園地帯。
西の空に黒雲が広がり、天候が気になる。
所久喜(ところくき)集落に入り、八幡神社本殿の「楠木正成父子桜井の別れ」な
どが刻まれた精巧な木彫を眺める。
すぐ先の民家の、門構えの奥のうっそうとした屋敷林は、市の保存樹林に指定され
ていた。
集落の東も田園地帯、盛り土無しの平地を走る東北自動車道下を東に抜けて江面集
落へ。近年再建らしい新しい本堂の善徳寺で、小休止して水分補給をする。
さらに田園地帯を北へ、苅り入れ時となった麦畑も広がる。
NHKラジオ放送の2本のアンテナを見ながら進み、県道146号に接した下清久
の清福寺に行く。
ここも本堂は新しく、その前にご神木の大イチョウが立つ。そばに赤いポストが祭
られ、かわいい動物たちの並ぶペット慰霊塔と水子地蔵塔、本堂の俳壇前には男女の
とげぬき治蔵などの飾り物が並ぶ。
イチョウの背後には、真新しい金色の観音蔵を祭ったお堂もあるという、ユニーク
な寺院だった。
すぐ先、電波塔のところで県道に分かれて進むと、赤鳥居の奥、大イチョウの下に
ひっそりと赤旗神社がある。村人が平家の武士たちを祭って神社を造ったとか。ちな
みに赤旗は、源氏の白旗に対抗する平家の旗の色。
大イチョウは雌木らしく、下にイチョウの幼木がたくさん生えていた。
近くの常徳院と雷電神社はこの地を治めた清久氏(きよくし)の館跡(やかたあと)。
りっぱな本堂ときれいに整えられた常徳院に入ると、Tさんが近くで声をかけられた
という副住職さんが戻られ、勧められ本堂に上がる。
源平の時代この地を治めた清久氏のこと、檀家を持たない祈祷寺だったこと、近年
修復した仏像のことなど、寺にまつわることを副住職さんから詳しく伺った。
寺で40分近く経過したので先を急ぐ。養護学校の北側を通過し、諏訪神社の横か
ら新川用水沿いの遊歩道を歓喜院の横まで進む。
久喜本の住宅地を東へ抜け、県道3号を横断して本町六丁目の千勝神社に寄り、本
殿の龍などの精細な彫刻を眺める。
北に見える森の木々にゴイサギやシラサギがたくさん群がり、コロニーになってい
るらしい。森のある甘棠院(かんとういん)は二代目古河公方(こがくぼう)、足利
政氏(まさうじ)の館跡で墓もあるという。
でも、寺は門は閉じて入れない。門前から本堂と豊富な樹木に覆われた境内をのぞ
くのみとする。
近くの光明寺は。本堂前にきれいな芝生が広がり、庭木もよく整えられている。
南側にある薬師堂は、白鳳10年(682)行基菩薩の開創とか。いまは色あせて
はいるが社殿の木彫は極彩色で、建立当時の彩りを想像させてくれる。
7月の堤燈祭りの看板が並ぶ県道146号を進み、16時51分に久喜駅に戻った。
(天気 晴後曇、参加 17人、距離 13㎞、地図(1/2.5万) 久喜、歩行地
久喜市、歩数 22,500)
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2012年5月30日(水) (続き)
午後の行程は、今夜の宿泊地サンモリッツ(St. moritz)に向かうだけ。といっても、スイ
ス中南部のサースフェーからスイス東端に近いサンモリッツまでは約280㎞あり、途中
フルカ峠(Furkapass)とオーバーアルプ峠(Oberalppass)の2つの峠越えがあるという。
バスは北に進んでツェルマットへの分岐、ローヌ川沿いのVispまで戻り、ここからはし
ばらくはローヌ川沿いの国道19号線を上流の東北方に向かう。
深い谷間の集落を見下ろしたり、残雪の山並みを眺めたりしながら進み、広い谷沿いの
低地に出ると牧草地にはタンポポなど黄色の花が一面に見られる。
14時40分近く、フルカ峠の西側のOberwaldに着いた。
この時期、標高2,429mのフルカ峠周辺はま残雪が多くて車道は通行止め。ここからは
カートレインと呼ぶ貨車にバスを乗り入れ、鉄道のトンネルで峠の東側まで抜けることに
なる。
カートレインは15時前に出る予定。トイレに寄ってバスに戻ったが、聞いていた予定時
刻以前列車はに出発してしまい、しばらく待つことになった。
30分くらい待ち、ようやく折り返してきたカートレインが着いた。バスは車幅ぎりぎり
の貨車にバックで乗り入れ、その後ろ数両に乗用車が入り、15時40分頃発車する。
カートレインに乗ったバスは、エンジンを切って照明も消すので、この間車内は真っ暗
のまま通過する。列車は峠の下を長いトンネルで抜けて、16時頃トンネルの東側の駅に到
着した。
カーフェリーは日本にもあるが、カートレインは聞いたことがない。このシーズンなら
ではの貴重な体験だった。
再び国道に入り、線路に並行しながら進んで次のオーバーアルプ峠に向かう。牧草地
どを抜けて峠にかかると次第に残雪が増え、バスは右に左に急カーブを回って高度を上
げる。
それにしても、急カーブの多いスイスでは日本のようなカーブミラーはほとんど無く、
ガードレールも少ない。その代わり昼間でも、自動車のほとんどはヘッドライトを点灯し
て走行している。
標高2,044mのオーバーアルプ峠を越えて、再び緑の牧草地から町並みへと下って行く。
峠の東側も国道19号が続き、国道に平行して線路敷きや電柱の新しい氷河特急の線路が
走っている。
峠を境に流れはライン川に変わり、下るにつれて川幅が増し水量が増える。ドイツを抜
けてオランダで北海に流れ込む、全長1,233㎞というヨーロッパの大河ライン川の源は、こ
の峠のあたりだとは知らなかった。
峠から直線でおよそ60㎞ほど進んだあたりでライン川に分かれ、支流に沿って南に向か
う。15㎞ほど進んだThusisでさらに別の支流沿いに入り、明日氷河特急を下りる山村の駅、
ティーフェンカステル(Tiefencastel)駅の横を通過する。
再び峠越の山道となり、バスは幾つものカーブを回って高度をあげ、雪山が近づく。
標高2284mの峠、julierpassを過ぎると下り道となり、静かなたたずまいのサンモリッツ
湖を右に見てサンモリッツの町並みに入った。
中心街より南西にある、ホテルローディネラには19時35分に着いた。(歩数 10,800)
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2012年5月30日(水) 快晴後晴
== サースフェーの観光 ==
今朝も快晴、マッターホルンも昨日の朝同様、全容を見せている。
7時から朝食をして、7時50分に2泊したホテルアンタレスを後にする。
ツェルマット駅8時20分発のシャトル列車でテーシュまで行き、テーシュからは今日明
日のドライバー、アンディスさん運転のバスに乗り、8時41分に出発した。
バスは一昨日来た谷間を北に20㎞余り戻って、折り返すように東側の谷間に入る。
距離にして約45㎞、標高4,545mのドム(Dom)を挟んでツェルマットの北東の谷間、標高
1,800m前後にあるサースフェー(Saas-fee)の駐車場に、9時35分に着いた。
近くのロータリのそばに、ツェルマットでも見たネズミ返しの小屋が幾つも並んでいる。
現在は使用されていないようだが、観光資源として残されているようで、日本では国の
伝統的建物群保存地区といえるようなところだ。
サースフェーは三方を白銀の山並みにまれた小さな村。ここからは北西にそびえるドム
など、「ミシャベルアルプス」と呼ばれる4,000mから3,000mクラスの山並みが展望できる
が、ドムの山頂は始終雲に隠されていた。
ロータリーから西へ700mほどのところまで家並みや商店が続き、家並みの間を一周でき
る道路もあり、11時20分までフリータイムとなった。
添乗員の I さんからサースフェーMAPが配られ、ほとんどの人は I さんに従いパノラ
マ橋に下って行ったが、まずはそばにあったインフォメーションセンターに入り、展望図
と詳細な町並みの記された観光パンフレットを入手する。
このような小さな村にも観光局があり、りっぱなパンフレットを用意して観光ガイドや
ハイキングガイドも行っおり、さすが観光国スイスならではと感心する。
ネズミ返しの小屋の横からパノラマ橋に下って行くと、奇妙な木の彫刻があり、案内標
識にもなっている。
東側に立つ鋭い山容の山などの展望が広がり、近くには桜が花を見せる。足もとに咲く
白い花はアウフレヒテス・ホルンクラウトだろうか。
鳥か小さいほ乳類のような形をした枯れ枝の飾りもあった。
新しいコンクリート橋の、パノラマ橋を渡ってサーフィスパ川の南側へ。
新しい住宅もたくさん見られ、進むにつれ変わりゆく山並みの景観に見とれ、なかなか
足が先に進まない。
石積みの塔のようなものは何だったのだろう…。
家の壁面にも、枯れ木を加工した飾りつけが見られる。国旗を挟んで並ぶのは州旗と村
の旗らしい。
新しい3階建てや4階建ての家も見られるが、いずれも周辺に溶け込む落ち着いた彩り。
周囲の景観にはお構いなしに、勝手気ままに建築する日本と大きく違うところだ。
牧草地には、日本にもたくさん浸食しているセイヨウタンポポが咲いている。
地下から発車するアルピンエキスプレスの終着駅があったが、シーズンオフで運休中だ
った。
さらに進むと、冬のスキーや夏の観光シーズンに運行されるらしいロープウェイの駅舎
があり、近くには牧草に覆われたスキー場も見られる。
そのあたりで家並みは尽きるので北に回って行く。ホテルやレストラン、土産店などが
幾つかがあるが、夏季シーズンの6月半ばまで休業の標識が多い。
でも、足もとには春の花があちこちに咲いていて、観光客の少ないこの季節ならではの
静かな街歩きが楽しめる。
北側の道路に回り、折り返すようにロータリーの方向に向かう。古い石造りの水くみ場
は、いつ頃つくられたのだろうか。
家の軒先に飾られた動物をかたどった置物も、古くからのもののよう。
どの方向に回っても残雪の山並みが望まれ、見飽きることがない。
町並みの中心あたりに教会があり、隣接する小学校の横にもインフォメーションセンタ
ーがあったが、窓口は閉じていた。
さらに進むと再びネズミ返し小屋が残り、近くの民家や軒下には、何か所も木の彫り物
が置かれている。
銀行の横の三差路からロータリーに向かう。別のネズミ返しの小屋の並ぶ一角があり、
細い坂道を上がってロータリーに戻った。
ロータリのそばの高台のベンチでは、ゆったりと山並みの景観を楽しんでいる人もいる。
11時20分までに全員が集まり、回ってきた町並みの中心付近に戻ってレストランに入り、
サラダやサーモンリゾットの昼食をする。
およそ1時間かけての昼食を終え、駐車場からバスに乗り12時55分に出発した。(続く)
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2012年5月29日(火) [続き]
== ツェルマットの町中をめぐる ==
ホテルのチェックインは何時か、添乗員さんに確かめてなかったが、13時半ではまだ
早そうなので、しばらくツェルマットの町中を散策してから行くことにした。
まずは、駅前広場のそばにあるCOOP(スーパー)に行き、チョコレートなど土産
物になりそうなもなどを何品か求める。
今夜はツァーでの夕食はなくフリーなので、夕食の場所探しを兼ねて商店の並ぶ駅前
通を南に向かう。
少し歩いたらのどが乾いてきたので、アイスクリーム店の2階にある喫茶店に入り、
シャーベットでのどを潤す。なかなかクラシックな造りの店だった。
少し周辺を回ってから駅に戻ってトイレを済ませ、再び駅前通を進む。カウベルの下
がる土産物店などをのぞいた後、横道にあるスイス料理店に回ってみたが、まだシーズ
ン前で閉店中。隣に中華料理の店があるが、スイスで中華料理を食べる気にはならない。
さらに進むと、カトリック教会の近くのザイラー・ホテル・モンテ・ローザの壁面に、
エドワード・ウィンパーのレリーフがあった。1865年7月14日、ウィンパー一行はこの
ホテルを出発して、ガイドとともにマッターホルンの初登頂に成功したのだという。
ちなみにウィンパーは7度目の挑戦で初登頂したが、下山中仲間4名が遭難して非難
を受け、その回答と弁明を兼ねて出版した「アルプス登攀記」は、大きな反響を呼んだ
ようで、日本語版は岩波文庫などで出版されている。
教会のあたりで商店街は終わるが、その先に木組みの古い家並みが幾つか残っていた。
いまも使われているようで、3階や4階建ての家、花を飾った家、商店として活用さ
れている建物もある。
カトリック教会は入れると聞いていたので、入ってみた。
正面の祭壇には荘厳な飾り付けがあり、丸天井にはノアの方舟が描かれている。
両側のステンドグラスには、聖職者などが描かれていた。
教会の先の方からホテルの方に向かう橋があるかと、再び横道に入ると、民家の庭先
に花がたくさん色を競って咲いている。
付近の木造家屋の中に、土台を高床式にして円盤の石を挟んだ変わった建物が幾つか
あった。
あとで分かったのだが、ネズミ返しの小屋と呼ばれるもので、ネズミなどが倉庫に入
れないようにした穀物小屋。この周辺、ヴァリス地方独特の造りのようだ。
カトリック教会の横には、ガラス張り平屋のマッターホルン博物館があり、入館はし
なかったが、広場に幾つかあった彫刻を見る。
彫刻の周囲の石積みの間から、可憐な高山植物が花を見せていた。
教会の横をフィスパ川の橋に向かって下ると、木の切り株の奇妙な形を生かした飾り
物が幾つか見られる。
横の小緑地には、ツェルマットと友好都市になっている妙高高原町や、京都ツェルマ
ット会のレリーフなどが並んでいた。
協会背後の墓地には、登山で遭難した人らしい、登山用具をあしらった墓が幾つもあ
った。
橋を渡って東側の高みに上がるとゴミ集積場があり、分別されたゴミ箱の各々、その
ゴミがリサイクルされてどんなものに活用されるかの絵が描かれていて、スイスが資源
活用に努めていることが理解される。
マッターホルンや、川の対岸の緑の斜面などを眺めながら進み、16時20分に2泊目の
ホテルアンタレスに入った。
町中をあちこち巡っても、まだシーズン前で閉店中の店が多く、適当なレストランが
見つからなかったので、夕食はホテルのベランダで。
マッターホルンを眺めながら、スーパーで買った飲み物とイチゴ、そしてパン屋で求
めたパンで、ささやかな夕餉(ゆうげ)のひとときとする。 (歩数 11,400)
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2012年5月29日(火) 快晴後晴
== マッターホルンのモルゲンルートと展望台からの大展望 ==
マッターホルンのモルゲンルート(高山の朝焼け)に期待して5時半過ぎに起床する。
ホテルの部屋から外を見ると快晴で、マッターホルンもばっちり!。
5時40分頃から山頂に太陽が差し始め、次第に下へと広がり輝きが増してくる。
マッターホルンの彩りの移り変わりを楽しんだ。
すっかり太陽が差し込んだ7時42分頃。
昨夜も遅かったので、ひと寝入りしてから8時からの朝食を済ませ、9時にホテルを
出る。
マッターフィスパ川沿いから線路沿いの道を進んで、昨夕来たシャトル列車のツェル
マット駅に接する、ゴルナーグラート登山鉄道のツェルマット駅に行く。
9時36分発の6両編成の登山電車はほぼ満席である。急斜面に対応した2列のラック
レール付きの線路を電車は次第に高度を上げ、方向が変わるに従い移りゆく展望に、右
を見たり左を眺めたりと忙しい。
4駅ある途中駅にも標高の表示があり、高度の上がって行くことが分かる。
10時9分に終点のゴルナーグラート(Gornergrat)駅に着いた。
標高は3,086mあり、1,620mのツェルマットに比べると涼しいが、太陽がいっぱいなの
で思ったほどは寒さは感じない。
そばの展望台からは、快晴の青空の下、南面いっぱいに大展望が広がっている。
左から右へ、主なものだけでもヨーロッパ第2の高峰モンテローザ(Monte Rosa)(4634m)
をはじめ、Parrotspitze(4432m)、Ludwigshõohe(4341m)、リスカム(Liskamm)(4527m)、
カストール(Castor)(4223m)、Pollux(4092m)、ブライトホルン(Breithorn)(4164m)、そ
してマッターホルン(Matterhorn)(4478m)など白銀の山嶺と、それらの間から流れ出る
5つの氷河がまばゆく輝いている。
モンテローザ
リスカム
カストール(左)とPollux(右)
ブライトホルン
↓Klein Matterhorn(3883m)
マッターホルン
ほとんどの人がマッターホルンをバックに記念撮影をし、大きな山岳救助犬セントバー
ナードと並んで記念撮影(有料)をする人も多い。
背後はゴルナーグラート駅
さらに、すぐ上に見える2つのドームを持つホテルやレストランのある建物の上まで行
くと、反対側の展望も得られ、眼下に瑠璃色に凍った流れや小さい湖も望まれる。
素晴らしい展望を堪能した後、建物内のレストランで早めの11時から昼食をした。レス
トランの外にもたくさんのいすが並べられていて、展望を楽しみながらゆったりと飲食を
する人も多い。
午後は飲食のためのオプショナルツアーが計画されていたが、参加者が無く全員がフリ
ータイムとなる。
ゴルナーグラード駅12時19分発の下り登山電車に乗る。
上りとは反対側に席を取ると、また違った風景が楽しめる。
↑動物の雪型のように見えませんか?
途中駅での下車も自由とのことだったが、本格シーズン前で電車の運行間隔が約1時間
ごとということなので、そのままツェルマット駅まで下り、13時に到着した。 (続く)
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