韓国ドラマ『「ホ・ジュン」―伝説の心医―』について、ドラマに現れた漢詩を取り上げてきました。前報を以て一応完結しましたが、どうも語り尽せなかった点が胸の隅に“凝り”として残っていて、すっきりしません。
以下にドラマ『ホ・ジュン』中の漢詩を読んでいく中で諸々感じたことを追記して、『ホ・ジュン』に関わる、また2016年の締めとします。
“凝り”の事柄とは:
1) 登場人物への漢詩の割り振りの巧みさ、
2) ‘語り部’としてのイエジン
3) 韓国ドラマに漢詩が? 他
1) 登場人物と漢詩。このドラマの主役は勿論ホ・ジュン(卑賎の出で、医者ユ・ウイテの下で医術の修業)ですが、準主役として、ユ・ドジ(ユ・ウイテの息子、ホ・ジュンに対して強い敵愾心を持つ)、イエジン(ユ・ウイテ家の養女)、ダヒ(ホ・ジュンの妻)が登場しました。
先ず、男性二人、ホ・ジュンとユ・ドジについて、杜甫の詩「客至る」を話題としながら彼らの立場、心意気または学識の幅が披瀝されます。次いで、役人イ・ジョンミョンの口を通して、李延年の詩「佳人の曲」の一部を語らせて、絶世にして並ぶもののいない傾城・傾国の佳人としてイエジンが客観的に紹介されます。
ダヒは、仕事に追われるあまり家を疎かにしているのでは?と問いかけるように、李白の詩「玉階怨」を布に刺繍してホ・ジュンに届けます。最後に、イエジンが、慕い、尊敬して止まないホ・ジュンの前から自ら身を引くに当たって、自らの来し方を回想するように、李商隠の詩「無題―八歳偸照鏡」を詠みます。
昔、我が国でTPO(時、場所、場合または状況)という言葉が流行した時期がありました。上記のように、まさにTPOに叶った形で重要な登場人物にそれぞれ適格な漢詩が割り当てられて現れ、節目をなしてドラマが展開していきます。その巧みさは見事!と感嘆させられます。
2) ドラマの主題は、ホ・ジュンの‘心医’への道を描くことです。しかし‘貧者では医療費は免ずる’、あるいは‘四六時中庶民の診療に従事する’等々、映像としていかに多くの場面で、またいかに巧みに演じたとしても、映像のみで‘心医’とは?を視聴者に納得させることは至難の技でしょう。
やはり‘語り部’の助けが要るでしょう。イエジンは、ユ・ウイテ家の養女という境遇にある。また‘今度こそ幸せを掴むのでは’と視聴者が期待に胸を膨らませると、周りの状況の変化で、掴みかけた‘幸せの芽’はいとも簡単にイエジンの前から消えていく。
イエジンは、傾城・傾国の佳人でありながら、必ずしも幸せな状況にはないお人だ、何で?と視聴者は心の葛藤を覚えていきます。このように強くイメージ付けされたイエジンが ‘語る’と、ドラマを視聴するに際してビンビンと心に響いてきます。
イエジンが、「‘心医’とは、“患者を慈しむ心を持ち”、“貴賤・貧富に関わりなく患者に接し”、“出世、金銭に拘らない”等々」と‘語る’と、映像と相俟って、視聴者の納得に繋がっていきます。
イエジンの‘語り’は、ドラマの随所で出てきます。が、ホ・ジュンの墓所で、また浜辺を行きながら、連れの女の子と交わす問答(前回の最後の部分を参照)は、まさにイエジンの‘語り部’としての極め付きの場面であり、そこでドラマは"完"となります。
以上のように、漢詩の割り振りとそのTPO、‘語り部’の設定など、ドラマ製作スタッフの技量の冴えは見事と言わざるを得ません。
3) その他、このドラマを視聴して感じたことを何点か。
○ 当時、絶対身分制度下にあったとは言え、卑賎の出身であれ、能力さえあれば、身分の昇進が許されるという柔軟性があったこと。驚きの一事であった。
○ 韓国ドラマで、漢詩が自在に活用されていたこと、意外であった。当時、官民ともに目線の向きが明(中国)一辺倒の時代であったことから、時代の雰囲気を表現するねらいもあったろうか。ただ、複数の漢詩が用いられ、それらがドラマの展開に溶け込んでいた。単なる時代背景を示す‘お飾り’であったとは思えない。
ドラマを視聴し、鑑賞してもらいたい対象は庶民である。かつて漢文化の影響を受けていたとは言え、今日庶民はハングル語表記の世界にあると想像しています。庶民は劇中漢詩をどのように受け取っているか、興味深い点の一つである。
『ホ・ジュン』は、これまでに筆者が視聴した唯一の韓国ドラマでした。果たして他の多くの、いわゆる、‘韓流ドラマ’でも同様に漢詩の活用があるのか、興味があります。
○ 筆者の悩み:本シリーズは、ドラマの既視聴者・未視聴者を含む幅広い読者を対象に書いています。いずれの方々が読んでも、ドラマの展開と漢詩の関係が理解できるようにと 書くのに苦心してはいるが、結果は‘帯に短し、襷に長し’か。
また本シリーズは、筆者にとっては、本質的にドラマを視聴し、内容を熟知の上初めて書き起こせる性質のものです。一方、未視聴の読者にとっては、再放送による視聴の機会が約束されているわけでもなく、ドラマの内容については‘空’のまゝと言えるでしょう。この筆者と読者との間の距離感は、埋めようのない悩ましい現実です。
登場人物や漢詩が現れた場面のステイル写真が本文中に添付できると、少しは内容の理解がより容易になり、距離感を埋めるのになにがしかの役に立つであろうことは想像されますが。難題のようです。
悩みは尽きませんが、「漢詩を読む」楽しみを優先して先に進むことにします。続いて中国ドラマ『宮廷女官 若曦(ruòxī、ルオシー)』に挑戦するつもりにしています。
読者の皆さん、良いお年を!
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