愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題376 金槐集 野となりて 跡は絶えにし 鎌倉右大臣 源実朝

2023-11-13 09:06:58 | 漢詩を読む

曽て幸せな時をともに過ごした伴侶の訪れはなくなり、庭園はすっかり雑草の生い茂る所となった。そうでなくとも涙に暮れる日々を送っているというのに、侘しい思いに駆られる秋がまた巡ってきたよ、と詠っています。

 

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 [詞書] 初秋歌 

野となりて 跡は絶えにし 深草の 

  露の宿りに 秋はきにけり (『金槐集』秋・160) 

 (大意) 伴侶の訪れが絶えて、草深い土地となってしまったが、束の間の幸せ

  の時を送った宿に また秋は巡ってきたよ。  

 [註] 〇跡は絶えにし:人跡の絶えた、愛を交わした人の足跡が絶えた; 

  〇露:“束の間”と“露”の掛詞; 〇秋:“飽き”と“秋”の掛詞。 

  ○深草:山城国の歌枕で、文字どおり草深い土地。 

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<漢詩> 

  孟秋歌                  孟秋の歌     [上平声四支韻]   

陰陰儔侶痕跡絕, 陰陰(インイン)たり 儔侶(ハンリョ)の痕跡(アト)絕え,

索索庭園野草滋。 索索(サクサク)たり庭園 野草滋(シゲ)し。

轉瞬安寧如露宿, 轉瞬(ツカノマ)の安寧(アンネイ) 露の如き宿,

四時流易復秋期。 四時(シイジ)流易(リュウエキ)して 復た秋期至る。

 [註] 〇陰陰:うす暗く物寂しいさま; 〇儔侶:伴侶、仲間; 

  〇索索:小さな物音のさま、サワサワ; 〇轉瞬:束の間; 

  〇流易:季節が替わること。   

<現代語訳> 

  初秋の歌 

伴侶が訪れることもなくなり、痕跡も絶え 物寂しく、 

庭には雑草が生い茂り、そよ風に侘しく微かな音を立てている。 

束の間の安らかな日々 幸せが露の如くに消えた宿に、 

四季は巡り、また秋の季節は巡って来たのだ。 

<簡体字およびピンイン> 

  孟秋歌         Mèng qiū gē 

阴阴俦侣痕迹绝,Yīn yīn chóulǚ hénjì jué,   

索索庭园野草滋。suǒ suǒ tíngyuán yě cǎo .  

转瞬安宁如露宿,Zhuǎnshùn ānníng rú lù sù,   

四时流易复秋期。sì shí liú yì fù qiū .    

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実朝の歌の“本歌”とされる歌・2首:

 

年をへて すみこし里を いでていなば

  いとど深草 野とやなりなむ (在原業平 『古今和歌集』雑下・971)  

 (大意) 長い年月、通い続けてきたこの里を、もし私が出ていってしまった 

   なら、ただでさえ「深草」なのに、いっそう草深い野となってしまう

    だろう。 

深草の 露のよすがを ちぎりにて

  里をばかれず 秋はきにけり 

     (九条良経 『新古今集』巻四 秋上・293)  

 (大意) 私に飽きて夫の去ってしまったこの里の深草に置く露。その露を 

  たよりに、私の涙の露を散らそうと、約束どおりこの里を離れることなく

  秋はやって来たのだなあ。  

 

[参考] 

 上記“本歌の”第1首:「年をへて……」は、『伊勢物語』百二十三段に

見える歌である。その段の物語をかいつまんで語るとこうである。

 ある男(在原業平?)が、長年通っていた深草に住む女性に、そろそろ

飽きがきて、別れたいとの思いから件の歌を贈った。それに対して、

女性は次の歌を返します: 

 

  野とならば 鶉(ウズラ)となりて 鳴きをらむ 

    狩にだにやは 君は来ざらむ 

   (大意) ここが草深い野となったら、私は鶉となって鳴いて 

   おりましょう。さすれば、あなたはせめて狩にだけでも  

   来て下さらないだろうか。 

 

 この歌に感動して、男性は去ることを取り止めた と。歌には、冷めつゝあるこころを再燃させる力があるようです。 

 

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