ものごと何でもそうですが、「性善説」に立つと「可能性の世界」がいきなり広がります。
(p121より引用) eベイの創業者ピエール・オミディヤーは「Web2.0とは何か」と尋ねられ、
「道具を人々の手に行き渡らせるんだ。皆が一緒に働いたり、共有したり、協働したりできる道具を。「人々は善だ」という信念から始めるんだ。そしてそれらが結びついたものも必然的に善に違いない。そう、それで世界が変わるはずだ。Web2.0とはそういうことなんだ」
と答えている。
情報共有化も性善説を基礎とするとこうなります。
情報は個々人が自由に発信します。発信先を特定する必要はありません。自分のBlogでもいいですし、どこかの掲示板でも構いません。もちろん、企業内の業務の一環の場合は、何らかの「共有エリア」ということになります。(このくらいのルールは必要です)情報を入手する人は、必要な都度「検索エンジン」を使って(必要な情報を)引っ張ってきますし、また、RSSリーダーにキーワードを登録して、それにマッチした情報を取り込んでいくという感じです。
従来の情報共有化は、たとえば、発信者主義の情報の一方通行であったり、既定のナレッジマネジメントの仕掛けに運用ルールどおりに登録したり、はたまた、単なるネットワーク上のファイル共用だけであったり・・・というものでした。
さらに、それなりにIT対応を考えると、こんな大がかりな仕掛けになります。
情報入手元システムからのデータをDWH(データウェアハウス)に接続
→DWHでは、データを正規化する等の加工をして蓄積
→蓄積したデータをある検索条件のものに一括抽出 もしくは、ちょっと気の利いたところでは、アクセス権限のある操作者(マーケッター等)がBI(Business Intelligence)ツールを駆使して情報を活用。
性善説に立つと、仮想の情報広場(DWH相当)に入力も自由、出力も自由ということになります。
「ウィキペディア(wikipedia)」は、この新たなスキームがオープンなネットワーク環境下で動いている代表例です。これは、ご存知のとおり「ネット上の誰もが自由に編集に参加できる百科事典」ですね。
この情報の自由放任主義は、今の「良識世界」から当然の反論を受けます。虚偽の情報・悪意のある情報等の混在の可能性です。(昨今も、ここでの議論とは別次元の話ですが、「偽情報(メール)」が話題になっているのは周知のとおりです)また、企業であれば、さらに情報管理上の問題点も指摘されます。
この点は、当然キチンとした議論をしなくてはなりません。「性善説=ルール不要」ではありません。性善説にたっても違法は違法です。新たな仕掛けが機能するケースもあれば、やはり、まだマズイというケースもあると思います。たとえば、企業内の情報共有の場合には、やはりセキュリティ面のケアは十分にしておかなくてはならないでしょうし、謂れのない誹謗中傷が許されるはずもありません。
ただ、方向性という点では、やはり何とかしてより自由な営みのウェイトを増やすことを考えるべきだと思います。
健全な体であれば「自然治癒力」が働きます。腐っていたり賞味期限を過ぎたものを食べると、食当たりするのは当然です。が、食当たりする恐れのあるものを食べないように注意すれば、世の中にはいくらでもおいしいものはあるわけです。食べる前に目でみて、臭いをかいで、ちょっとかじってみて「???」と思うものは吐き出すようにすれば大丈夫です。
そうやって、情報は「淘汰」(自然淘汰と言いたいところですが、現実はまだそこまでは・・・という状況でしょう)されていきます。しばらくすると流行らない店と行列のできる店に分かれて行くのです。
悪意ある情報発信や他者の権利侵害、また、現行法規を逸脱した振る舞いは当然許されるべきではありませんが、「自己責任」をベースにした「性善説」はできるだけ歓迎したいと思います。