いつも利用している図書館の新着本リストを見ていて、何の工夫もないベタなタイトルですが、ちょっと気になって手に取った本です。
歳をとるにつれて、自分の好みの音楽の原点は “歌謡曲” なんだと感じることが増えましたね。もちろん、昭和歌謡が生まれた当時は私の祖父母の時代ですが、私が幼いころは昭和真っただ中、テレビの “歌番組” の最盛期でしたから、本書で語られている時代感はよくわかります。
その中から、特に印象に残ったところをいくつか覚えとして書き留めておきます。
まずは、「第一章 昭和歌謡の夜明け―昭和三年~一三年(一九二八~三八)」、歌謡曲黎明期の代表的作詞家西條八十の気概を紹介したくだりです。
芸術性を追及する詩を書いていた西條は関東大震災時の避難所で大衆に支持された歌の力に感じ入ります。
芸術路線から大衆路線に舵を切った西條の代表曲のひとつが「東京行進曲」ですが、当時この曲が流行るにつれ非難の声が上がりました。
(p25より引用) それは昭和四年八月にJOAK(東京放送局)で伊庭孝が「民衆の趣味の堕落」だと痛罵したことにはじまる。詩人の室生犀星は「こうも詩を弄んでいるものもあるかと軽蔑した」と書き、白鳥省吾は「時代相の俗悪に帰した西條八十の押しの強さに呆れざるを得ない」という。
しかし、西條の心は揺らがなかった。彼らと西條には、大衆から支持される作品を作るか、有識者から高評価される芸術作品を作るか、という意識の差があらわれていた。
そして、戦時下、日本の流行歌も戦意高揚という国策に沿った泥流に文字通り流されていきます。
「第三章 暗い戦争と明るい歌謡曲――昭和一六年~二〇年(一九四一~四五)」で紹介された、「露営の歌」「若鷲の歌」等で有名な当時の代表的作曲家古関裕而にまつわるエピソードです。
(p156より引用) しかし、内務省の検閲や軍部の意向があるため、古関も作曲をする上で工夫していた。古関は「あの時代はですね…大変でした。自分達の意志ではね、どうにもならない時代でした。検閲とか軍の掟が厳しかったですからね。歌手の方達もそうだったと思いますけれど。軍の命令は絶対でした」「自分の意志は捨てて、作曲していましたよ。僕も考えましてね、依頼されたものは勇ましい本筋である行進曲風と哀調を帯びた短音階物と、二種類作って出していましたけど」と語っている。
こういった昭和初期の歌謡史の概観に続いて、私も同時代を経験した昭和中期以降の考察に刑部さんの論は進みます。
その中で私が最も納得感を得たのが、「第七章 歌謡曲の栄光から斜陽―昭和五〇年~六三年(一九七五~八八)」において “昭和歌謡における編曲家の役割” に言及しているところでした。
(p316より引用) 昭和歌謡史を振り返ると、ともすれば忘れられてしまうのが編曲家の存在である。編曲家の大きな仕事は前奏、間奏、後奏など、歌唱メロディーではない部分を作曲することと、全体の楽曲に使う楽器編成のアレンジである。つまり、作曲された同じ曲であっても、編曲家の匙加減で、「演歌」、歌謡曲、フォークへと変幻自在にすることができる。
“編曲” の二大巨頭として紹介されている萩田光雄さん、船山基紀さんが手がけた渡辺真知子さんの「迷い道」、久保田早紀さんの「異邦人」、あみんの「待つわ」とかの楽曲を思うに、編曲の影響の絶大さは、まさに得心がいきますね。
あと、コラムで紹介された面白いエピソードの中で大いにウケたのが “国家的イベントにまつわる音頭の悲劇” です。
昭和39年(1964年)の東京オリンピックに向けて作られ、三波春夫さんが歌って大ヒットした「東京五輪音頭」、その二匹目のドジョウを狙った “音頭モノ” が次々に登場しました。橋幸夫さん、三沢あけみさんによる「宇宙博音頭」(昭和53年(1978年))、川崎英世さん、小川真由美さんの「名古屋オリンピック音頭」(昭和56年(1981年))、五木ひろしさんの「科学万博音頭」(昭和59年(1984年))、さらには原田直之さん、菊池恵子さんの「ソウルオリンピック音頭」(昭和63年(1988年))???、すべて大失敗。
真剣に企画した関係者の方々には失礼ではありますが、あまりにも安直!、この桁外れにズレまくったセンスは超絶でしたね。
さて本書を読んでの感想です。
刑部さんが「はじめに」で「本書は日本史の歴史研究者が書く初の昭和歌謡史本である」と宣言しているとおり、想像していたよりもずっと密度の濃い内容でした。まあ、正直なところ “歴史研究者ならでは” という驚きまでには至らないまでも、それぞれの歌とその当時の世相との連関といった歴史的意味づけの解説は、少々我田引水的なところも含めとても興味深いものがありました。
ちょうどNHKで「第22回紅白歌合戦(1971年)」のデジタルリマスター版を録画していたので、今度ゆっくりと観直してみましょう。
総合指揮は藤山一郎さん、トップバッターは、白組 “また逢う日まで” 尾崎紀世彦さん、紅組 “17才” 南沙織さん、お二人とも「初出場」です。
かなり以前に読んでいた内田康夫さんの “浅見光彦シリーズ” ですが、このところ、私の出張先が舞台となった作品を、あるものは初めて、あるものは再度読んでみています。
ただ、私の出張先も以前勤務していた会社のころを含めるとそこそこの都道府県にわたるので、どうせなら “シリーズ全作品制覇” にトライしてみようと思い始めました。
この作品は「第33作目」です。今回の舞台は “高松(香川)”。
勤務していた会社の四国での主要拠点は松山(愛媛)だったので、「高松」には出張では行ったことがありません。
プライベートでは、私の出身が瀬戸内海を挟んで対岸の県だったこともあり、幼いころに祖父母と訪れた記憶があります。行先はお決まりの屋島と栗林公園だったと記憶しています。当時は、岡山の宇野から高松まで連絡船で1時間程度でしたね。いまから50年以上前ですから当然 “瀬戸大橋” はありません。
瀬戸大橋ができてからは、福岡に行くとき飛行機の窓から何度か見ていますが、実際に列車に乗って渡ったのは、数年前に一度あるきりですね。
さて、この作品、ミステリー小説なのでネタバレになるとまずいので内容には触れませんが、シリーズの中ではちょっと変わった部類のテイストでした。光彦の身分のあかし方も初めてのパターンでしたし、謎解きのパートナーも “ヒロイン” ではありません。
いくつかのお決まりの作法を封印したストーリー構成でしたが、読み終わった率直な感想をいえば、そういった新たなチャレンジは成功だったように思います。久しぶりに結構楽しめました。
さて、取り掛かってみている “浅見光彦シリーズ制覇チャレンジ”、それほど強い意志をもって完遂しようとも思っていませんので、まあ、“どこまで続くことやら”です。
次は、34作目の「日蓮伝説殺人事件」ですね。
いつも利用している図書館の新着本リストで目につきました。
今頃感はありますが、“「ChatGPT」の超素人用HowTo本” のようなのでザっと眺めておこうと手に取ったものです。
私の現時点での “ChatGPT” の利用法は、検索ワードをいれて参考になりそうなサイトを探すかわりに、Geminiと併用しながら、知りたい内容を自然文で尋ねるといった程度です。
本書では、その程度の使い方から「第3章 ChatGPTを使って仕事や創作の作業を効率化しよう」「第4章 ChatGPTを使って成果物や生活の質を向上させよう」といった章立てで、無料版で対応できるもう少し進んだ使い方を紹介してくれています。
ともかく、実際に入力する「プロンプト」と、それにより出力される「回答」が具体的に示されているので、まずはすぐChatGPTを使ってみることができます。
どうして、そういう回答が出力されるのかといったAIの原理や仕組みについては、私のような素人にとって、いくら分かりやすく?解説されたとしても絶対に理解できませんから、こういったちょっと物足りない程度の「How To本」が身の丈にあっているようです。
この手のツールは、ともかく触ってみるのが一番なので、その点では即活用できる手ごろな入門書ですね。
いつも利用している図書館の書架を眺めていて目につきました。
永六輔さんのエッセイは、今までも「伝言」「芸人」等を読んでいますが、ほのぼのとしたユーモアと鋭いウィットとがとても楽しいですね。
本書は、TBSのラジオ番組「永六輔の誰かとどこかで」での話題をもとに書籍化したものとのこと。お年を召してもなおてんこ盛りの “永さん節” の中から、特に私の心に響いたところを覚えとして書き留めておきます。
まずは、永さんがラジオとの関わりを語っているくだり。
本書で転載された「永六輔の誰かとどこかで」という番組は46年も続いた長寿番組です。永さん自身、ラジオ番組との付き合いはなんと65年にもなるそうです。
(p135より引用) 毎日やっているっていうことは、怪我をしても、入院しても、何してもやっている。・・・
そのくらい、ラジオに毎日関わって仕事をしてきたということが、僕にはプライドなんですね。ありがたいことに、僕のプライドであると同時に、ラジオはそれができるんです、機能として。
だったら、ラジオの仕事を選んだ以上、ラジオの周りを流れている風を、きちんと流すべきだと思うんです。
今でも “ラジオ番組” にはパーソナリティや番組そのものの “色” や “香り” が感じられるものがいくつも残っていますね。
当時のラジオ関係で、もうひとつ。永さんの盟友小沢昭一さんとの思い出。
(p218より引用) 小沢さんに最後に言われたのは、「ラジオをやめるな」でした。
「言ってることがわからなくても、声が出なくても、あなたがマイクの前にいるってことが伝わればいいんです。
いいですね、ラジオをやめないで」
初めて、小沢さんの前で泣きました。
そして最後に、永さんが、病院での「お見舞い」を話題に、見舞い客の “スマートな振る舞い” を紹介しているところ。
(p141より引用) ちなみに、日本一のお見舞いは、僕は、ピーコでしたね。
時間が短い。通り過ぎて行くみたいに。
「お座りなさいよ」「じゃあ、ちょっと」とか、「お茶は」「いや、お茶なんか」、そういうやりとりもなくて、病室を通り抜けて行きながら、窓を開けて風を通して、挨拶も全部すませて、いなくなっちゃったの。
だからって、誰もがそれがいいとは言いません。
言わないけど、それの似合う人がいい。研ぎ澄まされたムダのない言葉遣いをふだんからしている人は、やっぱりうまい。
ふだんが、やはり、こういうところにも出てきますね。
“粋” ですね。ただ、これも自分と相手が似たような価値観を共有してこそでもあります。
そういう “友” をもっていることが、また素晴らしいですね。
かなり以前に読んでいた内田康夫さんの “浅見光彦シリーズ” ですが、このところ、私の出張先が舞台となった作品を、あるものは初めて、あるものは再度読んでみています。
ただ、私の出張先も以前勤務していた会社のころを含めるとそこそこの都道府県にわたるので、どうせなら “シリーズ全作品制覇” にトライしてみようと思い始めました。
この作品は「第31作目」です。今回の舞台は “横浜”。
「横浜」は、プライベートでは何度も訪れていますが、最初の社宅が南区にあって数年住んでいましたし、その後も中華街そばのビルでの勤務経験もあるので、私にとっては殊更馴染みのある土地柄です。
まさに “横浜” ならではとしか言い様のない唯一無二の風情が感じられる街なんですね。
さて、そういった異国情緒溢れる横浜にまつわるエピソードを盛り込んだこの作品、ネタバレになるとまずいので内容には触れませんが、今一つ私には合わなかったですね。
ちょっと変わった “誘拐” の設定には工夫を感じましたが、このシリーズには珍しく物語の流れ自体が澱んでいました。そもそも起こった事件の必然性に納得感がなかったというのが最大の要因でしょう。加えて、ラストのキレもなく、いかにも消化不良の出来だったように思います。
私の大好きな街のひとつである “横浜” が舞台だっただけに、何とも残念でした・・・。
さて、取り掛かってみている “浅見光彦シリーズ制覇チャレンジ”、それほど強い意志をもって完遂しようとも思っていませんので、まあ、“どこまで続くことやら”です。
次は、32作目の「金沢殺人事件」ですが、出張した場所絡みで一度読んでいるので、33作目の「讃岐路殺人事件」に進みましょう。