二月二十日過ぎ、匂宮は、長谷寺への参詣に赴き、中宿りとして宇治の夕霧(右大臣)の別荘に寄った。かねて薫から美しいと聞いていた姫君たちがいるからである。八の宮の山荘は、川を挟んで対岸にあり、船で渡れる所である。これを機に匂宮は姫君たちと文を交わすが、時々によそよそしい返事が貰えるだけであった。
秋、山寺に通っていた八の宮の体調が思わしくなく、帰宅できなくなり、そのまま阿闍梨が付き添って看護していた。八月二十日頃、夜中に亡くなられた。薫も訃報を承け、弔問の品々を贈った。
八の宮は、生前、薫に娘たちの後見を頼み、薫も快諾しており、更に出来るなら薫を娘の婿にしたいと希望しつつも、彼にはその気がないらしいと思っていた。一方、薫は、折に触れ、大君に恋情を訴えつつも、強引に訴えるのではなく、自然に自分への愛を相手が覚えてくれるのを待とうと考えている。
匂宮は、どうしても姫君達への恋を遂げたいという熱意を持っていた。八の宮の四十九日の忌も済み、悲しみも緩和する筈であると思い、時雨の日の夕方、宇治へ文を送った、次の歌を添えて:
牡鹿なく 秋の山里 いかならむ
小萩が露の かかる夕暮れ (匂宮)
文を届けた使いの者から、「今晩のうちにお返事を……」と促されて、大君は、中の君に返事を書くよう指示するが、中の君が書きかねているので結局、大君が返事を書いた。姫君が匂宮へ返す文は、その都度書き手が変わるようで、いつも遠い所に立つ者の態度を変えないのを、匂宮は飽き足らず思うのである。
薫は、やはり対方に愛情が生まれるまでは力ずくがましい結婚はしたくないと思い、八の宮への情誼を重く考えることで姫君の心が動いてくるようにと願い、気長に考えるのであった。
本帖の歌と漢詩
ooooooooo
牡鹿なく 秋の山里 いかならむ 小萩が露の かかる夕暮れ
(大意) 牡鹿が妻を求めて鳴く秋の山里で、如何お過ごしであろう
か、小萩の露のこぼれかかるこうした夕暮れに。
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<漢詩>
问候信 问候(アイサツ)の信(タヨリ) [下平声五歌韻]
求友秋山里、 友を求めて 秋山里で、
呦呦牡鹿頗。 呦呦(ヨウヨウ)と牡鹿が啼く頗(ハナハダ)し。
泫泫小萩露, 泫泫(ゲンゲン)たり小萩の露,
黃昏尓如何。 黃昏 尓(ナンジ)や 如何 (イカン)。
[註]○呦呦:シカの鳴き声; 〇頗:甚だし; 〇泫泫:水が
流れ滴るさま; 〇小萩:歌中の語をそのまま用いた、
中国語“萩”は“カワラヨモギ”で、日本語の“萩”の中国名は
“胡枝子”、異なる植物である。
<現代語訳>
ご機嫌を伺う
秋の山里では、友を求めて、
メエメエ牡鹿の啼くこと甚だし。
小萩の葉では露がこぼれかかる、
この夕暮時 あなたは如何お過ごしであろうか。
<簡体字およびピンイン>
问候信 Wènhòu xìn
求友秋山里、 Qiú yǒu qiū shān li,
呦呦牡鹿颇。 yōuyōu mǔlù pō.
泫泫小萩露, Xuàn xuàn xiǎoqiū lù,
黄昏尓如何。 huánghūn ěr rúhé.
ooooooooo
匂宮の歌に対して、大君は、いつものように中の君に返事を書く
よう勧めた。中の君は、情けなく時と言うものが経ってしまった
ではないか と思うと、急に涙が湧いて「やっぱり私は書けません」
と泣き萎れた。大君が書くのであった:
涙のみ 霧ふたがれる 山里は
まがきに鹿ぞもろ声になく (大君)
(大意) 涙ばかりです、霧に塞がっている山里で、籬に鹿
(姫君達)は声を合わせて泣いております。
【井中蛙の雑録】
○四十六帖・[椎が本]の薫 23歳春~24歳夏。
○題名“椎が本”とは?
“椎の木”は、釈迦“入滅の木”とされる“沙羅双樹”?。 ここでは、八の宮が“修行の際に座していた”椎の張られた台座”、さらには尊敬していた“八の宮”を指す。
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