次韻 蘇軾《驪山三絕 其二》
京都嵐山三绝 其二 竹林の小径(コミチ) [上平声十灰韻]
凍結厳寒猶不灰、
凍結の厳寒 猶(ナ)お灰(オトロエ)ず、
直而青青一清哉。
直(チョク)にして青青(セイセイ)たり 一(イツ)に清き哉(カナ)。
令人感穏竹林徑,
人を令(シ)て心穏(オダヤカ)な感にさせる竹林の径(コミチ),
香気告春竹筍胎。
香気 春を告(ツ)げる竹筍(タケノコ)の胎(タイ)。
註] 〇竹林径:京都嵐山の名所の一つ、小径の両脇の竹林がまるで緑のトンネルの
ようで、心休まる散歩径である; 〇灰:衰える; 〇直而青青:竹の、曲がらず
まっすぐに伸びて、厳寒の冬にも葉を落とさず青々としているさま;
〇胎:新芽。
<現代語訳>
蘇軾《驪山三绝 其二》に次韻す
京都嵐山三絶 其二 竹林の小径
水が凍結する厳寒の中でも猶 意気が衰えることがない、まっすぐに伸びて 青々と茂っており、なんと清らかなことか。小径を行けば 竹間を抜けたそよ風が頬を撫ぜ、心休まる思いがする、筍の芽がそっと顔を覗かせて 香気が漂い 春の訪れを告げる。
<簡体字表記>
次韵苏轼《骊山三绝 其二》
京都岚山三絶 其二 竹林小径
冻结厳寒犹不灰、直而青青一清哉。
令人感稳竹林径,香气告春竹笋胎。
<記>
“竹林の小径”では、数m幅・約400m長の小径の両側に竹林が繁り、小径がやや湾曲して いるため、はるか前方では径が消え、竹林のまっただ中に身を置いているような錯覚に襲われるのである。素晴らしい遊歩道である。
竹林の小径
夏季には、竹林を抜けるそよ風に、命の洗濯を実感させられる。京都一押しのスポットで、竹に纏わる諸々の事柄を思い出させる空間でもある。
昔、中国では、徳と学識、礼儀を備えた人を“君子”と称し、文人はみな君子になることを目指していた。 草木のうち蘭、竹、菊及び梅の持つ特性が、君子の要件と似ることから、それら四草木は「四君子」と称され、「墨画/文人画」の素材として好まれた。
中でも、曲がることなくまっすぐに伸びて、寒い冬にも色あせることなく、青々とした葉を保つ竹(写真)は、文人の理想とする“清廉潔白・節操”を具現する一つとして、好んで画題ともされたようである。