愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題375 吾妻鏡  い出て去なば 主なき宿と 鎌倉右大臣 源実朝

2023-11-06 10:20:53 | 漢詩を読む

建保七(1219)年1月27日、源実朝は、右大臣拝賀のため鶴岡八幡宮に参宮される。親拝の行事を終え、その帰路、夜半に、宮前の石段を下る途中、甥の公暁により殺害された。

 

掲歌は、当日、出立の朝、髪を整え、出御の折に、庭の梅を見て、詠まれた「禁忌」の歌であるとされる。恐らくは、大宰府に左遷されて憤死した菅原道真の《東風吹かば匂い起こせよ梅花……》の歌を思い浮かべつゝ、詠まれたものと想像される。 

 

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  [詞書] 庭の梅をご覧じて禁忌の歌を詠み給う 

い出て去なば 主なき宿と なりぬとも 

  軒端の梅よ 春を忘るな   (吾妻鑑・建保七年正月廿七日) 

 (大意) 私が出て逝ってしまったら ここは主のいない家となろう。例えそう

  なったとしても 軒端の梅よ 春を忘れることなく 花を咲かせてくれ。

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<漢詩> 

 臨終歌    臨終の歌     [去声二十三漾韻] 

任他余出去, 任他(ママヨ) 余が出(イデ)て去りなば, 

唯有寂空帳。 唯 寂(サビシ)き空帳有るのみ。 

雖然前梅也, 然(シカ)りと雖(イエド)も 房前にある梅(ウメ)也(ヨ), 

春春開別忘。 春春(シュンジュン)、開花を 忘れないでくれ。 

 註] ○任他:ままよ、さもあらばあれ。

<現代語訳> 

 辞世の歌 

ままよ私が此処を出ていって、世を去ったなら、 

ただ此処は主無しの寂しい帳の内となってしまおう。 

たとえそうだとしても 軒先の梅よ、 

巡りくる春には忘れることなく 花を咲かせておくれ。 

<簡体字およびピンイン> 

 临终歌        Línzhōng gē

任他余出去,  Rèn tā yú chū qù,    

唯有寂空帐。  wéi yǒu jì kōng zhàng

虽然前梅也,  Suīrán qián méi yě,

春春开别忘。  chūn chūn kāi bié wàng.   

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この歌は、『金槐集』には収められていない。『吾妻鏡』に、右大臣拝賀の行事のために出立する、当日朝の出来事の一コマとして記載されている。その前後および凶事の模様を点描すると、以下の様である。

 

夕刻(夕6時前後)、出御されたが、その夜は、雪、二尺余の積雪であった。出立に先立って、大江広元が、「……今涙が出て止まらない、東大寺落慶供養の際の右大将・頼朝の例にならい、束帯の下に腹巻(鎧の胴)をつけてください」と進言されたが、源仲章が「大臣、大将に昇叙する人に前例がない」として制止された。

 

宮内公氏が、髪を整えた際、実朝は、自ら髪の一筋を抜き、記念に と公氏に与えられた由。更に庭の梅を見て、実朝は、歌一首を詠まれた。これが掲題の歌である。

 

八幡宮での親拝を終え、南門を出御される際、鳩が頻りに鳴き騒ぎ、また牛車から降りる際に、帯びた剣の先端を突き折ってしまった 等々、不吉な出来事が出来していた。

 

一方、八幡宮寺の楼門に入る際、将軍を警護する立場にあった北条義時は、急に体調不良を訴えて御剣役を源仲章に譲り、列から離れて、子町亭に帰られていた。実朝とともに、源仲章も凶事で倒れる結果となった。

 

その他、凶事の前後、不吉を予感させる出来事が色々と起こっていた様である。実朝自身、時代の流れ、身辺の動静、等々、“空気感”として、不祥事を予感して、覚悟を持っていたのではなかろうか と推察します。

 

  実朝が参考にした思える歌:

東風吹かば 匂い起こせよ 梅の花 

  主なしとて 春な忘れそ 

     (菅原道真 『大鏡』; 『拾遺集』巻十六 雑春・1006)  

 (大意) 春になって東風が吹いたなら 梅の花よ 香りを私の所に届けてくれ、

  主人がいないからといって、春を忘れることのないように。

 

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