柳氏は、本書の中で、工芸の堕落の原因をいくつか挙げています。
ひとつには、商業化の波です。
陸中の増沢村の漆器の紹介でこういう記述があります。
(p88より引用) この村で面白いことは今まで商人と取引したことがなく、いずれも在家から直接注文を受けて仕事をすることであります。世にも珍らしい生産の形で、これがどんなに仕事を実着なものにさせているでありましょう。多くの場合工藝の堕落が問屋や仲買の仲介によることは、歴史の示す通りであります。作る者から用いる者へ、直ぐ品物が渡ることは最も望ましいことだと思います。
また、浜松の機業の評価についても以下のように記しています。
(p111より引用) 遠江の都は浜松で、・・・これとて目星しい手仕事の跡を見ることは出来ません。むしろよい仕事を希う人は、取り残された状態にあります。周囲は余りにも多くの量と早い時間と、少ない費用とを目がけて進むからであります。仕事は悦びで為されるよりも、儲けのために苦しみを忍ぶ方が多くなってしまいました。
商業化への対応は、多くの場合、機械化の進展を伴います。
柳氏によると、機械化は、手仕事のもつ「誠実さ」を壊すものだと見なされています。
そのあたりは静岡の評価にも表れます。
(p112より引用) 静岡は昔は色々な手仕事の栄えたところと思います。・・・安く早く多く作る技の上から見れば、進んだ土地でしょうが、それが誠実なものでない限り、遅れた土地ともいえるでしょう。
また、工業化、とくに自然の素材にとって代わる化学材料の浸透にも疑問を投げかけます。
徳島の名産「藍」の記述です。
(p184より引用) 時勢といえばそれまででありますが日本人は人造藍で便利さを買って、美しさを売ってしまいました。この取引は幸福であったでしょうか。そうは思えないのであります。・・・美しさにおいても正藍を越える時、始めて化学は讃えられてよいでありましょう。化学は天然の藍に対しては、もっと遠慮がなければなりません。
工芸は、その純朴な仕事に歪みが加わったときにも堕落が始まります。
たとえば、焼物における茶趣味の悪影響です。
(p165より引用) 長門の国には「萩焼」と呼ぶ名高いものがあります。・・・さすがに昔のは素直な出来で、温い静な感じを受けます。しかし段々茶趣味が高じて来て、わざわざ形をいびつにしたり曲げたりするので、今はむしろいやらしい姿になりました。自然さから遠のくと美しさは消えてゆきます。
柳氏は、有名な南部鉄瓶に関しても、無理やりに凝った形に陥るとかえって美しさを損ねてしまうと指摘しています。
(p85より引用) 南部といえば誰も鉄瓶を想い起します。・・・しかし、現状を見ますと、大変見劣りがするのはその形で、これは江戸末期の弊を受けたのでありましょう。いたずらに凝って作るため形に無理が出来、美しさを殺してしまいます。もっと単純に素直に作ったら、どんなによく改まることでありましょう。
美しさは、質素な中にあります。
(p197より引用) 質素な性質があればこそ、美しさが保障されて来るのだという真理が分ります。・・・贅沢や遊びはとかく悪の原因になることを工藝の世界でも学ぶことが出来るのであります。
手仕事の日本 価格:¥ 735(税込) 発売日:1985-05 |