平家物語の中での「横笛」が余りにも、哀れで・・
もしかして書き手が変われば、違う話にならないかと?探しました。
ありました。見たわけではないので、どの変までを信じたらよいのか?・・・
時頼は、
「人生とは儚く,夢まぼろしのようにすぎるもの。それなのに心に染まない女を妻にして共に人生を歩んだところで何になろうか。しかし、かといって父の命に背いて横笛を妻にしたのでは親不孝の極み」
と、悩み苦しみ抜いた結果が、親も恋人も裏切らないですむ出家だったようです。
が私は、そうは思わないけど、これが千年も昔では・・・不思議ではなかったのでしょうね。
「そるまでは恨みしかども梓弓まことの道に入るぞうれしき」
入道のうたです。これは、横笛が尼になったのを知ったとき贈った歌だそうです。
「そるとても何か恨みむ梓弓引きとどむべき心ならねば」
横笛の返歌だそうです。
現実的には結ばれることはありませんでしたが、魂は仏道を通してしっかりと通い合っていたようです。
間もなく横笛は亡くなりますが、きっと安らかな死であったことと思います。
書き手はそう結んでありました。
大堰川(おおいがわ)に身を投げ、驚いて駆けつけてきた滝口入道に遺体を抱き上げられたそうです。
入道は横笛の骨を首にかけて寺々を供養して歩き、高野山に弔ったと言うことです。
これで、哀しい横笛も幾らか救われます。
私達、子供の頃、父親の存在は強く大きくこわく・・・でした。
良い、悪いは別として、全くガラリと変わってしまった・・・現代の子供たちの、ものの考えかた、我々世代に責任の一端はあると思います。
何処かで、ボタンの位置がずれてしまったのでしょうね・・・