愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題 134 旅-8、 李白 黄鶴楼にて孟浩然の…

2020-02-14 15:58:04 | 漢詩を読む
この一対の句:

孤帆 遠影 碧空(ヘキクウ)に尽き,
惟(タ)だ見る長江 天際(テンサイ)に流るるを。

武漢(武汉)と聞けば黄鶴楼。黄鶴楼は、“江南三大名楼”の一つ、是非訪ねてみたい名所の一つです。現在、思いもよらぬ災害に見舞われています。一日も早く安寧な日々に戻ることを祈念しつつ、想いを武漢に馳せ、黄鶴楼に関わる詩を読んでいきます。

加油!!武汉。大家一定会克服一切困难。盼望你们早日恢复安宁的情况。

若い頃の李白が、すでに名の知れた孟浩然と黄鶴楼で再会します。いろいろと詩論を語ったであろう。さらに長江を下って旅を続ける孟浩然を見送る李白は、いつまでもいつまでも、舟の影が天際に尽きても……。別れを惜しむ念がひしひしと感じられます。

xxxxxxxxxxxxxxx 
<原文および読み下し文> 
・黄鶴楼送孟浩然之広陵  黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之(ユ)くを送る
故人西辞黄鶴楼, 故人 西のかた黄鶴樓を辞し,
煙花三月下揚州。 煙花(エンカ) 三月 揚州(ヨウシュウ)に下る。
孤帆遠影碧空尽, 孤帆 遠影 碧空(ヘキクウ)に尽き,
惟見長江天際流。 惟(タ)だ見る長江 天際(テンサイ)に流るるを。
 註]
  広陵:現江蘇省揚州市。    故人:古くからの友人。
  煙花:春霞のかかった景色。  三月:陰暦三月、晩春の頃。
<現代語訳>
 黄鶴楼で孟浩然が広陵に行くのを見送る
友人の孟浩然は、揚州の西に位置する黄鶴楼を発ち、
春霞に煙る三月、長江を揚州へと下っていった。
一艘の帆掛け船の舟影は、遥か彼方の碧空に消えて、
ただ見えるのは、天の際(キワ)まで流れていく長江だけである。
xxxxxxxxxxxxxxx
                       
孟浩然(689~740)は、まず誰でもが耳にしたことがあろう“春眠 暁(アカツキ)を覚えず、……(春暁)”の作者で、唐代の山水田園詩人と言われています。本稿でも、いつかは話題にしたい と胸に仕舞っている作者の一人です。

孟浩然についての詳細については、別の機会に譲ることにします。李白(701~762)は、孟浩然より12歳ほど若く、孟浩然に対しては、“先生、先生”と呼び、非常に慕っていたようで、「孟浩然に贈る」と題する詩も書いています。

李白が初めて孟浩然に逢い、知己を得たのは、726年でした。現江蘇省揚州の維楊区の辺りであったとのことです。ともに漂泊の旅にあったものと思います。李白25歳、孟浩然37歳でした。

728年、李白は、黄鶴楼で孟浩然と再会します。その折に書かれたのが、上に挙げた七言絶句です。別れを惜しむ情景が想像されて、感動を覚えます。孟浩然は、科挙の試験に失敗して、呉越漫遊に出掛けていて、その途上であったようです。

舞台となっている黄鶴楼は、三国時代の223年、呉の孫権が物見やぐらとして、軍事目的に建てたのが始まりという。以後は観光目的に建設されてきたが、戦乱による焼失と再建が繰り返されてきたという。

その間、名称に因む伝説も生まれ、観光名勝の地として、各時代に多くの墨客を引きつけてきたようです。黄鶴楼を詠った詩も多く残されています。続いて2,3首読んでいくことにします。

現在の楼は、清代の資料に基づいて、1985年に再建されたものであるという。今日、江西省南昌の滕王閣、湖南省岳陽の岳陽楼とともに“江南三大名楼”と並称されている。

さて、こうして原稿を書いている間にも、COVID-19の勢力は衰えを見せていません。日本でも感染患者が徐々に増える状況にあり、注意を怠らず、その撲滅にともに戦っていかねばなりません。
コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 閑話休題 133飛蓬-41: 小倉... | トップ | 閑話休題 135飛蓬-42: 小倉... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Rumi)
2020-02-17 21:07:36
黄鶴楼って、武漢なんだ!
中学で習った漢詩の中で、一番か二番に好きだったのがこの詩でしたわ!
河の限り無い長さの表現だけで、自分の感情には一切触れていないのに(!)惜別の情がずっと続いているという送る側のあふれる思いが感じられ、李白ってすごい詩人だな、と思った記憶があります。
返信する

コメントを投稿

漢詩を読む」カテゴリの最新記事