『夢の小筥』

再び廻り来る事のない、この刻(いま)を、そっと筥に納めてみました。

“いっぱいの想い出”

2011-11-05 15:02:24 | Weblog

                       

  あなた

 このブログは私の旅日記でもあり大好きな平安の世界を行ったり来たりできる唯一の場所でもあった筈。が、ある日か 

 らあなたへのいろんな意味での手紙に?変わってしまいました。

 私が自分の世界のなかで獏のように夢を貪っていても、黙って好きな事をさせてくれた・・・そしてあなたは庭に這い

 蹲ばって草むしりしていた。それが当たり前の事のように思っていたわたし・・・あなたの趣味を邪魔しなよ~なんて 

 生意気言って。

 いまはご覧の通りすっかり紅葉しています。雑草も枯れて目立たなくなりました。

 「寂しくない」と言ったら嘘になりますが、この2・3日私なりに考えました。庭の植物のように生きればいいのだと・・・植物

 と言っても(雑草かな?)植物であればあなたを身近に感じるから・・・そう思ったら淋しさも違ってきました。与えられた努

 めを果たし役目を終えてひっそりと消える・・・

 は、夕暮。夕日のさして、山の端(は)いと近うなりたるに、の寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急

 ぐさへあはれなり。まいてなどの連ねたるがいと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、の音など、は

 たいふべきにあらず

  現代語訳 

 秋は、夕暮れの時刻がよい。夕日が差して、山の端がとても近く見えているところに、からすが寝どころへ帰ろうとして、

 三羽四羽、二羽三羽などと、飛び急ぐ様子さえしみじみとものを感じさせる。ましてや雁などが連なって飛んでいるのが

 小さく見えている様は、とても趣深い。日が沈みきって、風の音、虫の音など、聞こえてくるさまは、またいいようがない。

 清少納言の秋は夕暮れ・・・より

 素敵な文章です(所謂エッセイとでもいうのでしょうか・・・) 

 夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢阪の 関はゆるさじ      清少納言

    追伸

 逢いたい・・・

 

        


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