愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題333 飛蓬-186  春3首-1 鎌倉右大臣 源実朝 

2023-05-22 10:26:37 | 漢詩を読む

春の訪れとともに草木は芽吹き、野山は新緑の彩に包まれます。遠くの山影から“ケキョ”とひと声、恥じらい気味に幼い鶯の声が聞こえる。この鳴き声を聞くと、春の訪れが実感でき、自ずから生気の蘇るのが感じられます。春の歌三首、それぞれ、鶯、梅および桜を愛でる歌です。

 

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   [詞書] 春の初めの歌 

うちなびき 春さりくれば ひさぎ生ふる 

   かた山かげに 鶯ぞなく  (金塊集 春・6; 玉葉集 ) 

  (大意) 春が来ると ひさぎの生える片山の山影で鶯が鳴きだす。

  註] 〇うちなびき:“春”にかかる枕詞; 〇さりくれば:やってくると;

   〇ひさぎ:楸、山地に自生する落葉喬木、アカメガシワとも呼ぶ; 

   〇片山陰:片側だけが山になっている山かげ、“片山”は孤山。 

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<漢詩> 

  孟春             [下平声八庚韻] 

春訪嫩芽萌, 春 訪(オトズレ)て 嫩芽(ワカメ)萌(モ)え, 

随風草木傾。 風に随いて 草木傾(ナビ)く。 

孤山楸樹茂, 孤山 楸樹(シュウジュ)茂り, 

山後遠鶯鳴。 山後(ヤマカゲ)に遠鶯(エンオウ)鳴く。 

 註] 〇嫩芽:若芽; 〇傾:靡くこと; 〇楸樹:楸(ヒサゴ)の木; 〇孟春:

  初春。  

<現代語訳> 

  初春 

春が来ると草木が一斉に芽吹き、

風につれて草木が靡く。

片山には ひさごが繁茂していて、

その山陰に鶯が来て鳴きだす。

<簡体字およびピンイン> 

  孟春    Mèng chūn 

春访嫩芽萌, Chūn fǎng nèn yá méng

随风草木倾。 suí fēng cǎo mù qīng

孤山楸树茂, Gū shān qiū shù mào, 

山后远莺鸣。 shān hòu yuǎn yīng míng

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実朝の掲歌は、次の歌の本歌取りの歌とされる。

 

うちなびき 春さりくれば 笹のうれに 

   尾羽うちふれて 鶯なくも  (よみ人知らず 万葉集 巻十・1830) 

 (大意) 春の訪れとともに 一斉に笹のこずえに尾羽を触れながら 鶯が飛び

  来つゝ 鳴いている。  

ひさぎおふる 片山かげに しのびつつ 

   吹きけるものを 秋の初風  (俊恵 新古今集 巻三・274) 

 (大意) 楸が繁茂する片山の山影で 人目を忍ぶように吹いているのは秋風で

  ある。

 

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実朝は、軒端の梅を春の初花に見立てています。季節の変わりはそれぞれ季節の花に託して表現されますが、古い歌で、真実の花ではなく、“浪しぶき”を“花”に譬えて詠われている例もあります。

 

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   [詞書] 梅花風ににほうという事を人々に詠ませ侍りし次(ツイデ)に

この寝(ネ)ぬる 朝明(アサケ)の風に かをるなり  

  軒端の梅の 春の初花 

    (金槐集 春・16; 新勅撰集 春上・31)  

 (大意) 目覚めると この明け方の風にのって 軒端の梅の初花の香が薫って

  くることだ。  

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<漢詩> 

 初花暗香     初花の暗香    [上声四紙韻]

黎明睡醒尙慵起, 黎明 睡醒(メザメ)て 尙 起くるに慵(モノウ)くも,

細細微風何快矣。 細細たる微風 何ぞ快(ココロヨ)きこと矣(カ)。

送給芳香春色穩, 芳香を送給(オクッ)て 春色穩(オダヤカ)にして,

房前梅樹初花視。 房前の梅樹に 初花を視る。

  註] 〇黎明:明け方; 〇睡醒:目覚める; 〇慵:ものうい; 〇细细:

  かすかに; 〇矣:(感嘆の)語気をあらわす。  

<現代語訳> 

 初花の微かな香り 

明け方、目覚めても起き上がるにはまだものういが、

そよそよと亘るそよ風の何と快いことか。

風に乗って芳ばしい香りが届き 穏やかな春の気配、

軒端の梅の木の花が咲き始めたのだ。

<簡体字およびピンイン> 

 初花暗香          Chū huā àn xiāng

黎明睡醒尙慵起, Límíng shuì xǐng shàng yōng , 

细细微风何快矣。 xì xì wéi fēng hé kuài . 

送给芳香春色稳, Sòng gěi fāngxiāng chūnsè wěn, 

房前梅树初花视。  fáng qián méi shù chū huā shì. 

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実朝の掲歌は、次の歌の本歌取りの本歌とされています。

 

このねぬる 夜のまに秋は きにけらし 

  あさけの風の 昨日にも似ぬ (藤原季通朝臣 新古今集 巻四・287)   

 (大意) 寝ている間に秋は来たようだ、明け方の風が昨日とは違っている。

秋立ちて いく日もあらねば この寝ぬる 

  朝明の風は 袂さむしも (安貴王 万葉集 巻八・155) 

 (大意) 秋になって幾日も経っていないのにこうして寝ている朝明けの風は 

  袂に寒く感じられることだ。  

谷風に とくる氷の ひまごとに 

  うち出づる浪や 春の初花 (源当純 古今集 巻一・12) 

 (大意) 谷風に吹かれて溶けかけた氷がぶつかりあい、その隙間ごとにあが 

  る水しぶきこそ 春の初花であるよ。  

 

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「花を落とすの雨は是(コ)れ花を催すの雨」(頼鴨外)と詠われています。しかし花盛りの頃、降る春雨は、恨めしいものでもある。期待して、遥か桜の名所・葛城の高間山を眺めやると 春雨に煙っている と。

 

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  詞書] 遠山桜  

かづらきや 高間の桜 ながむれば  

   夕ゐる雲に 春雨ぞ降る (金槐集 春・46、新後撰集 110)  

  (大意) 夕方、葛城の高間山の桜を眺めると、居座っている雲に春雨が降っ

   ている。

  註] ○かづらきや:詠歎的な表現; ○かづらきや高間:桜の名所、葛城 

   の高間山。「かづらき」は奈良県と大阪府の境をなす金剛葛城連山を指

   し、高間山はその主峰、金剛山の古名; ○夕ゐる雲:夕方、山にとど

   まっている雲。万葉語で、雲は夜のあいだ山に居座り、朝になるとまた 

   山を離れてゆく、と見られていた。 

  ※ 古く中国では、雲は「“岫(シュウ、山の洞穴)”から出る」と考えられてい 

   たようである(陶淵明《帰去来兮辞》)。  

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<漢詩>  

   遠山桜      遠山の桜  [上平声十五刪-上平声十二文通韻]

藹藹葛城高間山, 藹藹(アイアイ)たり葛城(カツラギ) 高間(タカマ)の山, 

聞桜花已好風熏。 聞くは 桜花 已(スデに)好風(コウフウ)熏(カオ)ると。 

欲看好景憑欄眺, 好景を看(ミン)と欲して 欄に憑(ヨ)りて眺(ナガ)むるに, 

春雨下来夕住雲。 春雨 来(モ)たらす 夕住(ユウイ)る雲。 

 註] 〇藹藹:木々の茂るさま; 〇夕住雲:“山に居座っている雲“という意

  味の造語。  

<現代語訳> 

  遠山の桜 

緑の木々がよく茂る葛城の高間山、

すでに桜の花が盛りで よい香りを漂わせていると聞く。

その素晴らしい光景を見ようと、欄干に凭れて遠く眺めてみると、

夜間には山に居座るとされる雲が春雨を降らせている。

<簡体字およびピンイン> 

   远山桜           Yuǎn shān yīng

蔼蔼葛城高间山, Ǎi ǎi géchéng gāojiān shān

闻樱花已好风熏。 wén yīng huā yǐ hǎo fēng xūn.  

欲看好景凭栏眺, Yù kàn hǎo jǐng píng lán tiào,  

春雨下来夕住云。 Chūn yǔ xià lái xī zhù yún

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実朝の掲歌は、次の歌の本歌取りとされています。

 

かづらきや 高間の山の 桜花  

  雲ゐのよそに 見てや過ぎなん (藤原顕輔 千載集 春・56)  

 (大意) 葛城の高間の山 いまや桜の花盛りだ、雲の彼方に眺めるばかりで通

  り過ぎてよいものか。 

かづらきや 高間の桜 さきにけり

  立田のおくに かかる白雲 (寂蓮 新後撰集 巻一・春87)  

 (大意) 葛城の高間の山の桜が咲いたよ。立田の奥には白雲がかかっている。

 

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