この一対の句:
会(カナラ)ず当(マサ)に絶頂を凌(シノ)ぎて,
一覧(イチラン)すべし衆山(シュウザン)の小なるを。
杜甫(712~770)の若い(20代後半)ころ、「周りの群小の山々を見下ろす泰山のようになりたいものだ」と、青雲の大志を表明した詩です。李白らと連れ立って、山東の辺りを旅していた折の作でしょうか。
泰山とは如何なる山か と詠み進むうちに、湧き上がる雲に胸の高鳴りを覚え、
飛ぶ鳥に目を見張り、心の高揚を覚えていきます。遂には、いずれは絶頂に立って……と、世に出て名を著すことを思い描きます。
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<原文および読み下し文>
望岳 岳を望む
岱宗夫如何, 岱宗(タイソウ) 夫(ソ)れ如何(イカン),
斉魯青未了。 斉魯(セイロ) 青(セイ)未(イマ)ダ了(オワ)らず。
造化鍾神秀, 造化(ゾウカ) 神秀(シンシュウ)を鍾(アツ)め,
陰陽割昏暁。 陰陽 昏暁(コンギョウ)を割(ワ)かつ。
盪胸生曾雲, 胸を盪(ウゴ)かして曾雲(ソウウン)生じ,
決眥入帰鳥。 眥(マナジリ)を決すれば帰鳥(キチョウ)入る。
会当凌絶頂, 会(カナラ)ず当(マサ)に絶頂を凌(シノ)ぎて,
一覧衆山小。 一覧(イチラン)すべし衆山(シュウザン)の小なるを。
註]
岱宗:山東省泰安市の北方にある泰山。五岳の一つで東岳ともいう。“宗”は五岳の長の意。
夫:それ、いったい、そもそも; 斉魯:山東省東北部から西武;
造化:造物主; 神秀:神々しく秀でているもの;
陰陽:ここでは、山の北側と南側; 盪:ゆさぶる;
決眥:目を大きく見開くさま;
<現代語訳>
泰山を望む
泰山は、一体どのような山か、
青い山並みは、斉の国から魯の国にまたがり、果てしなく広がっている。
天地創造の造物主は、この山に万物の霊気をあつめ、
山の北と南では夕方と朝方と異にするほどである。
この山から重なり合った雲の沸き立つのをみれば、胸が揺すぶられ、
ねぐらに帰る鳥を見送れば、まなじりが裂けんばかりである。
いつの日にかきっと、この山の頂に登って、
周りの多くの小さな山々を見下ろしたい
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泰山は、古来、山自体が信仰の対象とされてきている名山で、道教信仰の五岳の一つである。山東省泰安市の近郊にあり、東方を守る意味で東岳、または五岳の長(主峰)として、特に、岱宗とも称される。
因みに五岳とは、嵩(スウ)山(中岳、河南省鄭州市登封)を中心として、北に恒(コウ)山(北岳、山西省渾源県)、西に崋(カ)山(西岳、陝西省華陽市)、南に衡(コウ)山(南岳/寿岳、湖南省衡陽県)、そして東の泰山をいう。
いずれの山も、道教ばかりでなく、仏教や儒教の聖地でもある。中でも泰山は、古来、封禅(ホウゼン)の礼が行われたところとして、歴史的にも特殊な山と言える。秦始皇帝や漢武帝が主催した儀が、比較的によく話題とされる。
封禅とは、古代に天子/皇帝が主催し、山上で土壇を作って天を、山の下で地を祓い清めて山川を祭る行事という。皇帝だれでも実施できるのではなく、善政を行い、世を安寧に導いたと誰もが認めた皇帝に主催する資格が与えられるという。
今の泰山は、1987年にユネスコの世界遺産に登録されている。高さ1,500mほどあり、麓から山頂に至る約9kmの登山道に7,000段の石段がある。なお、ほぼ中央まで車道ができ、その上はロープウェイで行けるという。
登山道に沿って、多くの寺や廟があり、山頂からの眺めと合わせて、観光名所となっている。中でも山麓にある泰山府君(病気や寿命に関わる道教の神)を祀ってある岱廟の壮大さは、孔廟、紫禁城と並んで、中国三大建築の一つとされているようです。
杜甫の詩については、これまでに幾つか触れてきましたが、ほとんど壮年以後の作品でした。実際30歳以前の作品はほとんど残っていないという。「望岳」は青年期の作品と思われ、貴重な作品と言えるのでしょうか。
杜甫の祖先には、西晋(265~316)のころ、儒家が作った経典(教書)を研究する学問分野で杜預(トヨ)という著名な学者がいた。また武則天(在位690~705)のころ、祖父の杜審言(トシンゲン)は宮廷詩人として活躍している。
杜甫も、このような家系を背負って、家名や詩名を高めようという秘めた志は並々ならぬものがあったと推察されます。いつか必ず中央に飛躍して、天下を見下ろしたい と。「望岳」は、青年杜甫の意気込みが率直に伝わってくる詩といえます。
会(カナラ)ず当(マサ)に絶頂を凌(シノ)ぎて,
一覧(イチラン)すべし衆山(シュウザン)の小なるを。
杜甫(712~770)の若い(20代後半)ころ、「周りの群小の山々を見下ろす泰山のようになりたいものだ」と、青雲の大志を表明した詩です。李白らと連れ立って、山東の辺りを旅していた折の作でしょうか。
泰山とは如何なる山か と詠み進むうちに、湧き上がる雲に胸の高鳴りを覚え、
飛ぶ鳥に目を見張り、心の高揚を覚えていきます。遂には、いずれは絶頂に立って……と、世に出て名を著すことを思い描きます。
xxxxxxxx
<原文および読み下し文>
望岳 岳を望む
岱宗夫如何, 岱宗(タイソウ) 夫(ソ)れ如何(イカン),
斉魯青未了。 斉魯(セイロ) 青(セイ)未(イマ)ダ了(オワ)らず。
造化鍾神秀, 造化(ゾウカ) 神秀(シンシュウ)を鍾(アツ)め,
陰陽割昏暁。 陰陽 昏暁(コンギョウ)を割(ワ)かつ。
盪胸生曾雲, 胸を盪(ウゴ)かして曾雲(ソウウン)生じ,
決眥入帰鳥。 眥(マナジリ)を決すれば帰鳥(キチョウ)入る。
会当凌絶頂, 会(カナラ)ず当(マサ)に絶頂を凌(シノ)ぎて,
一覧衆山小。 一覧(イチラン)すべし衆山(シュウザン)の小なるを。
註]
岱宗:山東省泰安市の北方にある泰山。五岳の一つで東岳ともいう。“宗”は五岳の長の意。
夫:それ、いったい、そもそも; 斉魯:山東省東北部から西武;
造化:造物主; 神秀:神々しく秀でているもの;
陰陽:ここでは、山の北側と南側; 盪:ゆさぶる;
決眥:目を大きく見開くさま;
<現代語訳>
泰山を望む
泰山は、一体どのような山か、
青い山並みは、斉の国から魯の国にまたがり、果てしなく広がっている。
天地創造の造物主は、この山に万物の霊気をあつめ、
山の北と南では夕方と朝方と異にするほどである。
この山から重なり合った雲の沸き立つのをみれば、胸が揺すぶられ、
ねぐらに帰る鳥を見送れば、まなじりが裂けんばかりである。
いつの日にかきっと、この山の頂に登って、
周りの多くの小さな山々を見下ろしたい
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泰山は、古来、山自体が信仰の対象とされてきている名山で、道教信仰の五岳の一つである。山東省泰安市の近郊にあり、東方を守る意味で東岳、または五岳の長(主峰)として、特に、岱宗とも称される。
因みに五岳とは、嵩(スウ)山(中岳、河南省鄭州市登封)を中心として、北に恒(コウ)山(北岳、山西省渾源県)、西に崋(カ)山(西岳、陝西省華陽市)、南に衡(コウ)山(南岳/寿岳、湖南省衡陽県)、そして東の泰山をいう。
いずれの山も、道教ばかりでなく、仏教や儒教の聖地でもある。中でも泰山は、古来、封禅(ホウゼン)の礼が行われたところとして、歴史的にも特殊な山と言える。秦始皇帝や漢武帝が主催した儀が、比較的によく話題とされる。
封禅とは、古代に天子/皇帝が主催し、山上で土壇を作って天を、山の下で地を祓い清めて山川を祭る行事という。皇帝だれでも実施できるのではなく、善政を行い、世を安寧に導いたと誰もが認めた皇帝に主催する資格が与えられるという。
今の泰山は、1987年にユネスコの世界遺産に登録されている。高さ1,500mほどあり、麓から山頂に至る約9kmの登山道に7,000段の石段がある。なお、ほぼ中央まで車道ができ、その上はロープウェイで行けるという。
登山道に沿って、多くの寺や廟があり、山頂からの眺めと合わせて、観光名所となっている。中でも山麓にある泰山府君(病気や寿命に関わる道教の神)を祀ってある岱廟の壮大さは、孔廟、紫禁城と並んで、中国三大建築の一つとされているようです。
杜甫の詩については、これまでに幾つか触れてきましたが、ほとんど壮年以後の作品でした。実際30歳以前の作品はほとんど残っていないという。「望岳」は青年期の作品と思われ、貴重な作品と言えるのでしょうか。
杜甫の祖先には、西晋(265~316)のころ、儒家が作った経典(教書)を研究する学問分野で杜預(トヨ)という著名な学者がいた。また武則天(在位690~705)のころ、祖父の杜審言(トシンゲン)は宮廷詩人として活躍している。
杜甫も、このような家系を背負って、家名や詩名を高めようという秘めた志は並々ならぬものがあったと推察されます。いつか必ず中央に飛躍して、天下を見下ろしたい と。「望岳」は、青年杜甫の意気込みが率直に伝わってくる詩といえます。
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