愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題 176 飛蓬-83 小倉百人一首:(大江千里)月見れば

2020-11-08 09:55:15 | 漢詩を読む
(23番) 月見れば 千千にものこそ 悲しけれ
      わが身一つの 秋にはあらねど
          大江千里(オオエノチサト)(『古今和歌集』秋上・193)

<訳> 月を見ると、あれこれきりもなく物事が悲しく思われる。私一人だけに訪れた秋ではないのだけれど。(小倉山荘氏)

oooooooooooo
「秋は 悲しい」との想いは、風の音に、夕暮れ時に、落ちる木の葉に、……と、諸々の事象に触発されるようです。多くの和歌や漢詩で“月”は主役を演じており、大江千里は、月を見ればなおさら悲しい思いが増す と詠っています。

作者・大江千里は、漢学者の父の影響を受け、父の跡を継いで学者になった。漢詩人としても優れていた。特に漢詩を翻案して和歌を詠む“句題和歌”の技術に長けていて、上の歌も、白居易(ハクキョイ)の漢詩を基に作られた とされています。

五言絶句の漢詩としました。なお歌にある“千”と“一”の対は、“万”と“一”として活かしました。下記ご参照ください。                                                                                   

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<漢詩原文および読み下し文>
 対秋月有懐  秋月に対して懐(オモイ)有り  [上平声十一真韻]
皎潔松樹上, 皎潔(コウケツ)として松の樹の上にあり、
対月万悲辛。 月に対するに万(ヨロズ) 悲辛(ヒシン)たり。
知道秋来是, 知道(シ)る、秋(アキ)来たるは是(コレ),
不只為一人。 われ一人の為(タメ)只(バカリ)にあらず。
 註]
  皎潔:(月が)白く光って明るいさま。 悲辛:悲しくて心がうずく。
  不只:…ばかりでない。
  結句「…秋来是,不只为一人」:白居易「燕子楼三首 其一」中の結句
   「秋来只為一人長」に借りた。白詩中、“一人”は“孤独な私”という意味か?

<現代語訳>
 秋月に対するに懐い有り
松の木のかなたに皓皓と輝いている秋の月が目に入る、
その月を見ているとあれやこれやと悲しみが湧いてくる。
秋のおとずれが、悲しく感じられるのは、
私一人のためだけではないことは、承知しているのだが。

<簡体字およびピンイン>
对秋月有怀 Duì qiūyuè yǒu huái
皎洁松树上, Jiǎojié sōng shù shàng,
对月万悲辛。 duì yuè wàn bēixīn.
知道秋来是, Zhīdào qiū lái shì,
不只为一人。 bùzhǐ wèi yīrén.
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作者・大江千里の生没年は不詳である。59代宇多天皇(在位887~897)の代に活躍した歌人、学者である。父・音人(オトンド)は阿保(アボ)親王の落胤ではないかとされている。千里は、在原行平・業平の甥に当たる。官は三位従六位(897)、兵部大丞(903)に至っている。

歌人としては、中古三十六歌仙の一人に数えられ、『古今和歌集』(10首)以下勅撰和歌集に31首入集されている。一方、漢詩人としても優れていると評価されている。
千里の最も得意とする歌作は、漢詩を翻案して和歌を詠む“句題和歌”であるようだ。

宇多天皇の命(894)を受けて、漢詩を基に作られた和歌を集めた『大江千里集』(一名『句題和歌』とも)を編纂して献上している(897)。同集の全126首中116首が漢詩を翻案した歌であり、その多くが唐詩人・白居易(楽天)の漢詩に依るという。

なおそれに先立って、菅原道真(845~903)が、逆に和歌を基に作られた漢詩(七言絶句)を編集した『新撰万葉集』を天皇に献上していました(893)。同集の存在については、先に触れました(閑話休題-137)が、その内容は機会を改めて紹介したく、現在抱卵中。

同時代に活躍した千里と道真は、元は同族の土師(ハジ)氏で、ともに文章道(モンジョウドウ)の家柄。千里の『大江千里集』の編纂に当たっては、道真には負けられないとの強い思いが後押しした面も否めないのではないでしょうか。

上掲の和歌は、白楽天(ハクラクテン)の名でよく知られた白居易の『白氏文集(ハクシモンジュウ)』に収められた「燕子楼(エンシロウ)三首」を翻案した歌とされています。参考のため和歌と関連のある「燕子楼三首 其一」について触れておきます(漢詩は下記)。

白居易の漢詩作詩の背景:白居易の若かりし頃、知遇を得たある妓女について、十二年後に知人からその後の彼女の消息が知らされる。主人の没後残された妓女は、主人の旧愛が忘れられず、主人の旧邸にあった燕子楼に十余年一人で暮らしているのだ と。 

知人は、この話を基に作った漢詩「燕子楼三首」を白居易に贈った。さらに知人の漢詩に次韻(ジイン)して白居易が作ったのが、同名の「燕子楼三首」であり、またこの漢詩に依って千里が詠ったのが上の和歌ということである。なお次韻とは、他人の詩に同じ韻字を同じ順序で用いて詩作することである。

白居易の漢詩は、妓女になりかわって作った、主人没後の寡居の境遇を悲しむ詩と言える。本詩の結句が、和歌の下の句に、また筆者作の漢詩中の転句・結句に対応しています。

白居易の漢詩の結句は、作詞の背景を考慮すれば、「愛しい人は傍に無く、孤独故に秋の夜が長く感じられる」と詠っているように思える。対して、千里が、「いやいや、独り故というだけでなく、諸々(千々)の事象に悲しさを感じさせられるのだよ」と応じているように思われてならない。和歌の<訳>とはやゝ意味合いが異なりますが。

 燕子楼(エンシロウ)三首 其一  唐・白居易
滿窓明月滿簾霜 
 満窓(マンソウ)の明月 満簾(マンレン)の霜 
被冷灯残払臥床 
 被(フトン)冷ややかに灯残して臥床(ガショウ)を払う 
燕子楼中霜月夜 
 燕子楼中 霜月の夜 
秋来只為一人長 
 秋来(シュウライ) 只だ一人の為(タメ)に長(ナガシ)し 

<現代語訳>
窓には月の光が差し込み、簾には霜が満ちている、
ふとんは冷えて灯火は細り、寝床を払って起き上がる。
燕子楼の中で過ごす霜の降る夜、
秋がやってきたけれど、私一人だけに夜はこんなにも長いのです。
(下定雅弘に依る)
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