太平洋に面して泛ぶ南の小島、入江の縁には真っ白な砂浜が広がる。沖に目を遣れば、洋洋たる大海の遥か遠く、空の碧と海の蒼が溶け合い、曖昧な水平線に戸惑いを覚えるほどに奥深い。渚に立てば、そよ風が磯の香りを運んできてくれます。
干潮時には入り江の干潟に千鳥の群れが餌を啄み、此処かしこでシオマネキ蟹が手を振り、潮を招いているようだ。潮が満ちると、渚が砂浜に大きく孤を描いて伸び、波が寄せては返している。やがて陽が沈み、月光が輝くと、一面ロマンの雰囲気に包まれる。
蘇軾 《夜 西湖に泛ぶ 五絶 其四》に次韻して、《南島 真夏の夜の夢》を書いてみました。蘇軾の詩では、西湖で、月のない夜に来て、改めて今一度“湖光”をみたいと、詠っています。南島の浜辺では、皓皓と輝き明るい月夜が、やはりロマンがあって好い。
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次韻蘇軾《夜泛西湖 五絶 其四》 南島 盛夏の夜の夢 [下平声七陽韻]
深深天際太洋茫、 深深(センセン)たり天際(テンサイ) 太洋 茫(ボウ)たり、
爍爍波浪海灘香。 爍爍(シャクシャク)として波揺れて、海灘(カイタン)香(カン)ばし。
豈海潮無覚心跳、 豈(アニ) 海潮(カイチョウ)に 心跳(シンチョウ)を覚(オボ)えざらんか、
遺思佳麗映月光。 思いを遺(ノコ)す佳麗(カレイ) 月光に映(エイ)ず。
註] 〇深深:奥深いさま; 〇天際:空の果て、水平線; 〇茫:広々として果てし
ないさま; 〇爍爍:明るく照り輝くさま; 〇海灘:磯,波打ち際;
〇豈:どうして……か; 〇海潮:潮騒(シオサイ)、潮の満ちて来るときに、波の騒ぎ
立つ音; 〇心跳:心のときめき; 〇遺思:思いを遺す、名残の尽きないこと;
○佳麗:美しい女性。
<現代語訳>
南島 真夏の夜の夢
水平線は遥か奥深く 眼前には太平洋の大海原が果てしなく広がり、
揺れる波 月光を反射してキラキラと輝き、海辺には香ばしい磯の香りが漂う。
潮騒(シオサイ)の音を聞くにつけ、どうして胸のときめきを覚えないでおこうか、
想いを遺す美しい人の影が月光に映えて佇んでいる。
<簡体字およびピンイン>
南岛盛夏夜梦 Nán dǎo shèng xià yè mèng
深深天际太洋茫、 Shēn shēn tiān jì tài yáng máng,
烁烁波浪海滩香。 Shuò shuò bō làng hǎi tān xiāng.
岂海潮无觉心跳、 Qǐ hǎi cháo wú jué xīn tiào,
遗思佳丽映月光。 wèi sī jiā lì yìng yuè guāng.
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<蘇軾の詩>
夜泛西湖 五絶 其四
菰蒲無辺水茫茫、 菰蒲(コホ) 無辺 水 茫茫(ボウボウ)、
荷花夜開風露香。 荷花(カカ) 夜開いて 風露 香(カン)ばし。
漸見燈明出遠寺、 漸(ヨウヤ)く見る 燈明の遠寺を出るを、
更待月黒看湖光。 更に月の黒きを待ちて湖光(ココウ)を看(ミ)ん。
註] 〇菰蒲:まこも と がま; ○無辺:際限がない、広々として果てしないさま;
〇茫茫:果てしなく遠くまで広がるさま; 〇荷花:はすの花; 〇漸:しだいに;
〇燈明:ふしぎなともしび; 〇湖光:灯明をさす。
※ 燈明は、西湖の水面に浮かぶ不思議な光。この光は、毎晩水上に青紅色に灯り、
移動するもので、月の夜はややうすく、風雨の中ではよく光るという。
<現代語訳>
夜 西湖に泛ぶ 五絶 其の四 [下平声七陽韻]
まこも や がま が一面に生い茂り、水面は果てしなく広がり、
夜になると蓮の花が開き、風も露も香しい。
とかくするうちに、不思議な灯火が遠くの寺から出てくるのが見えた、
こんどは月のない暗い夜にこの湖光をみることにしよう。
<簡体字およびピンイン>
夜泛西湖 五绝 其四 Yè fàn xīhú wǔjué qí sì
菰蒲无辺水茫茫、 Gū pú wú biān shuǐ máng máng,
荷花夜开风露香。 héhuā yè kāi fēng lù xiāng.
渐见灯明出远寺、 Jiàn jiàn dēngmíng chū yuǎn sì,
更待月黒看湖光。 gèng dài yuè hēi kàn hú guāng.
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蘇軾の詩・《夜泛西湖》は、1072年(37歳)、自ら地方転出を乞い、初めて杭州通判として着任した翌年の作である。その頃、西湖を中心に遊び、多くの詩を残しており、上題詩もその一つで、連作5首の内の一首である。
注意を引くのは転句の“燈明”で、西湖の水面に浮かぶ不思議な光・湖光ということである。この光については、後の南宋時代の文学者・周密(1232~1298)の随筆集に次のように述べられている と:
「この光は、毎晩西湖の四聖観の前の水上に青紅色にともり、施食亭から南へ西冷橋まで行って引き返すもので、月の夜にはややうすく、風雨の中ではよく光り、雷電のときには稲妻と輝きを争ったという」(周密『癸辛雑識(キシンザツシキ)』)(石川忠久 NHK文化セミナー『漢詩をよむ 蘇東坡』に拠る)。
蘇軾は、不思議な光・湖光を目撃したようです。しかし月明かりのために明瞭な“燈明”ではなかったのでしょう。改めて月明かりのない、暗い晩に今一度見てみたい と詠っています。1089年、知杭州軍州事として再び杭州に赴いていたが、湖光を再確認できたか否かは知らない。その折には、今日に残る“蘇提”を築いている。