愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題 177 飛蓬-84 小倉百人一首:(凡河内躬恒)心あてに 

2020-11-14 10:32:57 | 漢詩を読む
(29番)心あてに 折らばや折らむ 初霜の  
       おきまどはせる 白菊の花 
         凡河内躬恒(オオシコウチノミツネ)『古今和歌集』秋下・277 

<訳> あて推量に、折るならば折ってみようか。初霜が降りた中、その白さと菊の白さとが紛らわしく、見分けがつかなくなっている白菊の花を。(板野博行)

ooooooooooooooo
初霜が降りて辺り一面真っ白で、白菊の花が背景と見分けがつかず、花を摘もうと思うが思うに任せない と、かなり誇張した表現ではある。清らかながら、何かしら冷たい感じがしないでもない歌である。

作者・凡河内躬恒は、9~10世紀初頭に活躍した人であるが、その生没年は不詳である。歌才に優れ、当時紀貫之と並ぶ代表的歌人で、三十六歌仙の一人である。初めての勅撰和歌集である『古今和歌集』の撰者でもある。

歌に負けず、漢詩化するにあたっても情景を誇張して表現しました。下記ご参照ください。

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<漢詩原文および読み下し文>  [下平声六麻韻] 
 初霜下埋着白菊花 初霜の下に埋まった白菊の花 
天亮初霜被草葩, 天亮(テンリョウ) 初霜 草(クサ)葩(ハナ)を被(オオ)い、
眼前一片是銀華。 眼前の一片(イッペン) 是(コ)れ銀の華(カガヤキ)。
不能辨認従背景, 背景(ハイケイ)従(ヨ)り辨認(ベンニン)し能(アタ)わずも,
嘗試胡折白菊花。 胡折(コセキ)を嘗試(ショウシ)せん 白菊の花。 
 註] 
  天亮:夜が明ける。      葩:花。 
  一片:辺り一面。       銀華:白銀の輝き。
  辨認:見分ける。       嘗試:試してみる。 
  胡折:当てずっぽうに折る。 

<現代語訳> 
 初霜に埋まった白菊の花 
夜が明けてみると、初霜が降りて草花を覆っていて、 
眼の前は一面、白銀の世界である。 
白一色の地上の背景からは見分けが付かなくなっており、 
折れるかどうか知らないが、試しに当てずっぽうに白菊の花を折ってみようか。 

<簡体字およびピンイン> 
 初霜下埋着白菊花 Chū shuāng xià máizhe bái júhuā 
天亮初霜被草葩, Tiānliàng chū shuāng bèi cǎo ,  
眼前一片是银华。 yǎn qián yīpiàn shì yín huá. 
不能辨认从背景, Bù néng biànrèn cóng bèijǐng, 
尝试胡折白菊花。 chángshì hú zhé bái júhuā. 
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歌の作者・凡河内躬恒は、生没年不詳で、59代宇多(在位887~897)および60代醍醐天皇(在位897~930)のころ活躍した下級役人、歌人である。地方官として甲斐少目(ショウサカン)、和泉大掾(ダイジョウ)、淡路権掾(ゴンノジョウ)などの職に就いている。

歌才に優れ、紀貫之と並ぶ当時の代表的歌人で、三十六歌仙の一人として、また貫之らとともに最初の勅撰和歌集である『古今和歌集』の編纂に携わっといる。天皇や上皇の行幸に随う歌人として、また歌合せ、歌会への参加、屏風絵に添える歌など多くの歌が残されている。家集に『躬恒集』がある。

貫之と躬恒は、古くから友人として深い繋がりがあったようである。貴族に属する紀貫之は、天皇の側近の人々とも親しい交流があることから、躬恒の就職に当たっても、紹介の便宜を図っていたことが、残された歌から読み取れるようである。

躬恒の上掲の歌に対し、明治時代の正岡子規は痛烈な批判をなしている。「…初霜が降りたくらいで、白菊が見えなくなることなどあり得ないことだ、嘘の趣向だよ、趣きもヘチマもあったものではない…」(『歌よみに与ふる書』)と。

“写実に走らず、理智的、観念的な内容で、優美・繊細な詠みぶり”を旨とする、いわゆる、“古今調”の範疇に入る歌と言えようか。“うっすら”と草花を覆う初霜を、“白菊の花と見分けが付かないほど真っ白な”と詠む程度の誇張は、許容の範囲なのでしょう。

梅、桜、菊、蘭……等々、詩歌の世界では定番の花々と言えようか。菊の花について、日本では『古今集』以後、歌の主題として多く出てきているが、157種もの植物が登場するという『万葉集』で菊花を歌いこんだ歌は皆無であるということである。

但し『万葉集』に先立って著されている漢詩集『懐風藻』(751頃)では登場しているという。したがって万葉の頃は、中国文化で愛でられていた菊について漢籍を通じて知識としてあった程度で、実物の渡来は未だなかったと考えられている。

菊は中国の原産植物でその歴史は3000年以上前に遡るという。日本への渡来は、遣隋使・遣唐使が派遣されていた奈良時代のころなのでしょうか。日・中を問わず、菊は、その香りや見た美しさもさることながら、不老長寿の“くすり”としての意義にもっとも関心が高かったのではないかと想像されます。

中国最古の薬物学書『神農本草経』(後漢から三国の頃)に健康長寿に効果があると記載され、また『列仙伝』(後漢)や『芸文類聚』(624唐代)には菊に纏わる伝説が語られている と。これら伝説はいずれも菊のエキスを飲用していた人が齢百を超す長寿を全うしたというものである。

日本の奈良・平安期の貴族たちはこれら菊水伝説に強い憧れを抱いたようです。平安遷都間もなく宮中で催された曲水宴(797)で50代桓武天皇(在位781~806)が菊を主題に歌を詠っている(下記)。日本で最初に菊を主題にした歌のようである。

以後、唐文化に傾倒し菊を愛した52代嵯峨天皇(在位809~823)、また菊の花の意匠を好んだ後鳥羽上皇(院1198~1239)などの菊愛好の歴史を経て、明治元年、菊の紋章が皇室専用の“家紋”となる。併せて香り、色・形を賞する対象として、広く人々に愛好されてきている。

此のごろの 時雨の雨に 菊の花
散りぞしぬべき あたらその香を(桓武天皇 『類聚国史』)
[此の頃のしぐれ出した雨に 菊の花よ 散って欲しくないものだ
その香りの失われるのが 何とも勿体なく、惜しいのだ]
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