曽て幸せな時をともに過ごした伴侶の訪れはなくなり、庭園はすっかり雑草の生い茂る所となった。そうでなくとも涙に暮れる日々を送っているというのに、侘しい思いに駆られる秋がまた巡ってきたよ、と詠っています。
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[詞書] 初秋歌
野となりて 跡は絶えにし 深草の
露の宿りに 秋はきにけり (『金槐集』秋・160)
(大意) 伴侶の訪れが絶えて、草深い土地となってしまったが、束の間の幸せ
の時を送った宿に また秋は巡ってきたよ。
[註] 〇跡は絶えにし:人跡の絶えた、愛を交わした人の足跡が絶えた;
〇露:“束の間”と“露”の掛詞; 〇秋:“飽き”と“秋”の掛詞。
○深草:山城国の歌枕で、文字どおり草深い土地。
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<漢詩>
孟秋歌 孟秋の歌 [上平声四支韻]
陰陰儔侶痕跡絕, 陰陰(インイン)たり 儔侶(ハンリョ)の痕跡(アト)絕え,
索索庭園野草滋。 索索(サクサク)たり庭園 野草滋(シゲ)し。
轉瞬安寧如露宿, 轉瞬(ツカノマ)の安寧(アンネイ) 露の如き宿,
四時流易復秋期。 四時(シイジ)流易(リュウエキ)して 復た秋期至る。
[註] 〇陰陰:うす暗く物寂しいさま; 〇儔侶:伴侶、仲間;
〇索索:小さな物音のさま、サワサワ; 〇轉瞬:束の間;
〇流易:季節が替わること。
<現代語訳>
初秋の歌
伴侶が訪れることもなくなり、痕跡も絶え 物寂しく、
庭には雑草が生い茂り、そよ風に侘しく微かな音を立てている。
束の間の安らかな日々 幸せが露の如くに消えた宿に、
四季は巡り、また秋の季節は巡って来たのだ。
<簡体字およびピンイン>
孟秋歌 Mèng qiū gē
阴阴俦侣痕迹绝,Yīn yīn chóulǚ hénjì jué,
索索庭园野草滋。suǒ suǒ tíngyuán yě cǎo zī.
转瞬安宁如露宿,Zhuǎnshùn ānníng rú lù sù,
四时流易复秋期。sì shí liú yì fù qiū qī.
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実朝の歌の“本歌”とされる歌・2首:
年をへて すみこし里を いでていなば
いとど深草 野とやなりなむ (在原業平 『古今和歌集』雑下・971)
(大意) 長い年月、通い続けてきたこの里を、もし私が出ていってしまった
なら、ただでさえ「深草」なのに、いっそう草深い野となってしまう
だろう。
深草の 露のよすがを ちぎりにて
里をばかれず 秋はきにけり
(九条良経 『新古今集』巻四 秋上・293)
(大意) 私に飽きて夫の去ってしまったこの里の深草に置く露。その露を
たよりに、私の涙の露を散らそうと、約束どおりこの里を離れることなく
秋はやって来たのだなあ。
[参考]
上記“本歌の”第1首:「年をへて……」は、『伊勢物語』百二十三段に
見える歌である。その段の物語をかいつまんで語るとこうである。
ある男(在原業平?)が、長年通っていた深草に住む女性に、そろそろ
飽きがきて、別れたいとの思いから件の歌を贈った。それに対して、
女性は次の歌を返します:
野とならば 鶉(ウズラ)となりて 鳴きをらむ
狩にだにやは 君は来ざらむ
(大意) ここが草深い野となったら、私は鶉となって鳴いて
おりましょう。さすれば、あなたはせめて狩にだけでも
来て下さらないだろうか。
この歌に感動して、男性は去ることを取り止めた と。歌には、冷めつゝあるこころを再燃させる力があるようです。
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